世帯所得が学生である自分のバイト代のみの状況と他人との比較による劣等感。


うちは4人暮らし。
もうじき90歳になる祖父、同じく90歳になる認知症であり難聴の祖母、61歳のおかん、大学4年の自分である。

祖父母は年金暮らし、おかんは定年退職、自分は学生の身分でバイト代かメルカリでなんとかやりくりしている。

ふと社会人野球の先輩と話をしていて「シングルマザー」の話になった。

自分は父親の存在すら知らなかったが、先輩も「俺も親父に会ったことないんだよね」と話していた。

そこからシングルであり世帯収入が自分のバイト代のみの状況について深く考えることになった。

今まで山に捨てられてもおかしくないぐらい、いや本当に家族に見殺しにされてもおかしく無い程散々迷惑をかけていた。
身内にも「お前はいつか間違いなく刑務所だな」と幼児の頃から言われていた。

地元の中学に進学しようとしたが、先生や精神科、身内、そこら中のオトナから「地元にいたらお前は間違いなく刑務所だ。地元を出て新しい環境に身を置け。」とアドバイスをもらい中学から私立に通わせてもらっていた。

加えてその中で好きなことをやらせてもらっている状況に感謝をしていた。

しかし、高校、大学と進学するにつれて他の家庭状況を耳にすることが増えた。
例えば、お年玉をたくさんもらった話、好きな食事を出してもらえる話、入学祝いや卒業祝いを買ってもらった話、大きなイベントではご両親にお金を出してもらってる話、車を持っている話、家族が運転できる話、休日はどこかに連れて行ってもらえる話などだ。

ここで気づいたことがある。
それは、【世間ってすごく裕福で、周りの家庭が当たり前に出来てることが自分の家庭では出来ていないんだ】ということである。

何が一般的かは分からないが、話を聞いてるとどこかうちの家庭は違う。恵まれていないわけでもネグレクトなわけでもない。
しかし、なにかが違うのだ。

休日にどこかに行ったり、お小遣いを貰ったり、休みの日は公園で親父とキャッチボールをしたり、親父に肩車してもらったり、家族みんなで食卓を囲んだり、当たり前のように好きな食事が出てきたり、1日の中で好きな時間に風呂に入れたり、車で親父やおかんにどこか連れて行ってもらえたら、ある場面でご両親からお金を出してもらえたりなど、自分はほとんど経験をした事がなかった。

他人の話を聞けば聞くほど、「世間の家庭ってすごく幸せそうだな」と感じるようになった。

ただ、大事なことなのでもう一度言うが家族には本当に感謝している。
家がある、水を飲める、ご飯を食べれる、寝床がある。
これだけで本当に本当に幸せだと考えている。

ここまで話してきた通り、自分で死に物狂いでなんとかするしかない状況にいたからこそ、今の自分があるのだと思う。

例えば、毎日トレーニング、毎日体のメンテナンス、全力で遊ぶ、1人でどこかに出向く、全力で勉強、自分の子供ができた時に伸び伸びさせてやりたい、お金の心配をさせたくない、強い親父でいたい、公園に連れて行ったり肩車したり何気ない日常を過ごせるようにしてあげたい、周りと比較してしまった時に劣等感を感じないぐらい充実させてあげたい、いつでも守ってあげられる親父でいたい、など。

もちろん現実はそううまく行かないということは痛いほど分かっているが、同年代と比べ物にならないくらい苦しい思いをしてそれを乗り越えてきた自信がある。

来る日も来る日もプレッシャーと闘っている。
苦しいがそれが魅力的な人間になるための試練だと考えて戦い続ける。



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