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7月5日


最近、自部屋にテレビがやってきたんですよ。

5年ほど前に、財政難からテレビを質屋に入れてからというもの、地上波を見る手段がなく、主な情報源は、Twitterと、その他ネットと、深夜に聞くラジオが殆どでした。

そんな中、実家から使わなくなったテレビが送られてきたため、途端に日常生活にデジタルな彩りが増えた。

チカチカするのは画面の発光だけでなく、久しぶりに触れるテレビ的情報の新鮮さもあるからだと思います。
目から通って頭がチカチカする。
密ですよ脳内で。
脳内での情報が密です。
テレビでは小池さんが続投の会見やってますよ。

都知事選挙、行きましたよ。

わざわざ言うことでもないのかもしれませんが、行きました。

Twitterなんかでは皆が皆、投票行った行ったと報告していて、なにやら脅迫的な圧にも感じ、いちいち言うことでもないだろうがと思いつつ、俺も得意気に呟いたんですよね、選挙行ったって。

得意気っていうのがまたダサい。
でも得意気だったんでしょうね。
なぜなら選挙なんて久しぶりでしたから。

正直、政治的な物事には興味は皆無なまま生きてきたため。各種投票も、今まで殆ど行ったことがありませんでした。
芝居はじめて五年ほどは、所謂社会派と括られるような劇団に席を置いていたくせに、時事に関心をもつのは、公演の時だけで、その都度必要なことを調べては、終幕後はぼけらっと日々を生きるという、ことの繰り返しでした。

それがコロナちゃんが流行りはじめて、国から危ないよー危ないよーと声かけられて、自粛という名の引きこもりをはじめて、
やっとこさまともに政見放送やらを見てみるようになりまして、

率直に言うと面白かったんだよな、やっぱり。
病院には行かなかったものの、4月ごろに、一時期コロナらしき疑いの症状が出たりもしたので、
夜中に急に痰が出て咳き込んだりとか、口回りが苦くなったりとか。

こんだけ自分の生活に密接してますよと思い知らされると、興味を持たざるを得なかったというか、
普段野球なんぞ一切見ないのにWBC決勝だけテレビをつけてしまうのと、殆ど同じ感覚でした。
今もそうなのかもしらんですが。

急に某YouTube大学とか見て、ノートに書き取ってみたりとか、
YouTubeすごいですね。
便利ですね。
当たり前か。

引きこもり期間の主な変化が三つあって、

絵を描くようになったこと
ギターの練習をするようになったこと
政治に興味を持つようになったこと

暇潰しというか、自部屋でできる趣味みたいな感覚であったんだと思います。

テレビがやって来たのはなかなかよかったなと思っていて、
俺のTwitterのタイムラインとは、垂れ流される情報の質が全然違う。

Twitterはもう、投票行こう行こう、小池さんダメだダメだ変えないとダメだという怒濤の流れがあって、そんで俺もそこまでではないにしろ変えたほうがいいなという意見であったんですが、
まあ予想はしてましたけれども、圧倒的再選が決まりまして、
なかなかショックでした。
いや、ショックだな。まだまだショックだ。
ショックというとちょっと癪だから、怒りとか飽きれとか驚きとか、様々がない交ぜではありますけれども。

その、タイムラインとのギャップといいますか、
自分の触れている情報の流れが如何に部分的というか、極致的であったというか、

柄にもなく千葉の母親に電話なんかしてしまって、
都知事選の様相がどのように見えていたかというみみっちい質問をしてしまって、
んんそうかそういう感じに見えてたんかと。
テレビもTwitterもラジオも人もそりゃ皆違うわな。

友川カズキ氏の曲、「家出青年」に

貧困が暴力なら 無知も暴力である 悔しき暴力である

という歌詞があって、
まさに自粛真っ只中の、
ライブハウスからの配信ライブで、
その一節を聴いたわけですが、

都知事選が終わり一段落した感があるものの、
選挙に行こうとか、公的に呼び掛けたりするつもりはないものの
まだ己の中で怒りや興味は持続しているようなので、今後も馬鹿なりに考えていこうと思います。

遅いな。
書いてるうちに、こんな時間かい。
MXでストパンらしきものが流れていたような気がしましたが、再放送でもやってるのかしら。
深夜アニメ見れるようになったのはでかい。
欲を言えばドロヘドロが放送しているうちに欲しかった。



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