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EP10 癒されざる者

EP10 癒されざる者
あんたの昔の女だよがルーシーさん大丈夫⁈の紙片を持ってきた。
いかにもインド帰りらしく、血を吸う女陰と原生林に生息する多肉植物に巣食う寄生虫の乱行パーティーみたいな柄の麻の素材のブラウスを着て、裸足でいつものはにかんだ笑顔をつくって持ってきた。
そのころ俺は、ゴミ捨て場で拾ってきたおそらく安物の食器棚の背板だと思われるベニヤ板に植物図鑑から切り抜いた雄しべや雌しべや赤や黄色や紫色をした花弁や自分の生き方に多大なる影響を与えた死んだ芸術家たちの遺影や電子回路の部品をまるで空間恐怖症のようにびっしり貼り付けた、極彩色のコラージュ作品を作るのに夢中になっていた。
と同時に大量消費社会におけるポップアートとしての侵略戦争と、異常快楽殺人者の性生活と脳の死んだ領域に打ち込む覚醒剤としての電脳空間の研究にも夢中になっていた。
その最初の作品をあんたの昔の女だよが気に入り持ち帰った。
そのうちお礼の品を持ってくるからと言って持ち帰った。
あんたの昔の女だよは俺が東京に出てきていちばん初めに同棲した女だ。 
血液型が同じで俺と同じくらい自尊心が高く、しかし俺以上に自己愛が強くて不器用な女だ。
後から気がついたが自己愛というのは狂気の裏返しだ。
その時々で転がり込んできた女は確かに何人かいたが、俺はまだ、あんたの昔の女だよと半年間暮らしたその部屋にひとりで住んでいた。
別れ際の痴話喧嘩で俺が頭突きで叩き割ったトイレの窓ガラスは修復されずにまだガラスの破片が足元に散らばったままだったし、強い力で引き剥がされ無惨に折れ曲がったスチール製のブラインドに流れた血痕も少し色褪せただけで、まだそのまま残っている部屋にひとりで住んでいた。
同棲中は俺が中毒していたリン酸ジヒドロコデインも含めて薬物の類いには何の関心も示さなかったくせに、ヒンドゥー教徒の国で幻覚剤のすべてを網羅してきたあんたの昔の女だよはいかにも経験者らしく、ルーシーさん大丈夫⁈で旅する際の注意点と心得をレクチャーし始めた。
そうしながら俺のスケッチブックに使い古しの色鉛筆で、芽の伸びた玉葱の球根と切り裂かれた子宮と卵巣の合成物みたいな絵を描いて、それじゃあ良い旅をとかなんとか言い残して帰っていった。
しかしルーシーさん大丈夫⁈はぜんぜん大丈夫ではなかった。
俺に関する限り、まったく大丈夫ではなかった。
ルーシーさん大丈夫⁈は爪の先ほどの紙片にすぎず、猫とも猿ともつかない架空の動物のキャラクターが描かれており、それを言われた通りに半信半疑で舌の上に乗せた。
置き時計の秒針が600回くらい文字盤の上を旋回してそろそろ疑念が大きく膨らみだした頃、それはもう既に始まっていた。
まず始めに俺の握り拳の大きさに穴が空けられている壁に貼られたフィードバック仏陀の顔が、まるで火刑に処された蝋人形のようにどろどろに溶け出した。
すると見る間に黒い肌の下から鬼の形相が現れた。
そして血痕の付着したブラインドの隙間から、まるで皮下埋め込み式追跡コンピュータ端末を埋め込まれた累犯脱獄囚を炙り出すサーチライトみたいに強烈なギロチンライトが鋭く差し込み始めて繰り返し俺の下半身を切断しようとするので全裸でベッドで寝そべっていた俺の性器がまるで食用にするため皮を剥がれて蒸し茹でにされた種馬のペニスみたいに大きく膨らんで長さも太さも倍以上になり複数の女たちの寝汁と体液を吸って湿り気を帯びたシーツに亀頭の先から潜り込んでゆき、次に睾丸も含めた下半身のすべても臍まで完全に沈み込んで蟻地獄のように抜け出せなくなってしまったので、これ以前にも以降にも経験したことがないほど俺は頭が混乱して恐怖を感じた。 
それは、孤独という名の死の恐怖だった。

(以下、つづく)

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