見出し画像

映画「ミッドサマー」で思ったこといろいろ

ミッドサマー」観てきた。コロナな状況なのに、映画館は水曜サービスデーで結構混み混み。っていいのか。まあ、観た理由はこれに尽きる。

現在「あーなんで観ちゃったんだろう」という気持ちと「観たおかげで考察を読むのが面白い、いや、むしろ考察の方が面白いぞ」という気持ちがないまぜに。  


いろいろ思うところあるので書きなぐったんだけど、その前にネタバレにはならないネタをひとつ。

架空のホルガ村公式サイト。謎の点滅や来訪者カウンター、表示エラーも含めて人里離れた村のホームページ(あえてこう言いたい)としてはPCで見るととてもいい感じなのだが、スマホ対応表示になってるのが作り込みの点で残念と言わざるを得ない。

画像1


ホンモノの旧時代ホームページってのは、こうだからな!!

画像2

パンフレットの絵も含め、北海道当別町の夏至祭が「ミッドサマー」鑑賞後にはざわ・・・ざわ・・・にしか見えない完成度の低さ、いや、高さ。本気で作ってこれのほうが圧倒的に怖いよ。noteのサムネも出ないし。これ2015年って、まじか。  



※以下、ネタバレを含みます。鑑賞者にしか伝わらない書き方をします。でも、このnoteを読みたいからって「ミッドサマー観に行こ」ってのはやめたほうがいいかと思います。ゴアと鬱描写が平気なメンタルの人はどうぞ、ってかもうそういう人は観に行ってる気がする。  




では、スタートッ。


-----

はい。とりあえずもう二度と観ない映画ね。理由は以下。


まず、私はゴア表現、とりわけ顔がなくなる系のものがダメ。現実の血とか人体の不思議展とかは平気だけれど……映画は無理。ほんと無理。悪趣味。野蛮。鶏小屋でのバイキングの拷問とか、目ぇ細めてたし。だから肺が動いてたって後から考察で知った。何しに行ったよ映画館

ゴアをエンタメにする人の心理が心の底からわからない。なんかもう文化が違う。だからいつまでたっても戦争がなくならないのよ、などとナイーヴなことを思ってしまう。  

でも不思議なのは、クマの解体シーンは普通に観てられる。あー解体してるなー、くらい。でも、隣にクリスチャンも置かれた瞬間、げ、こいつも生きたまま内蔵出される??と思って目をつぶりかけたのだけど(結局違ったけど)、この心理の変化は興味深いなと。クマはよくて人間は平気……。あ、でも多分これがネコだったらダメだろうな。Netflixの「猫イジメにNO!」を観ながら夫と、「えっ、待って、これ猫殺されるシーン映らないよね? あうあうあ」とか言いながら2人で怯えてました(結果映りませんでした)。人の心理なんて勝手よ。

あと、食事がすごくまずそうすぎて、これ殺された誰かの人肉じゃねーだろうな……とびびりながら観てた。でも、ホルガ村にはカニバリズムの文化はなかったみたいで、それはちょっとホッとしました。私、カニバもダメで……。ついでに陰毛食わせる系呪術も無理。昔、漫画「GTO」でそういう表現あって吐きそうになった。料理で遊んではいけません。って無理ばっかじゃないか。マジでなぜ観に行った。なんか、だんだん後悔のが強くなってきたな……

画像3

フジロックのField of Heavenの入口みたい、って思ってしまった貧困な想像力。  

そういうのを抜きにすると、「ミッドサマー」は山岸涼子の短編集「海の魚鱗宮」に入ってる漫画とか、藤子・F・不二雄先生の「ミノタウロスの皿」とか。あとは最近ジャンプ+で連載中の「秘密の果実」とか。価値観が完全に違ってる意味では「ミノタウロスの皿」が一番近いだろうか。とにかくそういうタイプの怖さなんだろうなあと思う。ゴアを抜けばね

だから、みんなが映画史上最悪に気持ち悪いセックスと評してたシーンは最高だったし、それを覗いてしまったダニーもすごくよかった。彼女を村人が止めないのもお決まりなんだろう。正直、ああいう心理的気持ち悪さの方が、ゴアみたいな直接のグロよりも数倍、響く。さらに、その後のめちゃくちゃリアルなダニーの慟哭に同調する村人も素晴らしい。セラピーという感想はよくわからないけど。ああいうので攻めてくるなら、あの監督の作品他も観てみたいんだけど……ゴアがなあ……

ただ、せっかくのシーンがあまりにお粗末なモザイクで台無しになってたので無修正版が気になり調べたところ、まさかのPornHubにあのシーンだけの動画があったのみつけてしまった……あれで抜けるやついんのか。その存在のが怖いわ。

要するに、日本では結構昔から漫画の題材にすらなるようなもので、だから多分私が知らないだけで映画や小説などでも似たようなものはあるのだろう。つまり特別目新しい話でもなく。むしろ不条理系の漫画が好きな私にとっては、ごく馴染みある系統の話。ゆえに意外性はなく、全部予想通り・想像通りすぎるほどに事が運んだため、ところどころの描写をむしろ浅く感じてしまった。あのセックスシーンがなかったら駄作って言ってたと思う。ゴアへの恨みもひどいし。

