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1か月

とても長いひと月でした。

こんなに人と話した一か月はないかもしれないと思うほど、多くの人と直に話したり、SNSで連絡を取り合ったりしました。とにかく話すことで救われました。今、夢だったのではないかと思うほど先月のことが遠く感じます。

先日発売になった「文藝春秋」の渡辺保さんと関容子さんの記事を先ほど読みました。猿之助ファンの方がTwitterで’少し救われた’と紹介されていたのを見て読む決心がつきました。私も救われたい。だいぶ前に手元に届いていたけど、やはりなかなか読もうと思えず今日になってしまった。

TVやネットを全く見ていない人はやはり読まないほうがいいかもしれない。私は「そうなんだ」と知った箇所がありましたし、やはりネット記事をベースにしている部分などは心が痛かったです。

それでも一か月経った今だからこそ冷静に読むことができました。愛ある文章だと思う。事実がわからないままお書きになるのは大変なことかと。渡辺保さんの「猿之助を励ます会」の発起人になってもいい。。というくだりは泣きました。でも、全体的にどこか歯がゆく思えて寂しくもありました。保さんも関さんも猿之助さんに近しい人ではないので当たり前のことなのかもしれませんね。

そして。。読んでいても、風の便りで耳に入る言葉も、思うのは猿之助さんだって役者である前に一人の人間だということ。

亀治郎時代からマスコミの取材やSNSなど好きではなかった人が、近年、ここまでサービスする人になったのはどうしてなのか、何のためなのか。様々な思いをして長い年月を経て今がある。

5月18日にネットで流れた記事は読んでいないけれど、もし記事に傷ついたのなら私は信じます。猿之助さんは居直るなんてできないと思う。’被害者’の方がいるかもしれないのに。。と言われると思うけど、その被害者の方の存在が見えない限りはこういう言い方しかできません。

ああ。。結局のところ、何かを読むと考えることが多くなってしまいますね。


私たちにも、猿之助さんにも、等しく時は流れていきます。同じ時を生きていることが励みです。

私は信じ切ることができる。そして、信じ切ったからこそ見える世界を見てみたい。ファンの私だから書けることを、これからも書いていきます。

明日からもまた、前に進みます。


aya


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