美味しくいただきました

ぼくの家は貧乏だ。
日本人を10人集めたら、下から3番目には入るぐらい貧乏だ。
お風呂場の屋根が突然なくなったり、家に歩いてるダンゴムシをおやつにしてみたり、寝ていたら知らない猫がお腹の上に落ちてきたりするぐらいには貧乏だ。
#貧乏エピソードには困らない

そんな貧乏な中でも、誕生日だけは毎年必ず美味しいご飯とプレゼントでお祝いしてくれていた。

でも、ぼくは食べたいものを聞かれても、欲しいものを聞かれても、「ない」としか答えなかった。
心の中では、うなぎが食べたかったし、ゲームが欲しかった。
幼少期から家計が苦しいことを感じていて、毎日体を酷使しながら働いている母さんを見ていたから、口が裂けても欲しいと言えなかった。
食べたいもがないフリ、欲しいものがないフリをし続けた。
#この影響なのか、今は本当に食欲と物欲がほとんどなくたった

でも、どれだけいらないフリをし続けても、毎年誕生日には好きな食べ物、プレゼントは続いた。
いらんで!と言っても、毎年続いた。

ぼくは母さんが気を使っていると思っていた。誕生日に何かしないといけないと、無理をさせていると思っていた。
そうやって無理をさせることが、ずっと心苦しかった。

昨年の丁度今頃、実家に帰ったときに母さんからある話をされた。

「私はな、子どもに気を使われることが1番嫌やねん。自分の子どもは何歳になっても子どもやから、わがまま言っていいねん。誕生日は、私がお祝いしたくてお祝いしてるし、生まれてきてくれたことに感謝してるねん。だから、気を使わんとって。」

ぼくが気を使っていらないと言っているのはバレバレだった。
無理している訳じゃなくて、心から祝いたいと思ってのご飯とプレゼントだった。

このときから、ぼくの毎年の誕生日は母さんに甘える日であり、産んでくれたことに感謝する日になった。

今日(9月13日)ぼくは26歳になった。
直接言うのは恥ずかしいので、毎年感謝ノートというのを書いて、お世話になっている人に感謝を記している。

朝家で感謝ノートを書いていると、身に覚えのない宅配が届いた。
母さんからの贈り物で中身はうなぎだった。
嬉しさと感謝を噛み締めながら、今日の夜ご飯はうなぎを食べた。

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