「一度始めたことは最後までやるべき」という害悪的・昭和的価値観
「一度やり始めたことは最後まで諦めず、しっかりやり遂げなければならない」
こうした言葉、一度は耳にしたことのある方はいるのではないでしょうか。
あるいは、親や学校の教師、部活動のコーチ、職場の上司などに、言われた経験のある方もいるのではないでしょうか。
例えば習い事。
水泳やピアノ、学習塾などに子どもを通わせている親は多いだろうし、通っている子どもも多いと思います。
ですが習い事を続けるのが嫌になる子どももいます。
ベネッセの調査によると、「子どもに『習い事をやめたい』と言われたことが『ある』という保護者は約4割」とのこと。
水泳やピアノなどの習い事を楽しく続けられる子どもばかりではないということですね。
そこで子どもは親に対して習い事を辞めたいと伝えるわけです。
そうすると、
などと言われるわけです。
あるいは仕事。
就職活動中に自分を偽り、自己分析(笑)や面接対策(笑)をしていた人は、大学時代の僕の周りにも多くいました。
明るくハキハキとした体育会系を意識したり、対して興味もないような会社に対してニセモノの熱意を振るったりと、当時の友人を見ていて「大変そうだなぁ」という印象を持ったのを覚えています。
そうした欺瞞的・茶番的なやり取りを通して、なんとか内定を勝ち取った人は世の中には多いでしょう。
ですが、その仕事内容が自分に合っているとも限らないはず。そこで退職・転職を検討している会社員は、上司に相談します。
そうすると、
などと言われるわけです。
会社に限らず、アルバイトで同様のことを言われたことのある人もいるのではないでしょうか。
僕もガテン系のアルバイトをしていた時に、似たようなことがありました。
つまり「嫌なことを我慢して続ける」のを強要する人間は多いということ。加えて厄介なのが、それを正しいことだと信じ込んでしまっている人も同じくらい多いということです。
人々は、このような謎の我慢大会を無為に、思考停止で続けます。我慢大会にエントリーしない者に対しては「根性がない」とか「それは逃げだ」などと精神論を並べて、がなりだてる。
我慢大会の参加者は時間が経った後にこのように結論付けます。
「あの時、我慢して良かった」
「当時の忍耐があったから、今がある」
果たしてそうでしょうか?
その我慢・忍耐は、あなたにとって、本当に良かったものなのでしょうか?
無理やりプラスに解釈しているだけの、自己欺瞞ではないのか。
それが単なる「時間の無駄」だったと、認めたくないだけではないのか。
僕はそう考えてしまいます。
人は過去を美談にしがちですが、それは「美談にしないと自分が救われないから」です。
要するに、自分の失敗を認めたくないということ。
とはいえ、別に失敗すること自体は問題ではありません。そうではなく「失敗であると認識しないこと」や「失敗を恐れて次々と挑戦しないこと」が大問題なのです。
本noteでは、「一度やり始めたことは最後まで諦めず、しっかりやり遂げなければならない」という考え方が、いかに間違っているかどうかを考察します。
害悪的・昭和的価値観だという認識自体は広まっているのではないか
僕が本noteを執筆しようと思ったきっかけは、次のXのポストです。
簡単に内容とまとめると、
というもの。
投稿内容を見ると、情報がややアバウトなので、インプ狙いの嘘松ポストではないかとも感じたのですが、ともかく投稿者が伝えたいことは、
という点です。
それに対して、共感を示す引用ポストも多く見受けられました。
「無理にやりたくないことを続ける理由はない」って、僕にとっては至極当然の考え方なのですが、これに賛同する人は、学生自体の僕の身の回りには、ほとんどいませんでした。
ですので「大分時代が変わったなぁ」と感じたわけです。
「一度やり始めたことは最後まで~」という考え方が害悪であることに、多くの人が気づいてしまったのではないかと。そこで、僕の中でも改めて考えを整理しようと思ったのです。
たしかにSNSは意見が偏りがちではありますが、上記したダンス教室の子どものポストに対して「いやいや我慢は大切だろう!」と噛みつく人はほとんどいませんでした。
インプの多い投稿には反論があるものです。
SNS上には多くのカミツキガメがおり、その生息分布の広さは蠅や蚊に匹敵します。160万回もの閲覧があれば、反論リプを飛ばすカミツキカメが大量発生してもおかしくないのですが、このポストにそういうカメはいませんでした。
