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恨んだことも、よかったの

個展が終わり3日目の朝。一昨日から、山のように感情が出てきて、ちょっとすごいです(笑)ずっと恨んできたことへの赦しを意図したので、その追体験が起きています。

昨日はわざわざ被害者意識を増幅させて、職場で愚痴ってしまいました。あいつのここが嫌いなんだ、なんてことは、わざわざ人に言うことではありません。

わたしは、自分の内側の写しとして、外側の現象として捉えるので、意地悪な人が現れたなら(ラッキー)と思います。自分自身の内側にある、精算しきれない何かを見せてくれる人がやってきてくれたからです。

10年かけて、少しずつ解放してきたそれは、恨み辛み嫉み、そして、虐げるという行為。いわゆる、見えない陰湿ないじめ、これに光が当てられてきています。

その根源は、幼い頃に抱いた、こんな自分では生きている価値がないと思い込んだ勘違いによるもので、そしてそれは、完璧な人生のプログラム、シナリオ通りのことだとも言えます。

する、される、という次元を離れた時、虐げる、というそのエネルギーを別の次元で眺める自分が、ちっぽけな自分を抱きしめることができ、統合がなされていきます。

今日はアトリエオープン日で、最近花曼荼羅をはじめたお友達に教えてもらいながら、個展でいただいたお花を使って、花曼荼羅を作ります。すっかり萎れてしまいましたが、皆さんにも愛でていただいた、大切なお花です。

個展のタイトルであった『空を見上げて』は、『赦す』ということを意識してつけたものです。誰かを赦せず恨んだ自分。赦すのは相手ではなく、自分です。赦せずにいる、赦せずにいた、自分を、赦すということです。

それを意図したからか、今になり、憎んだ感情が、わんさか出てきています(笑)あの人のこと、こんなに嫌だと思ってたんだ…みたいな(笑)その現実を作り出し、こうして自身の光へと還っていく。凄い計画を、わたしたちはしてきたものだと感心します。

これももうきっと終わり。憎むという感情は、非常に重たいところにあるので、それを今まで大切に持っていたことや、その役をしてくれた人や、それにもめげず、誰のせいにもしなかった自分に、花を手向けたいと思います。

憎むことがなかったら、こうではなかった、その透き通った光を胸に、今から生きていけることが楽しみです。

わたしも、みんなも、ほんとに、よくやったね。

これで、ほんとうにおしまい。おめでとう。


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