7月10日
最寄りのコンビニにて、
カツサンドを買い、短パンのポケットに突っ込んで自宅に戻ったら、消えており、
来た道を戻ってみたら、
コンビニを出てすぐの道路に、綺麗な轍型に踏み散らかされておりました。
憎むべきはビニール袋の有料化。
コンビニを利用する際は、商品を剥き出しで、胸に抱えて持ち帰らねばならない。
バケットにでもつめたら健気に祖母宅を目指す赤ずきんの様相。
納豆も剥き出し。
豆腐も剥き出し。
酒も剥き出し。
歯の弱いおばあちゃんでもなんとか噛み潰せそうな思いやりぱんぱんのラインナップ。
それがほんの少し楽をしてキャラを崩したらこの仕打ち。
偶像にも私生活はあるのです。
赤ずきんにも、赤ずきんたる健気さを脱ぎ捨て、
バケットを胸に抱えるのではなく、肩に担ぎたくなる時があるのです。
ぶどう酒をほんのちょっとばかしつまみ呑んでみたくなる時があるのです。
夏場は暑いからそもそもずきんなんか被らないのです。
人前に出るときは被りますけれど、濁流のように汗をかくのです。
たまにはいいじゃない。脱いだって。
街であってもきっとあなたは私のことを赤ずきんだと気づきもしないでしょう。
でもそれでいいじゃない。
会うこともあれば、一生会えないこともある。
それが逢瀬。嗚呼逢瀬。
聴いてください。赤ずきんで、「逢瀬」
潰れたカツサンドは、自宅に持って帰って捨てました。
なかなかの贅沢のつもりで買ったのでショックでした。
やっぱりあれか、エコバッグとかあったほうがいいのだろうか。
苦手なんだよな。
しかし如何にも自分が赤ずきんの如く書いてしまったけれども、そういうことではないのよ。ペラペラ調子にのって軽口叩いただけで。どうにも言葉とのつきあい方はわからん。でも一生わからんか。
現在、主に清掃業を中心にアルバイトを探していて、道にへばりついたガムを剥がして回るのを生業にする方とか、当然ながらそういう仕事もあるんだよなと、
元のサンドされた状態からさらなる圧でサンドされた結果、サンドではなくなってしまったサンドを見ながら、異業種の働きを想像する時間でした。あと何事もやりすぎはよくない
最近、人と長電話をすると、
自分の話をだらだらと聴いてもらう割合がかなり多くなる。
以前からずっとそうだし、今さらそれを悪いことだとは思わないけれども、
他人と喋ったり、外に出た時は、もう少し外に目を向けたいとは思います。
そのほうがきっとよいので。
ひとまずデコをペチペチ叩く癖を少し減らす。
あとイヤホンはめるのをやめたい。
この、人がなにか喋ってくれてる時は、人の話を聴いて、人のために話そうということでした。
書いたら満足して忘れそうですが、書かなかったらどの道忘れるので書いた。
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