ゆえに僕は時代の変化を感じたのです。
ひと昔前なら、
「せめてこのダンスは踊れるようになるまでは頑張ろう」とか「この技術を身に付けるようになるまでは辞めてはいけない」といったように、子どもに強要するのがスタンダードだったのではないでしょうか。
仮に1990年代に同様のポストがされたとしたら、逆に炎上していた可能性もあったのではないでしょうか。
僕自身も害悪的・昭和的価値観の被害者です
先のポストの引用ポストを見ると、過去に「一度やり始めたことは最後まで~」に苦しめられたことのある人も見かけました。
似たような経験は僕にもあります。
それは僕が小学校1年生の頃の話でした(僕は割と昔のことを覚えているタチなのです)。
誰の、何の影響かは覚えていないのですが、当時の僕は「ボクシングがやりたい」と思っていたのです。
もう少し厳密に言うと、グローブを付けてスパーリングをしたかったのです。
もちろん当時の僕はスパーリングなんて言葉は知りません。ゆえに親には「ボクシングがやりたい」とだけ言ったのです。
そこで後日、僕が親に連れていかれたのは「少林寺拳法」の修練場でした。
「そこでグローブを付けてバチバチの殴り合いをするのかな?」
そんなことを考えていた僕ですが、少林寺拳法にはスパーリングは無いんですよね。基本的には「演舞」といって、拳や蹴りは相手に当てず、わざと外したり寸止めしたりするのです。
※これは道場によるのかもしれませんが、少なくとも僕のいたところはそうでした
少林寺拳法を始めてから、すぐに僕は違和感に気づきます。
ですが小学生の僕はその違和感をうまく言語化できません。というより、子どもの頃の僕は物事を言葉で示すということがとても苦手だったのです。
「今オレがやっているのは演舞であり、スパーリングではない」
「少林寺拳法では殴り合いをしていない。ボクシングをしたい」
今思えば、親に対してこういえば良かったはずなのですが、当時の僕の口から出た言葉は単に、
「少林寺拳法を辞めたい」
だけでした。これでは伝わりませんね。
ですが、そこですんなり辞めることができれば、興味のない少林寺拳法に通わず、その分だけやりたいことに時間を使うことができたでしょう。
実際はそのようにはなりませんでした。辞めたい旨を親に伝えたところ、
僕の知らない間に、勝手に約束事が成立していたのです。
繰り返しますが、僕は割と昔のことを覚えているタチなのです。ところがそんな約束をした記憶はありません。
別に自分の都合の悪いことを忘れているとかではなく、本当にそんな約束をした覚えなど無かったのですよね。
結局僕は小学校5年に2級を取得しましたが、その次の初段(黒帯)は取らず、少林寺拳法に行くのを辞めました。
僕が行かなくなってからしばらく月謝の支払いは続いたようですが、どこかのタイミングでそれは中断したようです。
ここまで理不尽なケースはそうそう無いようには思いますが、これに近い経験をしたことのある人は、きっと多いでしょう。
気軽に失敗できない社会は才能を殺す
ここで本記事のタイトルに戻ります。
こうした自分の体験があったのも起因していますが、「一度始めたことは最後まで~」という考え方は害悪的・昭和的価値観だと言わざるを得ません。
即刻無くすべき考え方だと僕は思っています。
何故ならこうした考え方を持つと、自分の才能を見つけられないからです。
そして才能はすぐに見つけられるものではなく、さまざまな失敗の積み重ねが必要だと僕は思っていますが、「一度始めたことは最後まで~」という考え方が根付いていると、簡単に新しいことに挑戦できなくなります。
どういうことか。もう少し詳しく説明しましょう。
人は生きていく中で、さまざまなことを学び、さまざまなスキルを習得し、そのためにさまざまな環境に身を置きます。
これまであなたがチャレンジしてきたことを想い返してみてください。習い事、アルバイト、部活動、就職…なんでも構いません。
ここであなたに質問です。
それらの活動は、すべてあなたと相性が良かったでしょうか?
ピアノや水泳、そろばんといった習い事をやっていた人は、これらの分野はあなたが本気で関心の持てるものでしたか?
今あなたが勤めている会社の業種は、あなたにとって本当に興味深いものでしたか?
