どうにでもなれ
町田康「どうにかなる」
いつかはどうにかなるだろう
いつかはなんとかなるだろう
いつかはどうにかなるだろう
いつかは どうにか
あなたはどうにもならない
あなたは一生そのまま
あなたはどうにもならない
どうにもならない
わたしをどうにかしてくれ
わたしをなんとかしてくれ
わたしをどうにかしてくれ
わたしをどうにか
わたしはサンダルを履いて
わたしは飯屋のまえで
わたしは雲を眺めてた
いつまでも いつまでも
ちょっと長めですが歌詞の引用です。この曲を無力映画会のテーマソングということにしています…勝手にそう言ってるだけで別に無断で商用利用とかはしてないから許して…家で毎日ぼんやり聴いてるだけです。
どうにかなる、どうにもならない、どうにかしてくれ、どうにかなる、どうにかなる…無力の果ての果てまでたどり着いてしまった人間の、ほとんどヤケクソの最後の祈りみたいな歌詞が大好き。やっぱり人間って限界まで追いつめられると最終的にはもう「暴力」か「祈り」のどちらかしかないと思うんですよ(もちろんそれで状況が良くなるとは限りませんが…)。町田康はそういうことを歌った曲が多い気がします。
急に立ち止まり空を見上げた。なぜだか突然、空を見上げた。
青かった。高かった。青かった。空がもう。
子供の頃には犬ころみたいに、地面に転がって空を見上げてた。ずっと見上げてた。
毎日なにかに追われて暮らしてる。虫けらみたいな私の人生。
それでも生きてく。青空見上げてね。
子供の頃から変わらない空が、いつでもどこでも私を見守る、私を見守る。
「無力映画会」という名前は町田康の音楽を聴いてるときに思い付いたものなので、一度は取り上げたいなと思ってこの記事を書きました。
それから小説も最高です。どの作品にも「自分はダメだ。自分の人生はどうにもならない」と思い込んでいる捨て身、無職、破滅型のキャラクターがよく登場するので、アメリカン・ニューシネマが好きな人なら多分ハマるはず。特に『告白』はその成分が強かった。過去に犯してしまった自らの罪が生涯のトラウマとなり、「どうせ決まった身ィや。まともに働くだけあほらしわ」と塞ぎ込み、どうしても未来に向かって努力することができず、毎日賭博に明け暮れて、まともに生きてる同世代との差は開いていくばかり……もうだめだ。こじらせた主人公はどんどん狂気、暴走の世界へ入っていきます。鬱屈の内容は違うけど、なんとなく『タクシードライバー』のトラヴィスと同じ匂いがするんです。
世の中には、世間の常識とはどうしても反りがあわず、それなりの良識と純真をもって自分を律してゆこうとするが、いつしかそれが破綻して人生の敗残者となってしまう人々がいる。
石牟礼道子「解説 『告白』について」(中公文庫「告白」の解説)
町田康は俳優としても少しだけ活動してます。7月22日から北千住のブルースタジオで主演作品の「エンドレスワルツ」(1995)が上映されるらしい。演技は「爆裂都市」でしか見たことないからとっても楽しみ、絶対観に行くぞ。あいあいあいあいうえをかきくけこさしすせそなにぬねの
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