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7年間を振り返って③

さて今回は1回生の時の話です。
RAVENSに入ることを決めた上で入学したので、確か1回目のタッチフット大会で入部宣言しました。2回あり、両方ともたまたま自分のいたチームが優勝したので、QUOカードもらいました。未だに使えず残っています笑。ゆうまのパスをキャッチしてTDしたのは良い思い出です。
その後は食費を抑えようと入る気も無いのに新歓巡りしてました。すみませんでした。

活動が始まったのはGW明け、5月からでした。最初の1ヶ月は走りものとムーブメント尽くしでした。入部当時の身長体重は178/75でした。ただ、6/30にあったフィールド測定を見返してみると、178/87で、垂直跳び75cm、40yd5.1秒、立ち幅跳び270cm、BSQ145kg、PU97kg、CU92kgとなんと中々元気でした。記憶が正しければ6分間走では学年Topだったような気がしてます。たぶん調子に乗ってました。
走りものに混じってたまにポジション練習がありました。今思えば適正を見るテストな訳で、やりたいポジションだけ頑張るのが正しい選択だったのかも知れませんが、当時は何にも考えずにとりあえず全部頑張ってました。となると、自然と高校時代のポジションであるOL/DLは上手にできるわけです。(とは言っても今考えるとクソみたいな動きでしたが)
さて、待ちに待ったポジション発表です。正直に、トップボーイのDLだぜ、DLしかあり得ないだろとまあガッツリ思っていました。実際、その少し前、とある4回生には「お前、DL/LBらしいよ」と言われていました。しかし当日、発表前のタックル練習で、ある先輩がからかい気味に「お前OLらしいぞ」と。不安がよぎります。
「上田武蔵、OL!」悪い予感というのは当たるものです。理由として挙げられたのはOLの方が向いてるように感じたこと、そしてチーム事情でした。当時OLの先発4/5が4回生で、2.3回生が合わせて3人しかいないということで、OLが優先されたというのはまあ確かに合理的な理由でした。とはいえ、当時はラインズの経験者の1回生が4人いて、2:2で配属されたわけですから、今思えばまあDLとしての適性がないとみなされたのでしょう。そうはっきりと言ってくれれば良いものですが、まあ言いにくいものでしょう。チームのことを考えてくれということでした。他にも希望通りで無い人はいっぱいいるんだという話をされれば何も言えなくなります。何度も話し合いの機会を持ってもらい、コーチとの話し合いもしましたが、一回やってみて、リャンメンになれば良いじゃ無いかと、上手く丸め込まれてしまいました。確かに前述した遠藤先輩は2回生からDLに転向したとか、実際当時の4回生にもリャンメンの人はいて、現実味がゼロという話ではありませんでした。一方、自分の場合は高校時代でOLが苦手すぎることは分かっていましたし、そんな特別な身体能力があるわけじゃ無いから無理だと、単純に心が折れていました。
そんなわけで、前回挙げた中身の伴わないプライドはあっさり折られ、OLとしての日々が始まります。こんな風に書くと死ぬほどOL嫌いやんと思われるかもしれません。言うてそれほどではなく、1対1で相手を青天させられれば楽しいですし、NFLなんか見てるとOLかっけえなあとなる人です。とはいえ、なんでこんなスポーツ続けてるかなと考えたとき、出てきたのが、タックルを決めて、会場が湧いて、仲間が駆け寄ってくる、あの気持ちよさが味わえるからでした。そのチャンスがまだあったのがキッキングであり、こんな動機でキッキングにのめり込んでいくわけです。

今日はこんなところで、また。

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