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頭わるわる制御論(前編)

 みなさんごきげんよう。迫真東大生と申します。この度私は、某頭狂大学学部3年ながら、頭わるわる学博士号を取得させていただきました。これは偏に、頭わるわるサークルの方々をはじめとした皆様の多大なる頭わるわるな応援のおかげであり、この場を借りて感謝の意を申し上げさせていただきます。この結果に甘んじることなく日々の頭の悪い活動に邁進しつつ、さらなる低みを目指してゆきたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。 

 さて、弊学も期末試験・レポート期間が迫り、益々勉学に励む学徒が大多数を占める中、私は独り惰眠を貪り、課題という無限の青空に浮かぶ雲のような白紙をただ吐き続けていた。そんな日々の中、ある時大学の「システム制御2」という授業の課題に取り組んでいると、一つのインスピレーションが五臓六腑をのたうち回った。

 「制御論を頭わるわる学に、あるいは頭わるわる学を制御論に応用できないだろうか?」

 「ああ、ついにホ●ビの見過ぎでトチ狂ったか」、「他の人を巻き込む頭わるわるだけはマジでやめろ」、「いいから課題やれ」、「ミウキムしか勝たん」。
 数々の罵詈雑言に私の精神はさながら旋盤に削られた金属のごとくすり減っていくようである。しかし、制御論の研究で著名な名古屋大学の早川義一先生は、以下のリンクの最終講義で、「アナ●ジー(類似付け)から、意外なヒントが生まれる」と語っており、頭わるわる学とのアナ●ジーによって制御論がさらなる発展を遂げる可能性を示唆している。

最終講義 リンク
https://ocw.nagoya-u.jp/files/557/lsiryou.pdf

 もとより、頭わるわる学とは、要するに脳科学の派生形であるため、それと関連が深い生理学や医学、心理学などはもちろん、経済学、社会学、工学、教育学などにも広く応用できるポテンシャルを持っている。また逆に数理・物理・工学的手法を用いて脳科学を研究する分野も現在盛んであり、頭わるわる学への応用研究へと発展していくことももはや時間の問題である。

 以上により、制御論の頭わるわる学への応用、あるいはその逆が、大便が便器に流れるように至極自然な流れであることがお分り頂けたと思う。この文章では、前回執筆させていただいた「あた~まわ~るわ~るわぁ^~る~わるぅ^~」で述べた頭わるわる学の基礎の応用として、制御論との関わりについて述べていきたい。応用とは言っても、必ずしも基礎から戻って全て勉強し直す必要はない。何においても基礎を固めることは肝要ではあるが、基礎の勉強に膨大な時間をかけねばならないために、肝心の学びたい応用の部分に手が回らないというのでは本末転倒である。本文ではこのようなことを避けるために、頭わるわる学の最低限の知識のみで読めるように配慮した。
 この文章が読者諸君にとって頭わるわる学の新たな一面を発見する一助となれば幸いである。

目次
1.頭わるわる学の基礎
2.頭わるわる状態方程式
3.頭わるわるの可制御性
4.頭わるわるの可観測性(前編はここまで)
5.頭わるわるの安定性
6.頭わるわる最適制御
7.頭わるわる制御論の展望

1.頭わるわる学の基礎

 頭わるわる制御論の内容に入る前に、頭わるわる学の概要、及びその基本的な考え方について確認しよう。

 頭わるわる学とは、頭の悪い人間が幸福に生きる方法を提案し、それを実践していく学問である。頭わるわる学の基礎は、拙著にて以下のようにまとめている。

・「頭わるわる」は知能がある証拠。
・「頭わるわる」は相対的なもの、絶対的な頭わるわるは存在しない。
・自らの「頭わるわる」を自覚することが大切。
(迫真東大生 著『あた~まわ~るわ~るわぁ^~る~わるぅ^~』より)

 本文を理解するために必要な前提知識は上記の程度である。より進んだ内容を勉強されたい方は、拙著『あた~まわ~るわ~るわぁ^~る~わるぅ^~』や、えい氏著『奇行学』などを参照されたい。特に『奇行学』は頭わるわる学とも関連の深い奇行学についての知識を素早く、しかも楽しく、おいしく吸収できる「読むウイダーinゼリー」として高名であるため、非常におすすめである。

さて、次節からは早速頭わるわる制御論の基本的事項を学んでいこう。

参考文献
迫真東大生 著『あた~まわ~るわ~るわぁ^~る~わるぅ^~』
https://note.com/mursnpi364364/n/n6de937d2a303
えい 著『奇行学』
https://note.com/g_ei/n/neb41d8dc661e

