現役復帰までの道のり〜引退してしまった理由、その間に行っていたこと〜その2〜

その1で書いた事も引き続いて、書きます。

プロを目指す事は辞めはしたけど、その後もプレーはしてました。その後県リーグで2年やらせてもらって引退になるのですが、引退した時のチームで事件が起きるんです。

正直その年に引退をするつもりだったんですが、チーム側が面談すらしてくれずに、辞めて良いのか辞めちゃいけないのかわからなくてどう動いて良いのかわからなかった。

翌年に美浜区トレセンの監督に就任する事もあったり、伝える事に回ろうと考えて引退を決めていたのですが、面談をしないことには来季の事が決められず、その年を迎えて新体制で練習をするようになって数ヶ月後に明かされたのは、今季登録しないから、だった。ほんとよくわからない形での引退、そうこれが引退をした理由。今思えば、引退したのではなく、引退をさせられたって形。

そして、美浜区トレセンの準備をするのであった。実は美浜区トレセンが初めての監督だったけど、他の経験者にはない、プロのトライアウトを受けた事はかなりのアドバンテージだったし、プロになりたいって選手もいるだろうと思い、メンタル面、技術面等を伝えていこうとした。

最初の頃は、市のトレセンに行ってる選手達はそんなに多く参加せずに、やる気のある選手が多くて教え甲斐もあってすごく楽しかった。けど、ある時に事件が起きてしまう。

そう、市のトレセンに選ばれてた選手の多くが初めて俺の練習に参加することになるのだが、光景がありえなかった。グランドに到着したら、準備をする事もなくずっとお喋り、アップも全くせず、普段はグランドに出てこいなど言わないが、流石にあの時は。

明らかに舐めた態度で練習をしていたので、我慢の限界は超えていたけど、あまり怒鳴らないようにはしていたが、片付けの態度やその後の態度も俺が経験してきたことではありえなさすぎて、流石にこれは言わないとって思ったけど、当時21歳だった事もあって上手く言えずに感情剥き出しのまま言ってしまい解任。まぁ、仕方ないかと思う。

そして、本格的に審判を頑張ろうと思った時である。担当した試合を発表していくと
・2011年関東プリンスリーグ副審でデビュー
・2011年JリーグTM 副審デビュー
・2012年関東リーグ副審デビュー
・2012年天皇杯千葉県予選 準決勝副審2担当
・2013年千葉県強化指定審判員に

という風になっていきます。

審判活動を行っていて、大きな試合を任される事もあった。

先程書いてあった以外にも、千葉県であれば高校サッカーのレベルは非常に高い。その千葉県 U18リーグの1部の試合の首位攻防戦を担当した事である。その2チームは2年前まで関東プリンスリーグに所属していて、自分が初めて体験するような試合だった。けど、そういう試合に限って試合になると落ち着けるんですよね。

こういう時って、やってきたことをやる。そういう考えになるんですよ。

正直審判で見たことのない世界を立たせて頂いた事もあったけど、実は強化指定審判員は2016年までしかやりませんでした。

正直限界を感じてしまったんです。試合以外のところで見られてるということ、審判活動に専念をしていたつもりだったけど、毎週のように試合やら研修やらが凄くきつかった。

県以外からも審判を頼まれる事も多くなっていて、本来の自分を失くしていた気がしたんです。当時私がボールを蹴るような人だって思った人は自分の事を知る人以外は誰も想像できなかったし、ボールを蹴ることは一切しない人と思われていた。

ボールを蹴る事が一番好きだったはずなのに、ボールを蹴るイメージが湧かない人っていうのが正直信じられなくて、自分らしさを完全に失っていた。しかも、当時はボールを蹴る頻度は1年に1回あるかないかがザラだった。ゲームをやるのなんて、2年に1回あるくらいだった。それだけボールを蹴る事が減ってたし、もっと言えば避けていたのかもしれない。指導者をやっていた時にサッカーが嫌いになりかけてしまっていた。

終いには、3年半勤めた前職で辞める1年前くらいから土日の審判活動にまで影響が出てきて、このまま引退させられるんじゃないかな?とまで思った。

でも、ここまでやってこれたのは千葉県の審判員や選手たちが自分の事を励ましてくれるからこそ頑張れた。

仕事で心が失ってた時に気づいたのが
〜自分の事を本当に必要としてる人がいるということ〜
このことに気づくようになり、更には審判活動がしやすいように転職まで手助けしてくれるような人もいて、今のような生活を手に入れる事が出来ました。

やらされる生活、じゃなきゃいけない生活、コントロールされるような生活から、仕事終わってからのやりたい生活、これでいいという生活、自分でコントロールできる生活に変わっていった事で、ボールを蹴る機会も増えて、平日の夜に勉強会やあるいはトレーニング、そして個サルへの参加ができるようになったおかげでコンディションも良くなるどころか選手の頃のように戻す事が出来た。

そして、2回目に書いた現役復帰への道につながったのです。

次回〜スポンサー企業への思い、明日葉への感謝〜

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