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自分の人生を生きる

宇宙飛行士選抜試験に向けて準備をしていると、自分を見つめる時間であったり、勉強で躓いたり、誰しも落ち込むことはあると思う。人間は基本的に弱い生き物なので、一度落ち込むと闇から抜け出せなくなる場合もある。
過去の色々な記事を参照してもらえれば、私がこれまで幾度となく闇の沼に溺れたかわかっていただけるかもしれない。


今回はそんな闇からの脱出方法を書いてみようと思う。
おそらくだが選抜試験を受ける方の中には、これまでたくさんの努力をしてきて自分の理想の道筋通りに人生を歩んできた人もいると思う。苦労はされているのだろうけど、少なくとも私から見れば華々しい経歴の持ち主が山のようにいて、それだけで萎縮してしまう。
そんな闇の沼と無関係だった人にもぜひ読んでいただきたい。



1.本物の自分と対話する

この選抜試験を闘い続ける上で、自分の過去や生い立ちを振り返る機会は多々あったと思う。その時、あなたは「本物の自分」を見ていたか振り返ってみてほしい。おそらくだが、多少美化された理想混じりの自分を「本物の自分」だと思い、そいつと対話してきた人のほうが圧倒的に多いと思う。なぜなら、人間は自己肯定感を失うと立っていられなくなるほど弱くなってしまうから。きっと意識して向き合わなければ、無意識に自分の辛いことや欠点からは目をそらすように脳が気を利かせているような気がする。
まずはそんな脳に言ってやる。「本物の自分を見せろ。お節介はいらない。」きっと脳は「傷つくとわかっているのに馬鹿だなあ」と思いつつ、渋々鍵を開けてくれるだろう。まずはここからスタート。



2.自分の「闇」を受け入れる

さて闇の扉を開けると、逃げたくなるほどのトラウマ、欠点、弱さ、そういうやつらが不敵な笑みを浮かべながら近づいてくる。
最初は逃げてもいいと思う。ただそこに「存在する」ということを認識するだけで、自分の闇を知らない人間よりレベルアップしているはずだ。布団に潜るなり、泣くなり、ケーキを食べまくるなり、なんとかして自分の心のHPを回復しよう。無理に闇の中を進む必要はない。そんなことしたらきっと負けてしまう。最初に述べたように、人間は基本的に弱い。

ある程度回復したら、また闇の部屋に行ってみる。最初に入った時点で怖い場所だということはわかっているだろうから、今度はもう少し長い間居座り続けられると思う。とは言え怖い感情は消えない。仕組みを知っているはずのお化け屋敷に何度入っても怖いのと同じ。怖いものは怖い。


闇を見る→回復する→もう一度見にいく。
このサイクルは何度繰り返してもいい。少ないほど人間が強いとかそういうことではないし、そういう人は見るべき闇をまだ見逃している可能性がある。闇の部屋にもっともっと深い闇の部屋がある可能性もある。それならばそこの鍵もちゃんと開けなければいけない。
もし「こんなの怖くもなんともない」と闇の中を進んでいける人がいるならば、本当にそこが「闇の部屋」で合っているか確かめたほうがいい。
生きてきて嫌な思いをしなかった人間なんて、私はいないと思う。


3.闇と向き合う

2が完了し、闇の部屋にある程度居座ることができるようになったら、今度は闇一つ一つを観察してみてほしい。これも苦しい作業だ。逃げてもいいし、2に戻ってもいい。それは後退ではない。何事にもクールダウンは必要だ。この作業においてレベルダウンする工程は一切ないので安心してほしい。


では本ステップの主題に戻り、闇を観察してみる。「あの時これが嫌だったなあ」「これ苦手だなあ」「自分はまだこの傷が癒えてなかったんだなあ」。それくらいふんわりでいい。凝視すると身体に悪い。
単純にぼんやりと、ただそこに存在するものとして闇一つ一つを見ていく。間違っても「これはもう克服したから闇の部屋にいるのはおかしい」なんて強がってはいけない。闇を闇としてその部屋に振り分けているのは「本物の自分」であって、強がりの自分ではない。本物の自分の判断を疑ってはいけない。本物の自分は優しいから真実を見せないように、庇うようにして過ごしているけれど、判断を間違えることはない。そいつが闇と判断したのなら、それは紛れもない闇なのである。



4.闇を解き放つ

3が完了するということはつまり、大体自分の闇を客観視できたということである。そうしたら「どうすればこの闇を追い出せるか」と本能的に考えると思う。しかし残念ながら、闇は追い出せない。なぜならその闇たちは、事実に基づいた結果そこに存在しているものだから。過去を書き換えることはできない。それこそ自己暗示であり、本物の自分と向き合っていない証拠である。闇と向き合う際は、決して本物の自分とはぐれてはいけない。

