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「光の庭と魚の夢」のあとがき

『愛がなんだ』という映画のために主題歌を書き下ろすことになったとき、それまで意識的に避けていた(というよりかは単に苦手意識があったのかもしれません)「ラブソング」というテーマに向き合うために、パソコンのライブラリのなかの「ラブソング」っぽいな、と思う曲を片っ端から聴き返してみました。わたしと僕、彼と彼女、改めて歌詞に集中しながら聴いてみるとその多くが男性と女性の関係、出来事ばかりが描かれてることに気づかされました。それはまるで世界には「男性」と「女性」というたったひとつの組み合わせしか設定されていないことを表しているようにすら感じられ、そんな違和感を飲み込まないでおくために、そのときに書いた「Cakes」という曲では「僕」も「私」も「彼」も「彼女」も使わずに恋愛のことを描くことにしました。性別を決めつけることなく、それでも抽象的なものを集めるのではなく、ぐっと被写体にレンズを近づけるようなラブソングを作れたら、もしかすると映画がきっかけでこの曲に触れる人になにか変化の種のようなものを差し出すことができるかもしれないと思ったのでした。様々なジェンダーのひとたちがそれぞれ、世の中にあふれる「ふつう」のラブソングを変換して自分のことに当てはめなくてもいいような、そんな必要のないものを作るたいと思ったのです(それは自分たちにとってとても大切なことだったのだけど当時のほとんどのインタビューではカットされるか軽く触れている程度に編集されていて悲しくなった)。
 それからも、恋愛の歌詞を書くときには性別を断定するような表現を使わないようにしてきました。これは僕なりのひとつの抵抗でもあるし、一ミリでも社会が良いほうへ変化していくことへ向けた行動でもあります。ひとつでもそんな表現がこの世界に増えてくれれば、誰かをそっと勇気づけたり、安心して息ができるような瞬間を作れるかもしれない。それはこれまでも僕たち4人が、Homecomingsというバンドが大事にしてきた「やさしさ」(もちろんそれは上から下へという角度ではなく横のつながりに近いもの)というものにもつながっていくと思っています。
 「光の庭と魚の夢」は、去年の夏に同性婚にまつわる悲しいニュースを観て書いた短い詩が元になってできた曲で、様々な組み合わせのパートーナー同士が誰の目を気にすることなく、そしてどんなシステムからもこぼれ落ちることや弾かれることなく一緒にいられるようになってほしいという願いを込めた歌です。社会や誰かが勝手に決めた「ふつう」から外れた人たち向けられる異物を見るような視線やアウティングの恐怖がない場所がいつか見つけられたら、僕たちが暮らすこの国や世界がそんな場所になれたら、そんな未来に一日でもはやくたどり着くために自分がなにができるか。
 1月の半ばにこの曲をリリースしてからこの文章を書いている2月のはじめまでのたった何日かの間にも、同性婚にまつわることや性的マイノリティーの人たちに対する、目の前がくらくらする悪い冗談のような出来事がいくつも立て続けに起きました。そのたびに虹色に染まるストーリーズを眺めながら、すーっと心がどこか遠くへ落ちていくような無力感と悲しみ、そして怒りを覚えました。未来に向けて少しずつでも社会をやさしい方へ、という思いと同時に、今、息苦しい思いをしている人たちのためにすぐにでも社会が変化する必要があるという思いも日に日に強くなります。自分にできることをひとつひとつ積み上げていくこと、それが無駄なことでも遠回りでもないということ。「光の庭と魚の夢」がなにかを考える/知ることのきっかけのひとつに、そして誰かにとってのお守りのようなものになることを願っています。

https://youtu.be/1mSkz0NDc6E

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