2.頭わるわる状態方程式

 この節では、現代制御論における最も基本的な概念である状態変数、及び状態方程式について説明し、それらに対する頭わるわる学における解釈を述べる。

 例えば、以下のような運動方程式を考えよう。質量mの物体にばね定数kのばねと、速度に比例する抵抗(減衰係数dのダンパ)をつけた系にuの力を加えた場合の式である。

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ここで

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というベクトル変数を導入すると、運動方程式から、

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となるので、

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とおけば、

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が得られる。(1)式を状態方程式、(2)を出力方程式と言い、(1), (2)式を合わせて上記の力学系のシステムを表現しているのでこれらの組を、システムの状態方程式表現と呼ぶ((1), (2)をまとめて状態方程式と呼ぶこともある)。またxを状態ベクトル、x_1, x_2を状態変数と呼ぶ。

 さて、ここまで読んできた読者は以下のいずれかに分類されていることであろう。

言っている意味があまりよくわからない

あーそういうことね

 しかしいずれにしてもこの先の説明で、すべての読者が画像の菅総理と同様の感想を抱くことであろう。これからやりたいことは、上記の力学系のシステムを、ある一人の人間の頭のおかしさに置き換えて議論を試みるというものである。

 上の状態方程式の状態ベクトルxを、頭の状態ベクトルhで置き換えることを考える。hはheadの頭文字である。ここでhは

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と表される。h_1, h_2は「頭の状態変ですぅ」と呼ばれる。fは、上の状態方程式のyに相当する変数で、ここでは考えている人間の頭の悪さを表す。fがfoolishの頭文字であることは容易に気がつくであろう。fの時間tによる微分f'(f^{dot})は、その時点tでその人間がどれくらい頭の悪い方向へと向かっているか、つまりその人間の将来性を表している。また、入力uを、この人間の頭の悪さに対する入力であると考える。入力uとしては、親や教師の教育、友人などとの人間関係、テレビやインターネット、Twitterなど様々な例が考えられる。

 以上を踏まえて、状態方程式(1), (2)を書き換えると次のようになる。

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このようにして得られた(1)'式を、あるいは(1)', (2)'式をまとめて頭の状態方程式と呼ぶ。

 頭の状態方程式は頭わるわる制御論のあらゆる概念の基本となっている。以下では、頭の状態方程式を元に、頭わるわる可制御性、頭わるわる可観測性などの重要な概念について解説する。

3.頭わるわるの可制御性

 そもそも、「制御する」、「制御できる」とはどういうことであるか。初めの時刻にどんな状態xにあったとしても、うまいこと入力を与えて有限の時間内に状態x=0となるようにできるならば、そのシステムは可制御であると言えるだろう。そこで、現代制御論における可制御性は次のように定義されている。なお、書籍によって定義は若干異なる。

任意の初期時刻t_0と、システムの任意の初期状態x(t_0)=x_0が与えられたとき、適当な有限の時刻t_f(>t_0)まで適当な入力u(t), t_0<=t<=t_f を加えることによって、x(t_f)=0とすることができるならば、このシステムは可制御である。
(吉川恒夫, 井村順一 共著『現代制御論』より)

 言っていることは難解そうだが、要するにどっからでも0に持ってけるなら制御できてるってことでいいよね、ということだと思ってもらって差し支えない。

 ここで、状態ベクトル、状態変数を頭の状態ベクトル、頭の状態変ですぅに置き換えたことを思い出そう。その上で上記の可制御性の定義を頭わるわる学の言葉に置き換えると、以下のようになる。

 「ある人間について、どんな初期年齢t_0と、その時点でのどんな頭の悪い初期状態h(t_0)=h_0が与えられたとしても、適当な有限の年齢t_fまで適当な人物や事物からの(自身の努力も含む)働きかけu(t), t_0<=t<=t_f を加えることによって、h(t_f)=0としてまともな頭の人間にすることができるならば、この人間は頭わるわる可制御である。」