そこで闇を「解き放つ」という思考に転換してみる。つまり闇の部屋から出す。記憶や体内から追い出すことではない。自分の中のどこにいようとも、自分に危害を加えてこない状態にする。もっとわかりやすくいえば「闇の部屋をなくす」ということである。くれぐれも破壊はしないように。破壊したい気持ちはわかるが、本物の自分ならそんな荒っぽいことはしない。破壊とは怒りの一種であり、闇と向き合っていない証拠である。だからちゃんと闇が出ていくのを見届けよう。全ての闇が出ていくのを確認してから、闇の部屋をなくす。闇には今後自分の中を自由に生きてもらう。共存していくことを目的にする。

闇を解き放ったらどうなるか。とても痛い。ズキズキする。当たり前だ。ガラスの破片が血管中を駆け巡っているようなものなのだから、痛くて当然。痛くない人がいるならば、闇の部屋をもう一度覗きに行ってほしい。まだ隠れているやつがいるはずだ。そいつらを全部解き放たなければいけない。

この工程はまた自分をかなり消耗する。2と同じく何回も繰り返しながら少しずつ解き放ったり、回復したりを繰り返してもいい。それは自分が弱いということではない。きちんと向き合っている証拠だ。大丈夫、確実にステップアップしている。



5.闇に対し無関心になる

これで最後のステップ。愛の反対は憎しみではなく無関心である。すなわち目指すは闇に対し「無関心」になること。身体中を駆け回っているのに出くわしても、平常心でいられるようにすること。斜に構えて会釈したり、絡んだり、殴ったりしているのは自分を強く見せようとしている証拠。そんなことしているうちはまだ憎しんでいる。本物の自分はそんなことしない。
反対にすれ違うとき、怖くて震えてしまうようならば、3に戻る。これも先述の通り、後退ではないので大丈夫。真に向き合っている証拠であり、つまり前に進んでいるということである。


後退することをランクダウンしていることと誤解する人がいるので、一応私の解釈を添えておく。例えば道を進んでいて、行き止まり(ここでいう恐怖など)に出会ったらどうするか?他の道を探すだろう。行き止まりなのに「自分はここを進める」と壁を登ったり立ち入り禁止区画に入るのは強さではない。ただの馬鹿。馬鹿になったら救いようがない。痛覚がなくなってしまうから。壁を登って崖から飛び降りていく自分を、本物の自分はどんな顔で見ていると思う?勇敢だと賞賛していると思うか?そんなわけがない。きっとすごーく呆れて、そして残念がっていると思う。本物の自分に見放されるようなことは絶対してはいけない。心が壊れてしまう。

本題に戻り、無関心になる方法を伝える。私の場合「瞑想」がよく効く。紙に嫌なことを書いてグシャグシャにして捨てる、という方法もよく耳にするが、私には合わなかった。自分の嫌なことを書いている時間もボールペンのインクも紙も無駄にしている気がして、闇が増えてしまった。
瞑想とは、頭の中を空にすることではなく、自分の感情をただそこにあるものとして捉えることである。闇を思い出したら、「あーあいつがあそこにいるなあ」と思って、ため息をつく。ため息と聞くとネガティブなイメージがあるが、瞑想の中では何回ため息をついたって構わない。その代わり、吐いた分だけポジティブな息を吸うこと。これを繰り返す。どうしても闇が頭から離れずついてきてしまうようなら、一度自分の身体や呼吸に意識を向ける。身体のどこかに力が入っている可能性がある(私の場合歯を食いしばっていることが多い)。その力を抜くと、身体の道の通りが良くなり、闇が流れていく感覚がある。これを続けよう。

また究極的に言ってしまえば、改まって瞑想の時間を設けなくたっていい。嫌なことが思い浮かんだら、そいつがそこに留まる前にため息をついて流す。これを習慣づけていけば、いつの間にか闇と共存できるようになる。
闇と友達にはなろうとしなくていい。闇は改心することはない。闇はどうしたって闇なのだ。無理に変えようとしなくていい。だからこそ最適な行動は「無関心」だ。



SNSを見ていると、他人の良い面ばかりが見えて、「自分はどうしてこんなことでことでクヨクヨしているんだ」と、劣って見えて落ち込むことがしばしばある。
でも自分は自分。他人と比べる必要はない。というか、別の人間なのに比べるという発想が間違っているようにも思う。
自分と向き合い、自分を大切にし、自分を受け入れる。
そうすれば自分でも驚くほど、他人なんてどうでもよくなるものだ。
自分の人生は、自分だけで唯一決められるもの。
あなたにとって素晴らしい毎日を送れますように。


闇と闘い続けてきた傷だらけの、元気なSpicaより。
※宗教家ではありません。

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