ゴミ捨てを忘れない(月曜)
一、
最近、Twitterのミュート機能というものを覚えまして、友人知人のアカウントを片っ端からミュートしております。
大喧嘩をしたとか自暴自棄を起こしたとか人に対する価値観が変わったとか、険悪な原因があるわけではなくて、馬鹿なりに考えた結果でして、
自宅にテレビがない私は、主にラジオとスマートフォンが世論や時事の情報源です。その中でもSNS、Twitterは、自身の宣伝等の用途で開くことが多く、その度に、一度も顔を合わせたことがないアカウントから昨日酒飲んでくだまいた友人まで、フォロー2000人の呟きが目に飛び込んできます。
中身にかんしちゃくだらないものから真面目なものまでありますが、後者の呟きを見かけたときに、例えば政治だとか性だとか、演劇についてもそうですね、何かこう、各々真剣に向き合わなければいけない時事に対しての発信を見かけたときに、僕は非常にその、他者、もっと言えば自分と近い人間の意見に左右されやすく、「なるほどなあ」と納得して、そこで思考を止めてしまい、その他者の意見をあたかも自分の意見のようにのたまうようになったり、ならなかったりということがありまして、このままじゃいかんと。
無知だろうが何だろうが兎に角自分で考えた自分の言葉をもたないことには話しにならないとなり、近くて影響を受けやすい人、そういった事に(僕からしたら)見識の深い人、頻繁にそういったことを発信している人を、一旦ミュートして、自分の言葉で、自分の考えで、そういった物事と向き合う癖をつけなきゃと、そういったところでもって、やっております。
一人で懲り固まっていきそうな恐れもあるんですが、一度やってみようと。知人の人間性や説得力が言葉の裏に生じない、フラットな言語をフラットな自分で見て、そこから己の感想を抽出するということをやっていきたいと。フラットな言語なんてありえませんけれど、でもそこに友人知人の顔や性格がちらつかないだけで僕にとってはかなりフラットに近づく気がしています。
なんだか言葉が堅苦しくてよろいくないですが、人を嫌いになったとかそういうことでは一切ないのよ。すんません。
これに限らず僕はまずは人に興味持つということが入り口になりやすく、だからエッセイなんかを読むのがとても好きなんです。小説とかよりもエッセイ。わかりやすいからなんでしょうね、文字の面白さがその人自身の魅力や経験と直結していることが多いから。なのである程度人となりを知っている方の意見や言葉は好きも嫌いも無関心も影響を受けることが多いです。
勿論、そういった他者の意見からの取捨選択は、そりゃしてきたつもりですが、それだけではどうにも今の自分の同調癖は変わらんなと思いましての、ミュート。
ということです、こんなこと言わんでもいいんですけで、なんだかもやもやしてしまい、ミュートをしてますよということは言おうとなりました。noteの文章稼ぎにもなるし。
二、
DOPING PANDAという大好きだったバンドのPVが、昨年公式から一挙公開されていたということに、今更気がつきましたので、何曲か紹介させてください。最近トレーニング中はドーパンばかり聴いてます。
『The fast soul got all(reason)』初期は全詞が英語の曲が多いです。
『Don't stop your melodies』ミニアルバム「PinkPank」は名盤です。
『under the sea』ディズニー「リトルマーメイド」の名曲カバー。なぜあの原曲からこのカバーがでてくるのか。
『GO THE DISTANCE』同じくディズニー「ヘラクレス」の名曲カバー。なぜあの原曲から(ry
『beat addiction』中期・後期からは日本語英語入り混じりの楽曲が増えていきます。
『nothin'』初めて買ったドーパンのアルバムの一曲目でした。
『crazy』ライブの最後を飾ることが多かった曲。
『beautiful survivor』資生堂アネッサのCMで流れていました。
以下に公式サイトを貼っておきます。
2012年に解散したあとも、ギターボーカルのフルカワユタカさんはソロで活動を続けております。2018年のライブでドラムのHAYATOさん、ベースのTARO(タロティー)さん、メンバー三人が久しぶりに揃い当時の曲を披露したとのこと。
自身を「ロックスター」と称するボーカルフルカワさんの魅力とバンドのサウンドに惹かれて、高校三年の部活引退後は千葉の田舎から東京のライブに通っておりました。そういや自分一人で上京したのは、ドーパンとかエレカシとかミスチルとか、好きなアーティストのライブに行くためだったな。
ライブの後半に「無限大ダンスタイム」と称して、MCなど一切挟まずひたすら激しい曲を連発する時間があり、当時はもうそれがたまらず汗だくになって踊っておりました。今聞くとロックスターとか無限大ダンスタイムとか、ちょっと恥ずかしいんですが、未だに格好いいと思ってますよ。
代表曲のひとつにこの「MIRACLE」がありまして、全編英詞の、ライブだと無限代ダンスタイムを象徴するような、非常に盛り上がる曲なんですが、
解散前にリリースしたアルバムの最後の曲が「the miracle」というタイトルでして、「MIRACLE」の歌詞をマイナーチェンジして、優しい曲長に変化させた曲なんですが、
全編英詩だったはずの歌詞の中に一部だけ日本語が付け足されておりまして、
気づいてるんだよ もし力つきて倒れたって どっちみち英雄になれるってことを
今だってそう そしてこれからだってそう 奇跡をあげるから僕に触ってて
「MIRACLE」のほうの英詩ではこのような意味を含んでもおらず、おそらくこの曲のために書き足されてものなんでしょうが、その他の英詞のマイナーチェンジも含めて、非常にこの、真逆な味わいが広がっている曲になってまして、
ロックスターを称してしたバンドが、自身の代表曲を最後にこういった形で作り変えるのは、当時聞いたときも、今も、いったいどういった心中だったのかと思ってしまいます。いやわからんですけどね、当人としてはたいした意味合いはないのかもしれませんけどね。
なんとなく、最近ドーパンを聴いていて、思いだしただけの話でした。気が向いたら聴いてみてください。
近々、プロレス復帰に向けての真面目なnoteを書くかもしれないし、書かないかもしれません。書かないかなやっぱり。なんだかし喋るところでは散々喋った気もするし。気が向いたらば書きます。
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