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1999


 僕が育った小さくて静かな町の外れの方に、ある日突然Tくんの家ができた。それはそれまで町にあったどの家とも違っていた。特別大きなものでもなかったし、4階建だとか変わった建物というわけでもなかった(後からT君は、この家実は三階もあるげん、と自慢げに言った)けど、他の家とは絶対的に何かが違っていた。彼の家に比べると、僕の家も、他の友達の家も色あせてなんだか切な気なものに見えた(僕はなぜか物心ついた時から切ない、という感情に敏感だった)。Tくんは僕たちが保育園を卒業して小学生になるタイミングであの町に来た。見た目はクレヨンしんちゃんのぼーちゃんみたいで肌はびっくりするぐらい真っ白だった。小学校には隣町の保育園からも何人かが通ってきて、知らない奴らの文化に触れた僕たちはなんだかみんなそわそわしていた。そんな騒がしい季節にT君はいきなりやってきたのだった。
 彼はどう見てもまわりから少しだけ浮いているようだった。なんていうか、Tくんには帰る場所がないような、そんな感じがした。そしてそれは僕も少しだけ同じだった。違う町から転園して来た僕は、あの町に来てまだ2年しか経っていなかったし、まだこの町が本当に自分の町だとは思えなかった。
 2年生になってクラスが一緒になったTくんと僕は何かのきっかけで仲良くなった。ある日、僕はTくんの家に遊びに行くことになった。僕の町で遊ぶ、ということはだれかの家に行くか学校の運動場で遊ぶこと、そして行くあてもなく探検すること、この三つしかなかった。何もないあの町の小学校では、小学5年生になるまでは他の町に子供達だけで出かけることは校則違反とよばれる行為だった。その掟を破ったらどうなるのか、それはだれにもわからなかった。その掟を破るような乱暴な奴なんてこの小学校には一人としていなかったから。僕らはこの町の中でなんとかして楽しまなくちゃいけなかったし、それを不満に感じるにはまだ幼かった。チャリンコで一周するのに10分もかからないような町の中にも、僕らが楽しめそうな場所はいくらでもあるように思えた。
 Tくんの家に初めて入った時、一番最初に衝撃だったのはその匂いだった。新築だから、ということもあったと思うけど、そのなんともいえない不思議で魅力的な匂いは、例えるなら外国のクッキーが何種類も入った缶の中に閉じ込められた小さな魔法のようなものだった。そして、リビングのドアを開けて玄関に出てきたTくんは黄色に黒の線が通ったジャージを着て、手にはヌンチャクを持っていた。立て続けにパンチを食らった僕は靴を脱ぐ前にもうすでにノックアウト寸前だった。
 Tくんちのリビングはそれまで僕が入ったことがあるどの家のリビングよりも広くて綺麗でそして刺激的だった。お父さんはもちろんお母さんやおばあちゃんがいる様子が全くなかったことにも僕は驚いた。お母さんもお父さんもいない時に友達を家にあげるなんてあの頃の僕には考えられないことだった。Tくんが僕に最初にしたことはプレイステーションでブルースリーのDVDを観せることだった。DVDもプレイスレーションもブルースリーも僕にとっては初めて体験するもので、頭がくらくらした。全部が未来のもの、というよりは外国のもの、という感じがした。プレイステーションがどういうものなのか、ということとブルースリーの映画の面白さはさっぱり分からなかったけど、DVDで再生された映画のありえないぐらいの綺麗な画面、そして巻き戻し、早送りの概念を遥か彼方にぶっ飛ばす「チャプター」の存在はものすごく衝撃的だった。石川県の小さな町では映画はレンタルショップで借りてきたビデオテープで観るものだった。多分どこの町でもそんなものだったんじゃないかと思う。時代はミレニアム目前の1999年の話。僕らにとって一番大事なのはどうやって発売日に「ポケモン金・銀」を手に入れるか、ということだった。
 それから僕はしょっちゅうTくんの家に遊びに行くようになった。僕の他にもTくんちに遊びに行っている子はいるみたいだったけど、なぜか彼は僕らをひとりひとり自分の家に誘った。何回遊び行ってもTくんの家に大人の人がいる様子はなかった。Tくんが教えてくれるものは、他では観ることや触ることができないものばっかりでとても刺激的だったけど、そのどれもが面白かったわけではなかった。アメリカの兵隊が持っているようなエアガンやトイザらスには売っていないようなアメリカンコミックのフィギュアは、当時の僕にはよく分からないものだったし、Tくんがゲームを一人でプレイするのを横で見ているだけの日には、早く帰りたいなぁと心の中で思っていた。Tくんがプレイするのはゾンビを銃で打ったり、そもそも、僕にとってはプレステのカクカクした感じよりもロクヨンのグラフィックの方がずっと良いものに思えた。ときたま僕が帰りたそうにするとTくんはとても嫌そうにして、そういう時だけやけに優しくなったりした。ゲームのチュートリアルのようなステージを遊ばせてくれたり、お菓子を出してくれたり、次に観る映画を選ばせてくれたりした。
