誠実な怒りには向き合える人でいたいねってこと

レストランには、人生の、華やかで、楽しくて、幸せなものが集まってる。あっちの仕事には、人生の、悲しくて、つらくて、嫌なものが集まってる。レストランの仕事は、すごく大事な仕事。でも、世の中はお花畑じゃない。泥の中で、溺れている人に、誰かが手を差し伸べなきゃいけない。目をそらしたり、ブツブツ言ってるだけじゃ、泥の中の人は孤独になっちゃうから。誰かが一緒に、泥に入るの。あっちの仕事は、そういう仕事。復讐って、怒るだけじゃできない。ちゃんと楽しく、綺麗に生きることも、復讐になる。田中は、楽しく、綺麗に生きることを目指しなさい。私は、怒る方をやる。藤村五月さんに、会わせて。絶対に勝てるって約束は、二度としないって決めたけど。二度と闘わないとは決めてない。こんなこと、思うはずなかったの。何でまたこんなこと思うようになったのかなぁって考えたら。やっぱり私、あの子たちのことが、好きになったからなんだよ。

『問題のあるレストラン』 第6話より


「怒り」って、感情の中でも特に難しい。扱い方を間違えたら、簡単に人を傷つける。だから私は、「怒り」ってものがどうしようもなく怖くて、大抵の場合なら、怒らない方を選んでしまう。それに、怒るのって正直面倒くさい。疲れるし、相手には嫌われるかもしれない。そして、私みたいな人ってたぶん、私が思っている以上に多い。でも稀に、「怒り」の爆弾を常備している人がいて、その人は、なぜか、いとも簡単に爆破スイッチを押せてしまう。爆弾魔たちは、そうやって、電車の中で知らない人に怒鳴ったり、お店の店員さんを罵倒したり、SNSで誰かを攻撃したりする。その人達のエネルギーがあまりに大きすぎるから、もしかしたら私はどこかで、それらを肯定したくないがために、「怒り」そのものを嫌悪してしまっているのかもしれない。もちろんそんな、怒りを撒き散らすだけの人は嫌いだし、たとえどんな理由があるにせよ、私はそういう行為を肯定しない。でもそれは、「怒り」自体を否定する理由にはならない。これらを一緒くたに扱ってしまったら、「誠実に怒っている人」を見逃してしまう。「怒り」なんて面倒くさくて厄介なものに真剣に向き合って、それでもなお伝えようとしてくれている人のことまで、嫌って、嘲笑してしまうかもしれない。というか、私は意識しないとこれをやってしまいがちだし、きっと私みたいな人はそこそこいる。そして、こうした見て見ぬふりの態度が、もっとはやく向き合っていれさえすれば、不必要だったはずの、大きな怒りや争いを生んでしまっているのかもしれない。誰かを絶望の淵に、追いやっているのかもしれない。私達は、時に、誰かを極限まで怒らせないと、ことの重大さに気付くことができない。もっといえば、命が失われて初めて、何が起こっているのかを理解する。どうして、相手がまだ誠実な怒りによって伝えようとしてくれている時に、それが真剣なことだとわからないんだろう。またそんなことを言ってと笑って済まそうとしてしまうんだろう。本当は怒りたくなんてないことを、私は知っているはずなのに。

今、世界中でたくさんの人が怒っている。そして、それを表明している。海を越えた遠くの、誰かのために。じゃあこの怒りの表明に、私はどうやって向き合っていったらいいのか、考えていかなければならないと思う。



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