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7年間を振り返って④

さてキックに全力を尽くすようになるのはそんな経緯があったからですが、①で書いた通り、高校時代はキッカー/パンターもしておりました。なので、最初はその練習もしていました。入部してすぐくらいにシステム入って蹴ってみろなんて話も一回ありましたがなんか知らんうちに無くなりました。シンプルにボール蹴るのが好きなので、暇見つけて蹴りつつ、同期のサッカー経験者に教えてみるなんてこともしてました。すると、その中の1人が教えて数日でバケモノみたいなパントを蹴り出すではありませんか。才能ってあるんやなと思いました。日本代表は確実、NFLもいけるだろと本気で思ったのを覚えてます。そんな彼は努力を重ね、3年後ホントに日本代表候補になりました。早くNFL行ってもろて、あいつに最初にパント教えたんは俺やと自慢させてもらいたいですね。
少し脇道にそれましたが、そんな日々も束の間。OLとして、スカウトチームに入って2.3回目くらいのシステムで足首を怪我します。

引っかかってるやつです

2ヶ月くらいのアウトが確定しました。初めてのリハビラー化でした。アメフトの悪い文化の一つですが、リハビラーに人権はありません。二言目には何もしてへんヤツがと言われます。それをバネに頑張ると言うのが通例ですが、それで心を病むなんてことも十分あり得ます。今ではずいぶんマシになりましたがひどかったなーという思い出があります。
ようやく復帰できたのは8月中旬の合宿でした。アメフト部では通例、未経験者の多くは1回生の間、別練習となります。競技の特性上、身体ができていなかったり、基礎技術が十分に身に付いていない場合大変危険であるためです。復帰した当初はその別練習からで、ひたすら走って筋トレしてってのを繰り返していました。記憶に残っているのは、一回生だけでシステムをしてみようと言うことになり、その時DLが足りなかったのでそっち側で入り、タックルした時に、③で述べた説得してくれたコーチが駆け寄ってきてめちゃめちゃ褒めてくれたことです。照れくさかったです。
OLとしての練習もしつつ、キックでの猛アピールを始めました。まずはダミーチームからでした。器用なタイプじゃなかったですが、猪突猛進系が重宝されるのもキックのポイントです。KCのバスター、KRのキックアウトするE、PCのガード、PRのAギャップ、FG、FGrと全てのキックでとにかく入り続けました。この時がほぼ初めてでしたので、お世辞にも上手くできてたなんてことは一つもありませんでした。ただ、キックはシンプルにしんどいので、みんなダミーチームには入りたがりません(とっても良くない風潮です)。なので、機会はたくさんありました。合宿の思い出のもう一つは夜のビデオでのあれですが、この話はやめておきます。
さて、そんなわけで合宿も終わり、秋シーズンが近づいて来ます。高校の時は「合格したら秋シーズン初戦からDLでスタメン取って活躍してやる」なんてことを言っていたのを懐かしく思い出していたような気がします。
OLはやはり厳しく、上達する気配がありません。今考えれば、上達したいと本気で思って、そのための努力ができていなかったと言うことでしょう。どこかというか確実にやらされているという意識のままでいたのが強いと思います。そんでもってDLがやりたかったのにと思っています。ダブルのブロックを合わせる練習で、ダミーのDLとして台に入ることがあると本気でやり、とっても白い目で見られていました。合わせるのが目的なので、そんなことは全く要らないからです。当時は本気でやった方が練習になるだろという理論を建前にただただDLやりたいアピールをしているだけでした。当時の先輩方には大変ご迷惑をお掛けしました。この場を借りてお詫びします。そんなやる気なくて上達しないくせにDLやりたいアピールしてくるキショいやつは、いつの時期だか忘れましたが、ある日パートリーダーの方に呼び出されます。優しい口調で「申し訳ないけど、あまりにもレベルが低すぎて、スカウトチームでも使えない。未経験と一緒に練習しといてくれ」と。そんなこともありました。
そんなわけで秋シーズンの初戦、ユニフォームをもらうことはなく、ただの一回生として迎えました。同期で入った他の経験者は貰っていて、酷く恥ずかしかったように思います。
記憶があやふやですが、確か初めてユニフォームをもらえたのは4戦目の関大戦だったような気がします。このweekで、なんとFGrの1枚目を任してもらうことになったのがきっかけでした。本来DLが入るポジションですが、確か一つ前の京大戦weekの時にダミーチームで運良く何度も叩くことができ、目をかけて貰ったと言うような経緯だった気がします。この関大戦は大敗を喫しましたが、初めての出場を経験しました。練習とは違って、相手はデカくて強く、ダメダメでした。そのほかにも、PR、KR、KC当たりで2枚目を任せていただきましたが、このシーズンはついぞ出番は来ませんでした。
また、実はこのシーズン、練習中のダミーチームとして、DLとしてもやらせてもらっていました。前述のコーチからのお声があったとか、DLの負担を減らしたいからなど様々理由はあったのでしょうが深くは考えていませんでした。teamDではダミーチームのOLとして、teamOでは黄色帽を被ってダミーチームのDLとしてといった具合でした。OLの先輩方は強く、メタメタにされてました。コテンパンでした。でも負けず嫌いではあったので、逆にめちゃめちゃ燃えてたのは覚えています。とは言え、まずは本職のOLで上達し、戦力となるのが最優先なわけです。アフターでこそっとDLの練習なんてしようものならお説教が待っているわけです。ちなみに好きだったボール蹴りは足首の痛みでできていませんでした。
そんな感じのが初めての秋シーズンでした。

今回はこの辺で、また。

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