関心・興味の度合いって、実際にやってみるまでは分からないですよね。
いざ蓋を開けてみると、関心・興味なんて全然ない。面白くない。やっていて苦痛。そのように感じるケースもあるはずです。
もしここで、「自分とは合わなかったから辞めちゃえ!」と考えられる人であれば、自分に向いていないことをいつまでも続けて疲弊することはないでしょう。
明らかに自分の適正とは合わないことを選んでしまうことは、誰しもあります。そんな失敗は、あらかじめ防げません。
だから選択を誤ったら即座に辞めて、自分に適したことを探す方が良いのです。
ですが「一度始めたことは最後まで~」の考え方が根付いている人は、向いていないことをいつまでも続けてしまいます。
つまり時間を無駄にしてしまうのです。
やり始めたことは、簡単には辞められない。
そうなると次は何が起こるのか。
「気軽に失敗できなくなる」「選択ミスを恐れるようになる」
ということが起こります。
何かに挑戦する時は「それが本当に自分に合っていることなのだろうか?」と慎重になります。
こうした人は「あ、間違っちゃった。辞めて別のことやろう!」とはなりません。失敗しても、続けるしかないのです。
気軽に失敗できないから、即座に行動に移せない。
これは機会損失ですよね。
僕は強い興味・関心は才能の一部だと思っています。ゆえに、全く興味・関心のないことを我慢してやり続けるのは、才能の無駄遣いです。
例えるなら、大谷翔平氏に対して、
「お前サッカーやれ! 向いていなくてもやれ! 一度やり始めたんだから最後までやれ!」
って言っているようなもの。
才能のないことを必要以上に続けるのは、才能の無駄遣いであることに加えて、時間の無駄遣いでもあります。
人生は短い。時間を無駄にするべきではありません。
「我慢神話」は言い出した者が得するポジショントーク
それでは、なぜこのような害悪的・昭和的価値観が世間で根付いているのか。これはただのポジショントークだと思うんですよね。
要するに、「一度始めたことは最後まで~」というセリフを用いる者自身が得をするから、そういっているだけに過ぎない。
就職活動で一時よく言われた「新卒で入った会社は3年間は辞めてはいけない」っていうのと同じなんですよね。
これも宗教のごとく広まっていて、多くの新入社員に行動制限をかけている、害悪的な考え方です。
今もこの「3年教」が就職界隈で根付いているのかは僕には分かりませんが、3年教を広めたのはきっと企業側だと思います。なるべく長く社員を確保し続けたいから、こうしたポジショントークを広めたのでしょう。
「一度始めたことは最後まで~」も同じです。立場の強い側が、弱い側を乱用するために流通させたものです。
要するに「相手の利益のため」ではなく「自分の利益のため」ということ。
ただ厄介なのは、言い始めた者の利益に直結しない場合もある点です。
「一度始めたことは最後まで~」を言う側が企業であり、言われる側が会社員だったとしたら、利益を得るのは明らかに企業側ですね。
「一度始めた仕事なのだから最後(定年)まで続けなさい」と言えば、会社員が残り続けるので、辞められて労働力が不足するような事態には陥りません。
それに対して、「一度始めたことは最後まで~」を言う側が、それを言っても利益を得ないパターンもあり得ます。
代表的なのは習い事をしている子どもの親です。
別に子どもが習い事や部活動を辞めようが続けまいが親には関係ないことで、それによって利益や損失が生じるものではありませんよね。
では、なぜこうしたことが起こるのか。それは「洗脳されているから」です。
別に「一度始めたことは最後まで~」に限った話ではないんですが、私たちは「我慢」だとか「忍耐」だとかいう考え方が根付いていて、それを他人にも強要しがちです。
それが正しいとか、正しくないとかは二の次で、嫌なことがあっても耐えるという「我慢神話」が妄信されています。
先述したXの投稿主もそうだし、僕の親もそう。洗脳されているのですよ。
「これをやりたい!」という気持ちの原動力は強い
ここで、
「でも何かができるようになるためには忍耐力が必要!」
「嫌なことに対してすぐ辞めるようでは我慢強さが身につかない!」
といった主張をするカミツキガメが出現するかもしれないので、この点についても解説します。
たしかに一定のスキルを習得するためには、ある程度の忍耐強さは必要です。それ自体は否定しません。
しかし我慢や忍耐の先に自分の「やりたいこと」や「好きなこと」、「興味のあること」「実現したいこと」などがなければ、それは無意味ですよね。
