「ソナタの系譜」考
二年程前ですが、ある方とお喋りをしていたとき、「これからソロリサイタルをするなら、どんなプログラムにしてみたいか」といったようなことが話題になりました。当時の私の考えは次の通りでした。
我ながら「着眼点としては悪くないかな」と今でも思っています。誰も褒めてはくださらないので、自分で自分を褒めておくことにします。
それにしても、口にするだけなら簡単なことですが、実際のところ、意志薄弱な私、二年程前に思いつきで口にしただけで、以後実現に向けた行動をとることは殆どありませんでした。現時点において、このプログラムの本番予定は影も形もありません。
どなたか、このプログラムを気に入って弾いて下さる方がいらっしゃらないかしら。もし、弾いて下さる方がいらっしゃるなら、私ぜひ拝聴したいです。
それはともかく、思いつきだけがあって、形にならずに今に至っているこの幻のプログラム、実は、リサイタルの実現という意味ではなんら成果に結びつくものはなかったものの、私にとっては、以来いろいろと「考える」きっかけを与えてくれたのです。今日は、そのあたりのお話を少しだけしてみたいと思っています。
まずは、このプログラムの特徴を少し見てみましょうか。多くの方にとっては釈迦に説法でしかないでしょうが、とりあえずは気がつくところを列挙してみますね。
ソナタといいながらソナタ形式を含まない楽曲が2曲もある(モーツァルトとベートーヴェン)
モーツァルトとベートーヴェンの冒頭楽章が変奏曲形式である
ベートーヴェンとショパンのソナタでは第3楽章に葬送行進曲が置かれたのち無窮動な第4楽章が続く
ソナタ?変奏曲? - あれそれ前回の投稿の話題では?
はい、ご明察です。前回の投稿では、ハイドンが彼の不朽の名作となる変奏曲 Hob.XVII:6 において、「複数楽章から構成されるであろうソナタの一部として変奏曲を書き始めたようだ」ということについて言及しておりました。ここに挙げたモーツァルトやベートーヴェンのソナタの場合、第一楽章が変奏曲形式、しかもアンダンテの主題。まさに、ハイドンの変奏曲との共通項が見られそうです。
マーク・エヴァン・ボンズは、著書『ソナタ形式の修辞学 古典派の音楽形式論』において、「18世紀にはソナタ形式の正式な定義はなかったので」と明言していますし、ウルリヒ・ライジンガーは、ウィーン原典版(『ハイドン ピアノ・ソナタ全集 4』)への序言の中で、「モーツァルトはすでに1775年には、2つの早い楽章とひとつの緩徐楽章からなる3楽章制によってひとつの規範を見出しており、それ以降はほぼ例外なくこの基準を守った。いっぽうヨーゼフ・ハイドンは、楽章の数と順序をめぐって飽くなき実験を続ける。(中略)第1楽章は第2楽章よりも遅く、いわゆるソナタ形式をとってもいない。これらのケースでハイドンが採用したのは、長調の主題およびそこから派生した短調の主題に基づく変奏曲の - 時には二重変奏曲の - 楽章である。(中略)ソナタ形式が用いられた場合でも、形式の扱い方は個性的である。(後略)」と指摘しています。
なお、二重変奏曲といえば、前回投稿の変奏曲 Hob.XVII:6 が最も有名でしょうが、ロンド形式と説明されることもあるト長調のソナタ Hob.XVI:40 も、上述のライジンガーの指摘通り、長調の主題およびそこから派生した短調の主題に基づく変奏曲形式と見ることができます。つまり、ハイドンにしてみれば、こうした二重変奏曲を「ソナタ」という楽曲に組み込むことにさほど抵抗はなかったのだろう、という推測が成り立ちます。
ここで、ふと「ソナタ」とは、当時の作曲家にとってどのような楽曲であったのだろうか、という素朴な疑問がわいてきます。緩やかな枠組みのようなものはありながらも、もう少し自由度のある楽曲(楽章)の集まりととらえられていたのではないのか。
いつも思うのですが、歴史的な事象を扱う場合、我々の時代の人間は知っているけれど当時の人間は知らなかったこと、今では当たり前とされていることが当時は当たり前であったとは限らないこと、逆に今では忘れ去られているけれども当時の人は当たり前に知っていたこと、そういった一種の「齟齬」の類の存在を無視できないということですね。ベートーヴェン以降のソナタの存在を知っている我々の世代は、ときとして大きな勘違いをしてしまいがちなのかもしれません。
そういうことであれば、やはり西洋音楽史の流れや、背景となる社会文化史的な要素も含めて、改めて理解する必要があるということなのでしょう。
ソナタというジャンルの成立過程についての詳細については専門書等に譲るとして、ここではごく簡単に言及しておきますと、イタリア語の sonare (「演奏されるもの」といった意味)に由来すること、バロック時代に器楽演奏ジャンルとして確立したこと、調関係を軸とした複数の楽曲を連続して演奏されることが一般的になったこと、等の事情を理解しておく必要がありそうです。
そういえば、日本に西洋音楽が伝わって間もない頃は、「ソナタ」は「奏鳴曲」と訳されていましたが、結構よく出来た訳ではないかと今さらながら思いますね。
随分小難しい話が長くなってしまいましたが、今回挙げた3曲は、西洋音楽史において「ソナタ」というものが、ある程度パターンのようなものを踏まえつつ、同時に作曲家の創作自由度を加える余地がある楽曲を連ねたものとして認識されていたのではないか、ということが見てとれる好例だと思います。
【参考文献】
マーク・エヴァン・ボンズ 著 土田英三郎 訳 『マーク・エヴァン・ボンズ 著/土田英三郎 訳』 (音楽之友社・2018年)
ランドン校訂・ライジンガー改訂・レヴィン改訂・堀朋平訳『ハイドン ピアノ・ソナタ全集 4』 (音楽之友社・2013年)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?