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生きるとは。

今朝誤って削除してしまった記事の再掲。
2002.3.29に書いた記事です。
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珍しく母がある映画を観たい、と前から言っていたので、今日はある講座を受けるために午前半休をとっていたところ、春休み全休にして、映画の予約をしていた。

その映画は、昨日、アカデミー国際長編映画賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」。

滅多に映画を観に行くことなどしない母が、大分前から気になると言っていて、アカデミー賞の候補に入ってからは「気になる」とよく口にしていて。

既に他界している父とは、共に過ごした時間が少ないなか、ともに何をしたかと思い浮かぶのは、「映画を一緒に観る」か「図書館に一緒に行く」だった。一方、母とはその経験がほぼない。

「この映画観てみたいな。」とつぶやく母を前に、これはチャンスかもしれないなと思った。

「お休みとるから、平日のシニアが安い日に一緒に行かない?」と誘ったのが先週末のことだった。

私にとっての母とのちょっとした初めて。
この年にしてもそんなことがある。

そして、ともに「ドライブ・マイ・カー」を観て。

ともに同じタイミングでかばんからティッシュを出している私たち。

観終わったあと、感想をゆっくり話しながら、年齢と抗がん剤の副作用で歩くのがゆっくりな母のペースにあわせて歩いた。

お花屋さんによって、花のかわいさを楽しみ、花を買って帰宅しお茶をのみながら、また映画の話をする。

「生きるってそういうものよね。やってはいけない、いただけないことはあるけれど。」
が母がはじめに伝えてくれた感想だ。

生きるとは何か。
人とともにあるとは何か。
愛する人を愛する、受け入れるとは何か。
相手のすべてを知ること、分かり得ることはできない。けれども、それがなんだというのか。

人間というもの
私たちはみなそれぞれにさまざまを抱えている。そのなかに美しさがある。

そして、私たちはどんなことが、この人生に向かってこようとも生きる。
ひとりではなく、自分というものを取り囲む社会の中で。

どうであっても生きていく。
生きる。

私はそんなことを受け取って、母ともそんなのことを話したりした。

ふたりで会話をする中で、生まれた認識は

「自分の人生は自分でハンドリングする。けれども、しているようでできていないこともあるし、時に他者のハンドリングで見える世界がある。だから、ひとりよがりにならないことね。」だ。

私と母の初めてのふたりだけの映画館での映画鑑賞はとても豊かな時間となった。

何か父の存在をそこに感じる時間でもあった。
父亡き後、さまざまなことがあり、今も生きていると大小さまざまなことが私たち家族の前には訪れる。
それでも、私たちは命がある限りなんだかんだ生きるのだ。
ドライブは続いていくし、続ける。いつか終わりがあることが分かっているが、いつ終わるのかわからない旅。

ただ、私にはそこに共に旅を続けている家族がいて、これから共に旅をしたい仲間、大切な人々がいる。
そして、他界した父もこうしていつもそばにいる。

なんと、ありがたいことなのか。
生きるとは、苦しみに遭うことでもあるけれど、そのなかの美しさにも触れ喜びを知ることのできる素晴らしい体験なのだと感じる。

死ぬとわかっていて生きる、の意味がまた少し深まった。

Miho with love

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