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はなれたまちのニューソング


1月のリリースした平賀さち枝とホームカミングス『かがやき/New Song』について。

 「かがやき」は去年の春にリリースした「Cakes」という歌詞を書いていた時にできたもので、いわば双子のようなものだ。だからキーも同じAだし、なんとなくメロディや音づくりも似ている。「Cakes」という歌は『愛がなんだ』という映画から生まれたもので、去年の年末、とても寒い時期に書いた(「Cakes」のことは特設サイトやPINTSCOPEの連載で詳しく書いているのでそっちも読んでもらえると嬉しいです)。たくさんの詩にならないようなことばの断片やキーワード、景色なんかをひとつのページにずらっと書いていって、そのことばの海のなかから、ふっと大事な連なりが勝手に浮かび上がってきたり、あれやこれやと並べ替えたりくっつけたり離したりしてひとつの詩にする、という書き方で僕は歌詞を作る。もちろんそうじゃない方法や形で生まれたものもたくさんあるけれど、一番自分のなかで納得がいく、というか呼吸がしやすい書き方がこれなのだ。だから僕が書いてきたほとんどの曲には、その曲になれなかったかけらのような言葉や物語の断片たちがたくさん存在する。それはほとんどの場合、ノートやパソコンのメモのなかでひっそりと眠っていて、そこから揺り起こされることはめったにない。「Cakes」もそういう方法で書いた曲で、そこには他の曲たちと同じように「Cakes」になれなかったことばたちがたくさんあった。それはなんだか僕が高校生の頃、放課後によく見に行った、ゴミがたくさん流れ着いたままのあの海岸に似ているように思えた。そこには「Cakes」とは明らかに違った声をもつ言葉たちがいて、そういったものから「かがやき」の詩は生まれた。なんだか無視しちゃだめな気がしたのだ。永遠と一瞬のこと。掴めるように見えて掴めないもの、そしてその逆のもの。そして僕の中でずっと波打ち続けるあの海のこと。
 東京に引っ越してきて、これまでのようにサンダーバードじゃなく、新幹線に乗って石川に帰省することになったのだけど、その新幹線の名前が「かがやき」でなんだか奇妙な縁を感じてしまった。そんなこともあってこの曲のMVは地元のしかも僕が生まれ育った町の近くで撮影した。後半に出てくる手取フィッシュランドは実家のそばにあるまぁまぁ大きな遊園地で、田んぼに囲まれた町と大きな川と観覧車とジェットコースター、というのは僕にとってセットになっている原風景のようなものだ。ラストシーンの電話ボックスは僕が大好きな清水屋というお菓子屋さんで、ここのいちご大福は他のどんなお店のものよりも美味しいと思っている。車を停めるシーンの道は中学のときの通学路で、そこから交差点を入ったところにある図書館から撮影した。この図書館で僕は毎週のようにたくさんの本を読んでいた。ここも大事な場所のひとつだ。

「New Song」はさっちゃんが書いた曲。はじめにデモを送ってきてくれた時にはもう歌詞もメロディも全部が揃っていて、本当に良い曲だな、と思った。今はもう住んでいない町の、レンガのような色の狭い歩道を散歩しながら何回も何回も聴いてイメージを膨らませた。「はなれたまちのニューソング」という歌詞が、僕たちとさっちゃんの関係を表しているような気がして、さっちゃんから僕たちへの手紙のような曲だと勝手に思っている。今回のリリースはレコードだけということもあってインタビューもないし、本人に直接聞いてみたりもしていないけれど、多分そんな曲なんだろうな、と僕は思っているし、「かがやき」も「New Song」ももっといえば僕たちが書いてきたどの曲もそんなふうに誰かにとってのなにかであってくれたらいいな、と思う。今回は予算の都合でMVを撮ることができなかったけど、どちらがシングルでどちらがカップリング、ということもなくて、2曲のEPという感覚がある。さっちゃんの歌の中には僕にとってとても大事な歌がたくさんあって、『23歳』と『まっしろな気持ちで会いに行くだけ』という2枚のアルバムにはそれぞれ別のタイミングで救われたような気持ちになったことがある。
 ジャケットやアーティスト写真では、僕が好きな町を詩織ちゃんに撮ってもらった。変わっていく途中の景色があって、その景色を形に残しておきたかったからだ。工事中のその景色はもうそこにはなくて、今は出来上がった大きなビルがある。 大きな川の側のその景色は去年の台風で全然違うものになってしまったのだけど、春になるにつれてまた緑が少しずつ戻ってきたみたいだ。
 Homecomingsとさっちゃんの関係性はなんだか不思議で、たぶんその場にいる5人全員がわりと人見知りなのもあって、近づいたかな、と思うとまた離れたり、久しぶりに会う度に「あれ、敬語で話してたっけ?どっちやったっけ?」となったりする(これは5人というか僕が、だ)。一緒に遠征に行ったりも実はあまりしていないし、バンドを組む前も含めるともう10年近く一緒にいる僕たち4人の空気感みたいなものに、半年に一回ぐらいのペースで入ったり出たりすることは僕たちが想像する以上に気を使うものなのだと思う。僕は余計なことを考えすぎたり、大事なことをすっとばしたりしてしまうことがあって、あんまり人とうまく距離を測れないことがよくある。なんだか上手にできなくて申し訳ないな、と思うこともたくさんある。それでもまた新しい歌を作ったり演奏したり、どこかへでかけてみたい。僕たちが演奏して、さっちゃんが歌うとき、それがライブのステージの上や、狭いスタジオのなかでも、そこに風が吹くような不思議な感覚になることがある。そんなふうに感じることは他の瞬間にはないことで、それがたまらなく気持ちがいいし、そういうときは決まって、さっちゃんはリズムに合わせて楽しそうにダンスをはじめる。そのとき、この5人の音は他のなににも替えの効かないものなんだと、はっきりそう感じる。
「いつでも続きをはじめようよ」とさっちゃんと彩加さんがうたうとき、僕はすこし泣きそうになってしまう。


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