自分は今、36歳で。思春期に「ミノタウロスの皿」や「海の魚鱗宮」を読んでしまった時の、あの頭に血がのぼるようなイヤーーーな気持ち(でもまた見てみたくなる不思議な感情)を再び味わうにはそれらの感情に慣れてしまったのが寂しくもあり、変なストレスにならずに済むのもあり。複雑。

映像はとても綺麗でした。明るい、でも白んでる感じの綺麗さ。あと褒めるべきところはトリップ視覚効果。ドラッグの幻覚は知らないけれど、酒飲んでべろべろな時とかもぐらぐらしたりはするわけだし、と思うとかなり近いんじゃないかなと。ケシの花が呼吸してるようなCGは、最初見間違いに思えて、それがまるで観客たちも一緒に幻覚を観ているな錯覚におそわれるようでよかった。誰かが考察してたけど、あの花冠を構成しているのは、どれもこれも幻覚系植物らしい。なるほど。

でも、あの映画で私の心臓が一番脈打ったのは、ダニーの悪夢「夜、みんなが私を置いて帰ってしまう」ところ。まだ村の人ともあまり打ち解けてないし、あんなショッキングなことがあった後、"共通言語を持つ人々"が帰ってしまい、自分が帰る手段がなくなる、これがまじで悪夢だった。音もずーっと不穏だし。これが数回続くなら映画館出たいって思ったけど、1回で終わってよかった。  

結論は、冒頭でも言ったけどゴアや不穏な音楽が嫌だからもう観ねえよ。でもこうやって考察しちゃったりするのは、とりあえず吐き出さないと気が済まない気分にさせられる映画であるんだろうな。映画レビューを特に書くつもりなかったnoteでこんなに書かされてしまった。つらい。

当のアリ・アスター監督はこんな感じ……。  

画像4

うるせえ。お前をミッドサマーにしてやろうか。


以下、ツッコミどころと、考察、気になったところなどを箇条書きで。ルーン文字とかの考察は他の人の考察を読んでください。あと映画の読解力があまりないので、突拍子ないこと言ってる部分もあるかもしれないけど、まあそこはご愛嬌で。

・ホルガ村からの生贄4人中2人は誰? 崖から投身した2人の老人の遺体は燃やしてたよね?でもこの2人じゃないと辻褄合わないんだけど、顔のない遺体なんてどこにあったよ……わからんかった……。(映画の最初の1時間くらいは「ヒゲ」「メガネ」「長髪」みたいな区別しかつけられないダメな人です、私

・ジュースに混ぜるほど経血が出ているのは生理1〜3日目だから、1〜2日以内に排卵して妊娠するのは周期的に無理な気がする。もう少し精子のストックとか必要だと思うし、もっと9日の祭りの間じゅうずっとセックスに耽らせるくらいの描写にしてもよかったんじゃないかな、それなら妊娠の確率は上がるかもしれない。ってそっちのほうが悪趣味か。

・陰毛と経血の呪術系タペストリーの絵がいくらなんでも直接的4コマ漫画すぎ。あれだけ異質。もう少し隠喩にできなかったのか。他と同様、1枚絵にするとか。

文化人類学専攻しててあの程度かよっていうベタで稚拙な行動を起こすジョシュとクリスチャンにイライラする。あと、なんでマークと友達なの。頭悪いにもほどがあるだろ。

・ダニーの家族は間違いなくペレか、ホルガ村の誰かが殺ってる気がする。最寄りの駅のダイヤもさらっと言ってた感じだったし、一度青年期に旅に出ていたにしても、なんか街に出慣れてる感がある気が。

・もしかして彼ら、あの幻覚剤を売って村の資金にしてるんじゃないのか。それが村の主要産業、だとしたらありうる。ペレがプッシャー(売人)っていう描写って、あったっけ。でもその旅に出る青年期に貿易を兼ねていたら。そしてドラッグに抵抗がない同世代の若者をホルガ村に引き入れて生贄にしてるというなら、結構やりやすい気がする。

・以上のことを考えると、あれが本当に90年に1度の祭りならば伝統文化として異文化を重んじるべき(フィクションだけど)なんだろうけども。ペレの親が焼死という話と、メイクイーン多すぎる問題(しかも元メイクイーンは誰もいない)からすると、多分彼らのボスはカルト教団だとわかってて1年に1回くらいは規模の小さい夏至祭をやってる、という設定な気がする。明らかな乳児もいたし。

・ちなみにガチのカルト教団はこんな感じ。

・自分の心に生まれたスウェーデンに対する熱い風評被害。実際に行われている夏至祭が怖くなった。夏至祭ってものの存在を知らなかったので、「ミッドサマー」のイメージが先になっちゃったじゃん……。  

・2020.3.1 追記 ある友人が罪を犯してたとする。その場合、人は、赤の他人が作った法律や意見よりも、自分の友人を信じる。それは友人がいいやつだから、ではなく、自分が友人を信じたという、自分の感性を否定したくないから。クリスチャンとジョシュの文化人類学専攻しててあの程度の知性ってのもあるけど、カルトと閉ざされすぎた村との違いを彼らが見抜けなかったのはなによりもそこなんじゃないかと思う。なんかあいつらプライド高そうだし。マークは知らん。このテーマについてはずっと考えてることなのでまたもしかしたらnoteに書くかも。  

こんなところにたどり着いている人はもう知ってると思うけど、観た人限定の公式解説ページがあるので、こちらも合わせてどうぞ。ちなみにこのページでいちいち出てくるポップアップも私は怖い。


おしまい。


投げ銭、とっても励みになります