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春分ですね

最近になり、随分と感覚に変化がありました。答え合わせをするように、内側での理解、統合のようなものが勝手に進み、より、今にいるという感覚があります。

人間としての生の中で、幾度も持ち越してきたけれど、今回は絶対に手放すと決めてきた課題があったとします。そしたら、どんな手を使ってもやり遂げると思うのです。わたしちは選び選ばれし生まれてきた魂。大げさなことなのではなく、ほんとうにそうなんだなと、最近よく思います。

2、3年前だったでしょうか、わたし自身がどうしても入り込んでしまっていた悲しみの意識層から、いよいよ抜け出ようとした時のことです。問題も、恐れもなく、ただ幸せな感覚でいた時、思考も止まり、感情もなくなり、「何もない」という感覚に入ったことがあります。何もないんだ、という感覚だけ(肉体は、ある状態ですが)そこでは、悲しみの行き場がなくなってしまいました。

その時、「全てが幻なら、生きている意味がないじゃないかぁぁぁ」と大泣きしたあの感覚を、今でも鮮明に覚えています。生きていることに意味を見いだしたい自分以外、何もなかった。けれど、わたしは消えてなくなったりもしなかった。きっとあの時、人間として体験してきた悲しみの、氷山の一角の見えている部分を、意を決して、包み込んだのだと思います。

そこから、過去が、どんどんと消えていきました。今では、思い出そうとすると、麻酔がかかっているみたいに頭のなかに靄がかかり、何があったか、どんな気持ちだったか思い出すこともできません。感情に蓋をしているわけでもなく、ほんとうに、何もなくなってきているのです。

過去を参考にして未来を創る必要がなくなってきています。そうするとどうなるかというと、自ずと、今を生き始めます。これが、これからの新しい時代の生き方なのだと思います。この新しい意識の層へ移行するために、過去への後悔と未来への心配を手放すということを意図し、長く取り組んできていたのですが、おそらく今はひとつひとつ拾い上げている段階ではなく、ひとまず「今を生ききる」と宣言するなどしたら、状況が変化してくるのではないかと思われます。

無力感、無価値感、その先に、何もないけど全てある世界が、ひとまず存在します。その先は、まだわかりません。全てお手上げになったときにはじめて、宇宙そのものである大きな自分との共同創造がはじまるようです。そのためには、人間のちっぽけな自分を、一度終わらせなくてはならないのです。

あの時一斉にとびおりたわたしたち。
そのときのひかりを、今、描いています。

やくそく通り、あなたに、あえますように。


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