7年間を振り返って⑨

さて代が変わって12月。新3回生としての練習が始まります。自分自身は未だにリハビリ生活で、ようやく少し走れるくらいになったかなってくらいだったように思います。新2回生が加わって練習が進んでいきます。結構悲しかったのが、そこまで指導してきた新2回生のOLがポロポロと辞めていったことです。理由はそれぞれ色々ありましたが、何も出来なかったと無力感に襲われてました。
キック関連では、前サブリーダーやったし、リーダーあるかな?と薄く期待し、ワクテカしてましたが、12月中はお声がかからず、メニューなんかに携われなかったのでウズウズしていました。中央戦踏まえたらKRかなぁなんて考えて、思案していました。
年が明ける前だか後だか忘れましたが、年内の練習が終わった後、正式にKRリーダーを任せてもらうことになりました。年明けの全ミで冊子に名前が載ってたのはちょっと嬉しかったです。とは言えそれ相応の責任が伴う役職なわけで緊張もしていました。
中国でコロナウイルスなんてものが流行っているなんてニュースを小耳に挟みながら、最初の大仕事に取り掛かっていました。最初の大仕事とは、2月の初めに、ヘッドコーチへ向けて、今年の方針と目標、基本のアサイメントを報告し、不備を突っ込んでもらうというものです。大体の流れは①昨年の反省を出す、②数値目標を理想と昨年の実績から勘案して立てる、③目標のために必要な工夫と、昨年の課題を解決するための工夫をそれぞれ考える、④ベースのアサイメントを考える、と言う感じでした。細かいことはあんまり言えませんが、ちょうどまだ3回生だし、来年もあるから長期的な目線で今後も残っていくベースサインを作りたいなってのと、マンネリ化するような練習だけはやめようみたいなことを考えていました。死ぬほどビビって準備しまくったおかげか、そこまで突っ込まれることはなく、無事に終えることができました。その後、選手に向けて同様のことを説明し、基礎練習へと進んで行きました。説明するとき、紙で配ったり、PDFにするのがめんどいし、見にくいだろうとラインのノートを使い始めたのはこの頃でした。
そうして、練習へと進んで行く中、同時に新歓へ向けての準備が始まりました。確かタッチフット大会の運営担当でした。
そんな感じで、練習も進み、新歓の準備も進む中、やつらは襲い掛かってきました。

covid19、通称コロ助です。

今回はこんなところで、また。

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