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7年間を振り返って②

2回目です。1回目書いたら意外にも色々お声をいただき嬉しいというか恥ずかしいというかという感じです。
さて今回は大学入学までの経緯を書けたらと思います。
前回、なんか1週間後にまたやりたくなったからアメフト部のある大学探し始めたなどとのたまいましたが、そんなことよりもっと大きな原因がありました。
それはハドルマガジンスーパースターというものに選ばれたからです。当時の記事がこんな感じでした。

これは何かというと、全国の高校を対象に、関東、関西それぞれ50人ずつのベスト選手を選ぶもので、Touchdown誌がやっていたトップボーイというやつをハドルマガジン誌が引き継いだ、まあ大変栄誉あるモノなのです。そんなものなのでまあ浮かれて天狗になります。意外と俺すごいんじゃ無いかと。もっと上のレベルでやってみたらどうなるんだろうと。
今思えば、試合で活躍できたのはコーチのサインが当たったからで、たまたまそれが自分だっただけで、技術やパワー、知識など何もなく、少しの根性があっただけでした。この勘違いは後々えぐい凶器となって帰って来ますがそれはまた後ほど。ちなみに下のは関東大会前のチーム紹介記事です。懐かしいです。

(余談ですが、生意気にもここでライバルとして挙げていた南陵高校藤田選手は法政大学へ行き、こないだの甲子園ボウルで大活躍してました。前回書き損じましたが、確か一戦目で南陵高校と当たりました。3メンだったので彼を3対1で押し込んで勝ったみたいな試合でした笑。個人的には再三パスプロ割ったのに、QBの平岡選手にかわされまくって走られた苦い思い出があります。)

てな感じで勘違いした状態でテンションが上がり、アメフト部の強い国公立を探すようになりました。確かちょっとトマ・ピケティに影響されてて、経済学んでみたいなのもあり、経済学部で探していました。東大京大は論外として、行けそうなとことして候補に上がったのが、神戸か横国かでした。
神戸を選んだわけは、違う文化圏行ってみたいなのもありましたが、一番大きかったのは公募推薦があることでした。これは高校の成績とちょっとした志望書を書くことで、ワンチャン2次試験受けずにセンター試験だけで行けるというものです。結果的にこれで受かったので御の字でした。(2次受けてないので良く見下されました笑)
神戸を目指すことが決定した、高3の夏、祖父母の元へ帰省する途中で、神大アメフト部の夏合宿の見学に行きました。その際見かけたのが、当時主将で学生日本代表DLであった遠藤さんでした。こんな風に俺もなってやろうと勝手に憧れていました。
さて、そんなわけで無事神戸大学に合格し、アメフト部RAVENSの門を叩くわけですが、入部して早速事件が起こります。

今回はこんなところで、また。

(ハドルマガジン様の記事を載せてしまってるので、怒られたら消すかもです。)

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