疎開と還送

個人的な好みなんだけど、どうも官僚的で好きじゃないのよね、
富士川金二。

でも、博物館資料の疎開と還送についての記事は他では読んだことないかも。(新聞では見たことあるけど、テキストでは見たことなかった)

ああ、富士金は地方分散疎開の担当者だったのか。

まず昭和17年4月東京府下横山村御料地内の倉庫をその一場所として選び、資料の一部を移送保管したのであるが、(略)
昭和19年3月から第2陣として、福島県翁島高松宮別邸を拝借し、ここに主に社寺および個人所蔵者からの委託の国宝、重要美術品を移出収容したおである。(略)
 博物館はこの間やむなく閉鎖され、館員は疎開先にそれぞれ分班派遣され資料の管理に当ったのである。(略)
 終戦とともに移出疎開の美術品の還送が企画されたが、当時連合軍の駐留という事態の推移は、さまざまの難問題を抱えたのであるがあらゆる万難を排し、ことに駐留軍の好意と助力を得て概ね企画の通り、昭和21年1月ごろより搬出をはじめ同年7月までに全部を還送し終えたのである。

富士川金二『改訂増補博物館学』1971,p56-57

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