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everything is my guitar? 2


 東京に出てきて、僕が真っ先にしたのはギターを買いに行くことだった。
 まだ慣れない電車を乗り継いで、聞いたことも見たこともない名前の駅の楽器屋さんへ行き、オンラインショップで見つけて気になっていたギターを見に行った。夏の終わりのまだ暑いよく晴れた平日で、川崎方面へ向かうその電車はからっぽに近いくらい空いていて、大きな川を渡る橋からの眺めが後ろにも前にも大きく観えた。何度もGoogleマップを開いて乗り換えの駅との距離を確認する。引っ越してすぐの、もしくは全く知らない街を歩くときの方向感覚がぼやけてふわふわとしたあの感覚がとても好きだ。2019年の夏のこと。楽器屋さんの名前もその駅の名前も忘れてしまった。
 京都を離れて東京に来る、というのは僕にとって(そしてHomecomingsというバンドにとって)とても大きな出来事で、その大きな一歩の勇気を僕はなにかの形にしておきたかった。そんなときに、ずっと探していたギターが見つかった。それはなんだかよくできすぎた船出のようだった。クリーム色のムスタングというギター。僕にとってそれはとても特別なギターなのだ。
 スピッツの『放浪隼純情双六』という僕が生まれてはじめて買ったライブDVDがある。リリースは小学6年生の冬休みだったと思う。お年玉を前借りしたのか、クリスマスプレゼント分の金額を両親から出してもらったのか、そのへんの記憶は曖昧だけど、当時の僕にとって1万円近い買い物をするのははじめてのことで、もうなくなってしまった王様の本という名前の石川県にしかない大きなチェーンの本屋で音楽コーナーで震えながらレジにもっていったのだった。今これを書いていて思い出したのだけど、多分それまで地道に貯めていた図書カードや図書券をまとめてどかっと使って金額の足しにしたんだと思う。だからCD屋さんじゃなくてわざわざ本屋さんで買ったのだった(ちなみにこのすぐあとに、はじめてのシングルCDとして「スターゲイザー」を買った。今でもあの空の写真が4枚並べられたジャケットを思い浮かべただけで泣きそうになってしまう)。テレビのなかでつるつると滑らかに動く本物のスピッツの映像は僕のハートを鷲掴みにして離さなかった。まだYouTubeもなかった頃。インターネットは学校の授業か図書館で予約をして15分間だけ見れるものだった。当時ちょうどリリースが空いていた時期ということもあって、動くスピッツ、演奏するスピッツは僕の頭のなかにだけ存在するものだった(動くGOING UNDER GROUNDと動くレミオロメンはすぐにMステで観れたけれど動くアジカンはCDTVで流れる何十秒かのPVでしか観られなかった)。収録されているツアーが『ハヤブサ』と『三日月ロック』の時期のものだったのもとてもよかった。「8823」「ローテク・ロマンティカ」「けもの道」「今」「エスカルゴ」「夜を駆ける」というクールでハードでロマンチックでかっこいいスピッツに夢中になった。ベースの人が信じられないくらいめちゃくちゃ動くことにかなりびっくりした。それまでは「チェリー」のミュージックビデオのいわゆるベースの人っぽい動きかたのイメージしかなかったのだと思う。豪華な写真集のようなブックレットを毎晩寝る前に眺めて、新学期がはじまってからも毎朝何曲分かだけ観てから登校していた。そんなDVDでマサムネさんが弾いているのがクリーム色のムスタングだった。と書くととてもドラマチックなのだけど、正確にはマサムネさんが当時使っていたのは、フェンダーのサイクロンというムスタングとほとんど同じ見た目のギター、を模した特別なモデルで、ムスタングとは見た目以外は全然違うギター。当時、リビングでDVDを観ながら、お父さんにマサムネさんのギターの種類を訪ねたときに「これはムスタングやなCharのやつ。」と言っていたのがずっと頭にあって、その事実を知ったあともクリーム色のムスタングは僕の憧れのギターであり続けていたのだった。
 そんな特別なギターが上京という大きな節目のタイミングで、しかも電車で行ける距離の楽器屋さんに入荷するという偶然が僕にはとても大切なことに思えてしまったのだった。たしか、ろくに試奏もせずに買ったはずだ。音に関してはあとからかなり手を加えてHomecomingsに合うように調整した。細かいことよりも一目見たその瞬間泣きそうになりながら買うことを決めていた。72年製のフェンダー・ムスタング。僕が唯一手にしたヴィンテージギターだ。お店を出たあと、駅前の塾や美容院が入っているビルの階段に腰掛けてケースからムスタングを取り出して。、ジャラン、と一回だけ鳴らしてみた。ケースからか、ギター本体からかはわからなかったけれどなんだかアメリカっぽい匂いがして興奮した。ヴィンテージのムスタングから連想して『ソラニン』のことを思い出して、まだ家具が揃っていない余白だらけの部屋で10年振りくらいに読み返したりもした。モラトリアムの季節はなんとなく過ぎ去ったような気がしていたけれど、やっぱりぐっとくるものがあって、東京の郊外、大きな川の側の暮らしという自分のあたらしい生活との共通点をみつけてはうれしくなった。その年の京都音楽博覧会がはじめてライブでムスタングを使った日だったと思う。それは2019年の夏の終わりのことで、その年末までの10本ほどのライブのあと、永遠にも思えるすこしの間、ムスタングはスタジオの倉庫でじっと息をひそめることになった。

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