 以上が、頭わるわる可制御性の定義である。

  この定義からすると、一般に人間は明らかに頭わるわる可制御ではないように思われる。私が『あた~まわ~るわ~るわぁ^~る~わるぅ^~』を執筆した時、あらゆる分野からの批判が飛び交い、家族からは頭わるわる学に関わることをやめるよう懇願されたし、恋人の遠野からは別れを告げられた。そのような、私の頭の状態変ですぅを0へと導くのにこれ以上考えられないほどの入力u(t)が与えられたにも関わらず、私は再びこの文章を執筆している。私が死ぬまでにまともな頭の人間になることはないであろうことは疑いようもない。しかし、頭わるわる可制御の定義の中の適当な有限の年齢t_fの制限に、その人間の寿命についての条件は一切ない。例えばある入力によって114514年後に私の頭がまともになるとしても、実際に私が114514年生きられる可能性は極めて低い。つまり、対象の生物の寿命をはるかに超えるt_fまでの入力によって頭わるわる可制御性が示されたとしても、それは実質的に可制御とは言えないのではないか?という問題がある。これは「頭わるわる制御論の114514年問題」として議論されており、頭わるわる可制御性の定義は見直されるべきではないかとも言われている。この文章では上記の定義を採用することとする。

 さて、一口に頭わるわるとは言っても、頭わるわるには様々な種類があることは明白であろう。勉強はできるかもしれないが、毎日頭わるわるな行為に励んでいる東大生諸君などはその最たる例である。そこで、頭わるわるは「可制御な頭わるわる」と「可制御でない頭わるわる」の2つに分類される。例えば、課題ができなくて発狂ツイートするのは可制御でない頭わるわると言える。課題ができないのは本人の努力や外部からの働きかけでどうにかなる保証はない。しかし、「課題ができないのはしょうがないとして、発狂するのはそいつの自制心が足りないだけで、ちゃんとした入力によって制御できるのではないか?」という反論もあるかもしれない。ごもっともである。だが、そうした発狂を制御できるかどうかは、その時点における頭の状態変ですぅのみに依存する、つまり入力云々の以前にもう手遅れという場合が存在するということが、chocolate_noise氏によって示されている。(chocolate_noise氏は頭わるわるサークル会長にして、私の頭わるわる学研究所での研究仲間である。)これは頭わるわる可制御性の定義に反しているので、やはり発狂ツイートは可制御でない頭わるわるである。
 逆に可制御な頭わるわるは、あえて自らの知能を落とすことで面白さを狙う場合などに見られる。純粋に面白いネタツイなどが該当するであろう。また、いわゆるぶりっ子のようにあえてバカキャラを演出してかわいこぶる女や、「俺頭悪いからわかんねぇけどよぉ〜」などと言って実は恐ろしく深い知識や洞察力を有している不良なども好例である。

4.頭わるわるの可観測性

 次に、制御論において可制御性と並び重要な概念であるとされる可観測性について解説する。制御対象となるシステムにおいて、常にその状態の変化の様子を「見る」ことができるということは非常に重要であると言える。このようにシステムの状態を「見る」ことができる性質を制御のことばでは可観測性という。可観測性の厳密な定義は以下の通りである。

システムがいかなる状態 x(t_0)=x_0  にあろうとも、適当な有限の時刻t_f(>t_0)までの、零入力 u(t)=0 のもとにおける出力y(t), t_0<=t<=t_f, の値のみから初期状態x_0の値を知ることができるならば、このシステムは可観測であるという。
(吉川恒夫, 井村順一 共著『現代制御論』より)

 先ほどと同様に、状態ベクトル、状態変数を頭の状態ベクトル、頭の状態変ですぅに置き換え、上記の可観測性の定義を頭わるわる学の言葉に書き換えてみよう。

 「ある人間がどんな頭の初期状態h(t_0)=h_0にあろうとも、適当な有限の年齢t_f(>t_0)までの、零入力 u(t)=0 のもとにおける頭の悪さf(t),t_0<=t<=t_f の値のみから頭の初期状態h_0の値を知ることができるなら、この人間は頭わるわる可観測である。」

  ここで、頭わるわる制御において零入力 u(t)=0とは何か。もし本当になんの入力も与えられなかったとしたらアカンこのままじゃ人間が死ぬぅ!というわけでここでの零入力とは、u(t)=(全世界の人間の頭に与えられる入力の平均値)である場合のことを指すこととする。平たく言えばごく普通の教育を施された場合ということになる。実際にこれを求めるためには統計学的知見が必要であり、頭の悪い我々には到底知り得ない情報なので、この量は仮想的なものである。