 Tくんの家にはたくさんDVDがあった。彼はサメが出てくる映画や残酷なホラー映画、宇宙人と戦うような映画がとても好きだった。「ジョーズ」も「ディープ・ブルー」も「インデペンデンス・デイ」も「プレデター」も「13日の金曜日」シリーズも全部Tくんの家で観た。とにかくシュワちゃんが出てるやつとスタローンが出てるやつをたくさん観た。「007」シリーズは本当に退屈だった。これは本当にやばい、といって「スピーシーズ」を観せてくれたこともあった。僕はそういうシーンになると両手で顔を覆い、指の隙間を何ミリかだけ開けて薄目で画面を観た。Tくんが観せてくれる映画は全体的に金曜ロードショーというよりは日曜洋画劇場的なチョイスで、僕の好みじゃないものが多かったけれど、ジェイソンが死ぬシーンだったり「スピーシーズ」のエイリアン親子が退治されるシーンだったりに感じたなんともいえない切なさはとてもグッとくるものがあった。Tくんはそういう切なさにあまり興味がないみたいだった。
 Tくんと遊んでいる時と他の子と遊んでいる時とでは自分が全然違う人のような気がした。違う子と遊ぶ時の僕は相変わらずポケモンのこととカードゲームのことで頭がいっぱいだった。大勢で集まっては64のコントローラーをフルに使ってスマブラやマリオカートを外が暗くなるまでひたすらにやりまくった。僕はひたすらに赤い帽子の男の子のキャラを使い、遠くの方で戦ってる奴らに離れたところから電撃を食らわせた。時間があればあるだけポケモンスタジアムのミニゲームをランダムで繰り返し遊んだ。なかでも回転寿司を食べまくるゲームは当たりだった。みんなといる時の僕は今と変わらずおしゃべりだった。Tくんは何をする時もそれが二人だけの秘密であるかのように振る舞った。何回も何回も彼の家に遊びに行く内に、僕はなんとなくTくんがどういう子なのか、この家がどういう家のなのかということが分かってきているような気がした。Tくんの家にはゲーム機はプレイステーションしかなかった。みんなの家にもそして僕の家にも、プレステはなかったけどロクヨンがあった。4年生くらいになって、僕にも好きな映画や好きな小説ができた。音楽も好きになった。だんだんTくんと遊ぶことは減って行った。
 中学校になって、隣の大きな小学校の生徒たちと一緒の学校になった。生徒の数は倍ぐらい違ったし、向こうの小学校にはヤンキーもカップルもいじめられっ子もいじめっ子もいた。ものすごく大きなやつもいたし逆にものすごく小さいやつもいた。僕たちはそれまで、どこまでも小さな町で育ったことを思い知らされた。ふたつしかなかったクラスは5つになり、全員が部活に入らなくてはいけなくなった。小さな町からやって来た僕たちはそれぞれがそれぞれのすみかへと散って行った。僕は陸上部に入って、そこでできた友達と四六時中一緒にいるようになった。毎日、日が暮れるまでグラウンドを走り、帰り道ではチャリを引いて歩きながらゴーイングアンダーグラウンドとくるりとアジカンを歌った。Tくんはあまり僕が好きじゃない感じのすみかの方へ行ったみたいだった。ある日、体育の授業に向かう途中の廊下で、鼻を押さえながら泣いているTくんを見た。ものすごい速さで噂が回ってきて、それによるとTくんはヤンキーを怒らせて鼻を折られたらしかった。怒らせた理由も聞いたけど、僕にはあまり関係のない話だった。
 中学2年の時に隣の町にTSUTAYAができた。僕は本当に毎日のように自転車を漕いでCDを試聴しに行った。僕の住んでいた町と隣町の間には乾いた田んぼだけがあって、その中を一本の細い道路が通っていた。その道は僕の町の外れ、Tくんの家の前から伸びていて、僕は必然的に毎日のように彼の家の前を通り過ぎていくようになった。もう会わなくなった友達の家を横切るのはいつまで経っても少し変な感じがして、その家の前を通る時は自然とペダルを踏む力が強くなった。高校生になった僕は、週末の夜9時にテレビから流れてこないような映画を観るようになっていった。いわゆる単館系っぽい洋画やそんな雰囲気をまとった邦画をたくさん観た。たまにレンタルコーナーでふと、Tくんの家で観た映画を何気なく手にとってケースの裏面のあらすじを読んでみたりもした。大抵が大味でその頃の僕にはちっとも面白そうに思えなかった。その頃には「3本買っても3000円」セールみたいなものが始まって、映画のDVDがどんどん手軽に手に入るようになっていた。DVDは当たり前になり、次はブルーレイというものがやってくるらしかった。はじめてブルーレイのヌメヌメした動きを観たとき、鼻の奥にはTくんの家の匂いがした。
 それから10年ぐらいが経って、週末のテレビではほとんど映画が流れなくなった。今でも散歩している時に、ときどきTくんの家の匂いがしてくることがある。家の匂いは意外と外に漏れやすかったりする。その匂いの正体が何なのかはまだ分からないけれど、Tくんの家にロクヨンじゃなくてプレステがあった理由が今の僕には分かるような気する。僕がみせる帰りたそうな素振りにTくんがなにを感じていたのも、今なら分かるような気がする。

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