ソフバの世界をぶらり旅~遠藤の詩の世界:4th 「愛と平和」 "Virtual War”

ソフバのアルバム「愛と平和」の2曲目である。1曲目”Sand Löwe”のラストに混入されたサッダーム・フセインの演説を直接引いて始まる。

さっそく遠藤の歌詞の主要部分を見ていこう(全文掲載は控える)。
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Dictator as public harm public eye’s.
Black address as public harm public eye’s.

この手をかざせば、微睡む群衆疑うものなし
高まる歓声思いのままに

The Name of the Dead!
The right and the gun and knife and knife.
To War, to War.
The Name of the Dead.
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疑いようもなく、1曲目”Sand Löwe”で取り上げられたバアス党(イラク・バアス党)の内情をそのまま描写したものである。一見なんの変哲もなく、単純な独裁者批判として通り過ぎてしまいそうになる詩であるが、敏感な人間は”as public harm public eye’s.”とはなにを表しているのだろうか?と疑問に思うことだろう。これは、冒頭の二行の英文を丁寧に和訳すればみえてくる。

(拙訳)
公の害悪ような独裁者
公の(同じく害悪のような)まなざし

公の害悪のような黒い演説
公の(同じく害悪のような)まなざし

※addressという単語は、しばしば住所や宛先ではなく”記録に残る演説”という意味で使われる。

この「公のまなざし」は、すべての出来事を仮想の出来事へ変換してしまう装置である。すなわちそれは、報道・メディアのことに他ならない。この詩において、彼らは強権的な独裁者やその強力な演説と同等の危険な存在として取り扱われているのだ。

彼らは独裁者を撮影し、その黒い演説を録音しブロードキャストする“自称”公の目線である。彼らのブロードキャストの能力は権力であり、その権力は仮想の戦争を創造するのだ(これはフランスの社会学者ジャン・ボードリヤールの二つの論文『湾岸戦争は起こらないだろう』および『湾岸戦争は起こらなかった』と対比するとより理解しやすい考え方なので、遠藤の詩をより深く理解したい方はぜひ参照されたい)。

仮想戦争という作品は爆音を華麗に響かせて、3曲目“Ego Dance”への布石として十分に働く。

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