  ともかくこれによって頭わるわる可観測性が定義された(強引)。ここで、全ての人間は頭わるわる可観測であるかどうかという疑問が生じる。これについては頭わるわる論者の中でも現在2つの派閥がある。頭わるわる論者は、頭わるわる不可知論者と可知論者の2種類に分かれる。その中でも頭わるわる不可知論者は「すべての人間は頭わるわる可観測である」と主張し、頭わるわる可知論者は「すべての人間は頭わるわる可観測とは限らない」と主張している。

 1.頭わるわる不可知論者による「すべての人間は頭わるわる可観測である」ことの説明

  頭わるわる不可知論者は、頭わるわるによる不可知性原理を認めている頭わるわるによる不可知性原理とは、「ある難しい情報があったとして、その難しさが十分大きかった場合、頭わるわるな人間は知ることが不可能であるとしてよい」というものである。これを用いて証明を行う。

証明

命題1「適当な有限の年齢t_f(>t_0)までの、零入力 u(t)=0 のもとにおける頭の悪さf(t),t_0<=t<=t_f の値がわかる→頭の初期状態h_0の値を知ることができる」を示せばよい。

ところが、我々が頭わるわるであることにより、その人物が完全に平均的な頭への入力を受けた場合の頭の悪さを、我々は知ることはできない(知るすべがない)。つまり命題1の仮定の主張が常に偽となる。仮定が偽である命題は常に真となるので、命題1は真である。◾️

  以上、すべての人間が頭わるわる可観測となる。以上の頭わるわるによる不可知性原理を用いた議論は頭わるわる学においては頻出なので必ず抑えておこう。

2.頭わるわる可知論者による「すべての人間は頭わるわる可観測とは限らない」ことの説明

  しかし、少しだけ頭のいい頭わるわる可知論者によると、これはおかしいらしい。彼らによれば頭わるわるによる不可知性原理は控えめに言っても馬鹿げた、クソみたいな概念であり、これを認めない立場から頭わるわる可観測性を論じている。

彼らによれば、確かに常に完全に平均的な入力を受けている人間はいないかもしれないが、おおよそ平均的な入力を受けていると近似してよい時間間隔は存在しているであろうと言う。また、彼らは少し頭がよしよしなので、仮に平均からずれた入力が与えられていたとしても、その間の入力が分かれば、その入力分を差し引いた零入力における頭の悪さも計算できるのである。つまり入力と出力がわかればよい。

  さて、実際に零入力における頭の悪さがわかったとして、そこから入力前の頭の初期状態がわかるであろうか。これは初期の頭の悪さf、及び頭の悪さの時間微分f^{dot}がわかるかどうかということである。今初期の頭の悪さf自体はわかっているので、f^{dot}がわかるかどうかが重要であるが、これは頭の将来性とも言え、一般には現実に現れている頭の悪さから一意的に決められるものではない。

  例えば、同じ育て方をされ、同じような頭の育ち方をした双子がいたとしても、生まれた時の頭の状態が将来性も含めて同じであるとは断定できない。ネットから大量のミームという入力を受け、語録しか出力できなくなっているどうしようもない頭の持ち主でも、かつては輝かしい頭の将来性を有していた可能性はある。

  頭わるわる可観測性については、現在は頭わるわる可知論者の立場つまり、すべての人間は頭わるわる可観測とは限らない」という立場に立つ方が主流なので、以降はこの立場で論じるが、いずれにしても未だに未解決な問題が多い。しかし、頭わるわる可観測性が成り立っていれば、頭のおかしな人の初期状態を知ることができ、頭わるわるの原因分析に役立たせることができる可能性がある。

  頭わるわるは、可観測性の観点からも、可制御性の場合と同様に、「可制観測な頭わるわる」と「可観測でない頭わるわる」の2つに分類される。淫夢厨の例一つをとっても、「こいつはどうみても昔から臭いやつだったよな」という可観測な淫夢厨もいれば、「こいつは昔は真面目なやつになる可能性あったけど、淫夢圧に負けて淫夢落ちしてしまったパターンかもしれないな」という可観測でない淫夢厨もいると考えられる。可観測な場合どこで道を踏み外したのかを知ることがより用意になるので、可観測性を調べることが淫夢治療にも役立っていると言える。

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長くなってしまったので、今回はここまでとしたいと思う。

次回は、頭わるわるの安定性、頭わるわる最適制御などを扱う予定である。

それでは、今日のところは

終わり!!!閉廷!!!以上みんな解散!!!

次回もよろしくオナシャス(中編になるかもしれないし、後編になるかもしれません)

終わり!閉廷


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