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この子は「この子」。

今回は多様性を語るうえで、避けてはいけない話題についてです。
どんな立場からの発信だ、と思われてしまうかもしれませんが、マイノリティーな立場にあることは一緒だと思うので、思い切って言葉にしてみます。


「LGBTQ+」

最近になってよく聞くようになった「LGBTQ+」。
聞くようにはなったものの、あまり意識せず過ごしている方がほとんどではないでしょうか。

私は心身ともに女性として、男性のことが好きです。
だから当事者から見たら嫌な気持ちにさせてしまう表現があるかもしれません。
ですが、私が思っていることを伝えたいと思います。


学生の頃の出来事について

私は1度、同性から告白されたことがあります。
その頃はLGBTQ+なんて言葉どころか、そのような方々のことを稀有な存在として、メディアでも不適切に扱うような世の中でした。

友人は私に「あなたのことが好きなの」と真っ直ぐに伝えてくれました。
私は何にも考えず、「私もとっても好きだよ!」と答えました。

そうすると友人はボロボロと泣き始めました。
「勇気を出して伝えてよかった」と。
その子はあまり友達の多いほうではなかったので、それで泣いているのかな?なんて思っていましたが、次にでた言葉が「じゃあ、お付き合いしてくれますか?」でした。

頭が真っ白になってしまったこと、今でも鮮明に覚えています。
自分はなんて狭い思想の中で生きていたんだと。
そして軽率な自分の返答により、これから友人を深く傷つけることになるのだと。

結局、「ごめんね、今お付き合いしてる人がいて」と嘘をついてしまいました。
本当に情けないし、性的マイノリティーの話が出るたびにこのことを思い出します。
今ならもっと、うまく反応したり、いい返事ができたかもしれないと、幾度となく後悔しています。

私たちには、知っているつもりで知らないことがたくさんあると思います。

たとえば何気なく発する言葉。

「女の子みたい、かわいいね」
「ボーイッシュでかっこいいね」
「美人なのに、どうして結婚しないの?」
「女なら、早く家庭に入りなさい」

すべて悪気はないと思っています。
でも相手がどうしてそういう容姿・環境にいるのか、ちょっとでもいいから考える時間を設けるフェーズに、社会は動いてきている気がします。


以前とあるテレビ番組で、アンタッチャブルの山崎さんが話していた、とても印象深いお話があります。

よくベビーカーを押していると、「可愛らしいね、女の子?男の子?」と聞いている場面に出くわす。
これからは「それはこの子に聞いてください」という時代なのではないか。
自分の性別や嗜好は、生物的要素以外自分で決めることができるのではないか。

とても感銘を受けました。
私たちは見かけだけで他人を男性や女性と無意識に判断し接していますが、その何気ない行動によってもしかしたら相手を深く傷つけているのかもしれません。

映画『グレイテスト・ショーマン』にもそんな側面を私は感じています。
他人のことは、見かけだけではどうしても判断できません。それは仕方がないことですし、安易に触れるべきことでもないだと思います。

でも、こういう意識を持って接していくうちに、何か変わることもあるのではないでしょうか。

相手の性別によって何か大きな影響を及ぼす場面は、実はそんなにないと思います。
相手を一個人として、〇〇さんとして、接する社会が当たり前になる日が来るためには、私たちが変わるべきなのかもしれません。

マイノリティーであることが、社会的弱者とならないように、私自身も一個人として、意識しながら生きていきたいです。

マイノリティーな立場だと、なかなか声をあげづらいのが世の現状です。

わたしたちは「カラスは黒い」と思っていますが、それは単に白いカラスをみたことがないからであり、「カラスはすべて黒い」とは言い切れないのです。

白いカラスが発見されたとき、捕まえて見せ物にするような世の中ではないことを祈ります。

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