例えば子どもを水泳教室に行かせている親がいて、親と子どもの間で「平泳ぎ・クロールで25m泳げるようになるまでは辞めない」という取り決めがあったとしましょう。
ここで注目するべきは「25m泳ぎ切れるように頑張って練習し、その後はどうするの?」という点です。
その先に何もないなら、練習を続ける意味はないと思います。
それに対して子どもが、
「学校のプールの時間で、水泳25mを泳ぎ切れる人がほとんどだけど、僕(私)は泳げない クラスで恥をかきたくない」
といった気持ちがあるのだとしたら、「25mを泳げるようになる」という目標を達成するまでは続けるべきだと思います。
これは「恥をかくのを避ける」といった「実現したいこと」が明確にありますからね。
子どもが自分の想いを実現するためには、いくら辛くても、身体の使い方や息つぎの方法などをよく理解し、それを実行できるように反復練習が必要です。
もう一つ例を挙げましょう。今度は僕の事例です。
僕は元々介護の仕事をしていたのですが、介護職員としての働き方や、会社員であること自体が自分には向いていませんでした。
そこで僕は「ライターとして独立しよう」と思い至ったのです。
文章を書くこと自体は元々好きでしたが、それを商売とするためには、どのような文章が求められるのか、そしてどれほどの文章力が求められるのかを知る必要がありました。
あらかたのリサーチを済ませた後、僕は自分に不足しているスキルが分かったので、そのスキル習得のための修業を開始します。
そして僕は、独立するまでに約300本の文章を書きました。これは1本あたり4000字~1万字ほどで、クライアントへの納品物ではない、練習で書いた文章も含めています。
文章力向上のための修業は単調でつまらないし、辞めたいと感じる時もありましたが、ライターになって独立したいという「やりたいこと」が明確な僕は、一切の努力を惜しませんでした。
16時間以上の夜勤が終わった後に記事を書いたり、出勤時間前にカフェによって30分から1時間ほどライティングの勉強に費やしたり……
独立前後は主にSEO記事を書いていたのですが、やがてセールスライティングができるようになりたいと思うようになります。そこでも僕は同じような練習を繰り返しました。
上記した内容に近い修業に加えて、セールスライティング関連の本を10冊は読んだのです。
正直、本気で何かを学ぼうと思っているのなら本10冊なんて大したことはないし、威張れることでもなんでもないと思っています。が、いつまでも読書に時間を費やしていたら仕事は取れないので、10冊で打ち止めにしました。
「ライターになりたい」「文章力を上げたい」という、僕自身が強く「実現したい」「やりたい」と願ったゆえに、こうしたスキル習得の修業・努力をしたわけです。
一方で、これまでライティングとは縁のなかった会社員がいきなり上司から「お前ライターになれ」と言われ、僕と同じような修業・努力を強要されたとしたらどうでしょうか?
その会社員はライティングになど興味はありません。ただ会社のいち業務として、割り振られただけです。
会社員って、割とこういうことが起こり得るんですよね。配属先が決まり、自分が希望する仕事をやろうと思った矢先に、全然別の仕事をするように命じられる。
その仕事をするためにはスキル習得が必要ですが、その先には、「実現したいこと」も「やりたいこと」もありません。
こうした我慢・忍耐が無駄だと、僕は主張しています。
すでに察している方も中にはいるかもしれませんが、そもそも本気で「これを実現したい」「あれになりたい」という強い想いがあれば、そのための練習・努力はその人にとって「我慢・忍耐」と感じることはほとんどありません。
本気で「プールの時間に恥をかきたくない」と思ったら、そのための練習にガチで集中するはずですし、
本気で「会社を辞めたい」「ライターとして食っていくんだ」と思ったら、たとえ夜勤明けであっても技術向上させようと熱中します。
そこで集中・熱中できないのだとしたら、本気ではないということです。その程度の想いなのであれば、その先にあるのは「実現したいこと」でも「やりたいこと」ではありません。
さっさと辞めて本当に「実現したいこと」、「やりたいこと」に対して情熱を向けるべきです。
先程もお伝えした通り、強い興味・関心は才能の一部です。
くだらない我慢大会から一刻も早く退場し、自分の才能を見つけることに意識を向けるべきです。
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