現役復帰までの道のり〜引退してしまった理由。現役から離れていた間に行っていたこと。その1〜

私は、選手時代を振り返ってみると、最後自分の意思で引退したというより、引退をせざる得ない状況になってしまったということが大きい。

高校卒業してからは大学にも進学せず、就職もせず、専門学校にも行かなかった。

その理由は選手としてプロになりたかったからだった。

高校生の時にJリーグチームのセレクションを募集していたチームに応募してセレクションを受けた事もありました、その時初めて見た光景は、高校サッカーとはかけ離れた世界で、Jリーガーでも戦力外通告を受けた選手の生き残りをかけた戦いの場でもあった。その中に飛び込んでいった事は今でも覚えてます。

その時選手をやってて何も出来ない、むしろ何もさせてくれないって経験をしたのはほぼ初めてに近くて、初めて通ったスクールで周りは上手い選手で見た事もない洗礼を浴びせられた以来の経験でもあった。唯一その時は足下の止める、蹴る。だけは負けてなかった、基本の部分だけは唯一周りと比べても同じくらいだったかな、それ以外は全然ダメだった。

そんな経験をして高校卒業するんだけど、私は5人兄弟の長男で家は貧乏、働かないといけない事もあって、収入は3万円のお小遣いだけ手にしてあとは家に生活費を充てて生活をしてサッカーをやってた。選手をやりながらコーチもやってなんとか自分の活動できる資金、お小遣いの3万円でやりくりしてた。

当時19歳の時期ではあったけど遊ぶってなると、ご飯を食べに行くくらいだった。それ以外は練習、バイトを繰り返した生活だった。

当時のスケジュールは
9時〜17時 バイト
19時〜21時 練習
オフの日は月曜のみ、土日のたまぁに休みはあったけど、弟の所属してるサッカーチームのお手伝いをしたりしてた。

高校卒業してからトライアウトまでの間は、今まで本当に大嫌いだった筋トレをやるようにした。簡単な事だったけど、腕立て伏せを50回・腹筋を100回くらい週に2〜3回はやるようにしてた、まぁあの時は少し頑張った。

トライアウトを受けるチームが決まって、高校生の時にもFリーグのチームのトライアウトは受けてたが、今回は初めて関東を飛び越えて、東海地方のフットサルチーム、Fリーグのチームで当時からプロ契約をするチームだった。

移動手段は今思えば考えられない手段だった、夜行バスで前日に移動して22時くらいに名古屋に着いて、ご飯食べてすぐに就寝ってスケジュールだったのは覚えてる。

トライアウトは13時からだったので、さらに当時は19歳だったので前日のコンディション等の影響など全くなかった、トライアウトの方式は受験生だけで行う方式ではなく、そのチームのサテライト選手とゲームに混ざって行うやり方だった、ゲーム始まって、ファーストプレーでトラップミス、そしてそのあとも緊張しすぎてトラップミスやら、パスミスが起きてしまってて、正直落ちたなと確信してしまいましたが、「せっかく名古屋に来たわけだし、楽しんで帰るか」って気持ちでプレーしたら、吹っ切れたのかいつも以上のプレーが出来て、トライアウトで1ゴール1アシスト。そのアシストも今までにしたことのないくらいの最高のアシスト、あのアシストは正直もう出来ないなぁって思うくらい。

評価された内容はめちゃくちゃ良かったし、もしかしたら来年からここでプレーするだろうなと思っていて、合否の発表までの1週間を待った、、そして合否の発表の内容は意外なものだった。「今回のトライアウトの結果は不合格・・・ただ、あなたのこの先を考えるとうちのアカデミー生としてであれば受け入れる事は可能。1年間で良いから真剣にやってみよう」という内容。今思えば、良い評価だったと思う。ただ当時生活もかかってた事もあって、アカデミー生として名古屋で生活をするってなった時に、うちの家の事情を考えると名古屋でバイトをしながら練習をしてってイメージをした時に断念してしまった。

この出来事から、俺は徐々に転落していった。この時にプロを目指すことを辞めて、そして所属していたチームも辞め、ジュニアユースのコーチを始めるもFリーグのチームの練習生を取った経験があるということを自分の中で邪魔してしまって、何もやる気が起きずに、やがてバイトにも遅刻するようになり、更にはコーチをやってるチームの練習や活動にも遅刻するようになってしまっていて、バイトはクビ、コーチの方のチームでも謹慎を食らうなど、今思えばアホだなぁって思うような経験をしたなぁと思います。

この時もう20歳になっていたのに、こんな事してはいけないなぁとは思うけど。

そして、こんな私にも転機が訪れる。当時4級審判員の資格を持っていて、その当時から上級の人と審判をすることが多くなり、更にその人達から上手いね、絶対上級でもやれるよって言われて自信になったことは今でも覚えてる。正直3級の資格はずっと取るつもりでいたから、良い転機にはなったと思う。

そして、3級審判員の昇級試験を受験し合格をする。2回目で合格でした。

次回は、引退してしまった理由〜その2〜になります。


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