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洲之内コレクション

宮城県美術館に「洲之内コレクション」があります。藝術新潮に「気まぐれ美術館」を連載していた、洲之内徹の手元にあった日本人画家の手になる絵画コレクションです。洲之内徹は、あまり知られていないわりには熱烈なファンがいて、孤独なわりにははなやかに生きて、1987年に74歳で亡くなった、美術評論家というか画商というか作家のようなひとです。

洲之内の没後、都合150点ほどのおもに昭和期の作品群が散逸しないようにと、宮城県美術館によって一括して買いあげられました。村山槐多があり、萬鉄五郎があり、海老原喜之助があります。靉光や中村彝や鳥海青児といった名だたる画家の絵が並んでいるなかで、無名な地方画家の絵といったものも多く、世評にはあまり関係なく、洲之内の純粋な好みというか、絵画観をつよく反映した独特なコレクションになっています。

洲之内の書いたものをわたしが好んで読むようになったのは、残念ながら彼の死後でしたが、美術評論といったことばではかんたんに括れないような、いわば私小説的なエッセイに魅せられました。復員後、故郷の松山に妻子をおいて上京し、そのまま東京でひとり生きて東京でひとり死にました。とにかく女性にもてたひとらしかったのです。

「気まぐれ美術館」のたとえば「松本竣介の風景」と題された4回分の連載。松本竣介の描いた風景の現場を都内に発見していく話です。竣介の風景作品を、伝聞やその絵の感じから、どのあたりとおおよその見当をつけることはしても、実際にその場にいって確かめるということはだれもしてきませんでした。それを洲之内はあちこち歩きまわって、発見したり推理したりで、つぎつぎとあたらしい事実をみつけていく、その過程がばつぐんにおもしろい。

さらに「ニコライ堂」の絵に屋根だけ描かれた建物が、陸橋のわきの公衆便所であることを確かめ、終戦直後にその屋根に事務所をかまえていた戦友を思いだし、それから戦争中の思い出にひたり、また五反田の道を歩いては、ある女性と暮らした6年間を懐かしみます。不動産の主人に「奥さん美人ですねえ」と臆面もなく語らせたり、乗りこんできた空手有段者の彼女の亭主と対決する話とか、ほとんど私小説ですね。

松本竣介は昭和16年に発表した評論「生きてゐる画家」で、軍部に抗議した抵抗の画家として知られています。竣介は洲之内の最愛の画家のひとりですが、それでも竣介の文章をていねいに読みかえし、それ以外の戦後の資料も逍遙しながら、疑問に思います。「絵の中からはあんなに繊細に、あんなに静かに、しかも強い説得力をもって人の心の奥深く語りかけてくる松本竣介が、ひとたび文章を書くと、どうしてこんなにしゃっちょこばったタテマエ論者になってしまうのか」

写真は、洲之内コレクションのなかでも白眉の作品で、松本竣介の代表作でもある「画家の像」です。彼はどの自画像でも、両足を左右にふんばり、大見得をきって仁王立ちになっています。そのとき彼は「人間と芸術家の名のもとに」に立ちあがり、立ちはだかっているようです。しかし、そのものものしく大げさなポーズのむなしさは、彼の自負と使命感と陶酔のむなしさではないか。「私は松本竣介が好きだ。しかし、そういう松本竣介は、私は好きになれないのである」

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