「命の選別」を分析する-人工妊娠中絶の4象限図
人工妊娠中絶abortionについて,社会学の説明などで使われることがある4象限図(four quadrant chart)をまねして分析してみました.Abortionの是非を横軸,selective abortionの是非を縦軸にして,abortion全体にたいして4つの考えかたの立場に分けてみたものです.
厳密にはselective abortionはabortionにふくまれますが,ここでのabortionはselective abortionをふくまない一般的なものとしています.矢印は価値観の概念的な展開をあらわしているもので,決して「歴史」的にこのように進んできたものではありません.
まず第1象限(first quadrant)は,いっさいの中絶を道徳的に認めない立場です.アメリカでは一般にpro-lifeと通称され,思想的には保守主義的(conservative)で,宗教原理主義的(religious fundamentalism)でもあります.
そこから展開して,第2象限(second quadrant)は,わたしの考えでは欧米でもっとも一般的な価値観であるキリスト教的合理主義的な立場です.これはキリスト教思想が近代合理主義とのかかわりあいのなかで形成されたもので,中絶は基本的には悪であるが,なにか特別な理由があるときは許容されることもある,といった考えかたです.たとえば胎児に重大な奇形があるとか,生命をおびやかしたりQOLをきわめて低くする病気があるときなどです.
第3象限(third quadrant)は,さらにそこから進んだリベラルliberalな立場で,pro-choiceともいわれます.自己決定と自己責任を重視する考えかたです.フェミニズムもこの立場にたつことが一般的です.
そしてこのように思想の展開をみていくと,もうひとつの立場が理論的にあり得るのがわかります.それが第4象限(fourth quadrant)で,現代日本で大衆に根強くある考えかたです.すなわち中絶一般についてはとくに禁止しないが,胎児の性質(病気の有無や性別など)によって産んだり産まなかったりを決めるのは親のエゴであり,許されないというものです.
「命の選別」という概念がありますが,日本の哲学者,倫理学者は,他者の生命の質を選別することは,親であっても倫理的に許されないと主張していて,メディアの多くも同調しています.しかしこの考えかたは厳密には論理的におかしいところがあります.Selective abortionはabortion一般のなかにふくまれるわけですから,abortionはふつうにOKなのに,いざ胎児に病気が見つかったりすると,とたんに中絶が許されなくなるということになります.
この考えかたは多くの日本人の感性に訴えかけるものがありますが,歴史をさかのぼると実はそれほど古いものではありません.70年代に日本の公民権運動がさかんになった時代に,「産む産まないは女性の権利」を主張したフェミストfeministと,羊水検査/中絶に反対する障害者団体(「母よ,殺すな!」)がはげしく対立したことがありました.いわばその両者を調停するために,いっさいの「命の選別」に反対する,という思想が編みだされたと考えられます.
しかしこの日本的な考えかたも,今日おおきく変わろうとしているのを感じています.これまでは,出生前検査を受けて結果が悪ければ中絶するという考えかたを,おもてだって積極的に主張する妊婦はあまりいませんでした.Silent majorityだったのかもしれません.
しかしいまは正々堂々と検査を受ける権利を主張するひとが多くなりました.いろいろな意味で出生前検査を躊躇するわれわれ医療者を,逆に声高に批判するひともいます.まちがいなくこれは,2013年にはじまったNIPTがきっかけだと思います.