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マーマーなフェス2022感想特集 その12


喜怒哀楽の、豪華絢爛デラックス幕の内弁当のような体験でした

C.F.さん(福岡)| マルシェ、シアターワーク、トークショーご来場


マーマーフェスの余韻にひたっております。感想をお送りします!

妖精スタッフ受付で、久しぶりにチョモ山(チョモランマ山下)さんに会う。とても元気そう。妖精スタッフのお仕事の前に、みなさんとすてきな詩の朗読をする。知りあいのマーマーガールさんにもたくさん再会できて、うれしかった。

張り子屋台のお手伝いでは、からからと音をたてながら、空回りしている自分を感じつつ、仕事の行事でも、以前から猛烈にテンパっていたのを思い出した。どうしてイベントって、テンパってしまうんだろう。いっぱいやんなきゃー、がんばらなきゃーと思うからかなー。

茜染め和紙の妖精スタッフのユニフォーム、とてもすてき! るんるん! 屋台と張り子がかわいくて、うれしくなる。福太郎さんから、張り子の説明を聞いて、「宝もの感、ハンパないな!」と思った。時間の積み重ね、美濃の空気感……まるで、おもちゃのバームクーヘンやー!

わ! みれいさん、みつけた! お菓子わたさなきゃと思って、ぐいぐいわたす。どうしてぐいぐいしちゃうんだろう。あせらないでー、わたし! とあとで思う。
お店番、ほとんどしたことなくて、すこし緊張する。祖味が出る。
老いも若きも、いろいろな方が屋台に立ち寄ってくださって、ゆるんで、笑顔になっている様子をみて、うれしくなる。

もうひとり一緒にお店スタッフをやる人が到着して、すごくほっとする。わたし、ひとりで緊張していたんだな。人目をはばからず、泣きまねをするひとり芝居をしてしまう。

張り子をとても気に入ってくれた小学生低学年のお子さんとお父さんが、4回も訪ねてくれた。張り子とあそぶのがすごくうれしいみたい。ころころといい音がする。

マーマーを知らない様子の20代女子の集団が来る。猫の張り子のかわいさに猫パンチされたみたいで、かわいいを連発して、とてもほしそうだった。

持ち帰りのためのクッション材や包装紙はご用意していなかったけれど、お客さまは、ご自身のタオルやストール、ビニール袋などに入れて、工夫して持ち帰られていた。自分でなんとかしようとしてくださる姿勢がありがたかった。売る側と買う側というのではない姿を見せていただいた。張り子が必要な人に届いていると感じた。

猫の張り子を一度見たあと、ほかの会場で猫の話題を耳にして、やっぱり購入したいと戻ってこられた方がいた。気になっているからその声を呼ぶのか、それともほかのメッセージかどうかわからないけれど、その声に耳を傾けるところがマーマーガールだと思った。


シアターワークでは、迫力、霊性、融和に圧倒された。とても感動した。ドロドロした部分を超えたからこそ、最後のうつくしいキラキラしたエンディングが迎えられるのだと思った。

冒頭の「絶望は祝福」のフレーズに、心底しびれた。
以前、みれいさんのワークショップでご一緒した方が出演されていて、そのパフォーマンスがスパークしていて、すごく迫力があった。
みれいさんがずっとジャンプされていて、すごいと思った。みれいさんは「光」だったと感じた。「ここにいるよー、見守っているよー」と。運動量が激しいところを担っておられて、感動した。


マーマーなトーク。山下りかさんの歌と演奏、本当にすてき。祈りみたいな歌。小さな声で多重の響き。すごいなぁ、すてきだなぁ。
ケルマデックさん、いつものワークショップのときよりも興が乗っておられる感じがして、たのしい。「貞子」、いとしくなる。

ニホ、かわいいー。人生たのしもう。しゅりさん、貞子だったんだー。そんなことがあったように思えない。視線ずらすの、むうささんの愛だなー。

鈴木杏さん、思っていたより背が高いなー。自然体だなー。北九州に『凍える』の舞台見に行くよー、とお伝えしたかったけれど、タイミングが合わず。
小木戸利光さんのパフォーマンス、すてきだなあ……。生ジングル、すごくいい!

最後のゲストで、ステージ上に小山内洋子さんが出てこられたとき、大きな驚きと感動があった。皇の時代を体現されている姿にとっても感動した。すごいと思った。お話もリアルで聞くと、すごく自分に浸透した感じがした。
洋子さんが割箸で説明されていたとき、箸の交差する場所が、会場の最後部座席にもかかわらず、しっかり肉眼で見えていることが、すごくふしぎでしかたなかった。とてもよく見えた。


マーマーなフェス、すごかったなー、たのしかったなー。みんなやさしくて、うつくしくて、しあわせだった。そしてたくさんの人とハグした。一日にこんなに多くの方とハグすることなんて、今までの人生でなかった。
喜怒哀楽の豪華絢爛デラックス幕の内弁当のような旅だった。いっぱいの気づき、愛を循環できていたような気がする。
みれいさーん、ふくたろうさーん、みなさーん、あいしてるよー!!!

流れで必要なことがたくさん起こった今回の旅。わたしのまわりの世界を信頼するという気持ちが根づいていくような感覚があった。今、暮らしている場所で、わたしが、わたしを、わたしする。「貞子」と向き合って、からだとこころを見つめて、愛とうつくしさを積み重ねていきたいと思う。



次につながるパワーが生まれました

Y.K.さん(福岡)| マルシェ、シアターワーク、トークショーご来場


フェスが終わって振り返ったとき、わたしは「次が本番」と感じました。

それまで、フェスは「今世、最初で最後の会合」、「前世で約束したみんなと世紀を超えた大集合」、「これからの大混乱期をすべて乗り越えた先に広がっている本当の世界」、そんな一生に一度くらいのことだと思っていました。
それが本当にあったし、それを体験した今は、「それをも超えていく!」という感じです。何か次につながるパワーが生まれた感じがします。

やればやるほどに、そこにのびしろが果てしなくできていく感じ……。だからこその「次が本番」という感想で、それは「フェスが続いてる」というほかの方たちから聞く感想からも感じています。

終わりなき、あたらしい、本当の旅のはじまりの場所、時だったのかなぁと思います。
みれいさんや、福太郎さんたちのいう「これがはじまり」というのは、本当にそうだな、とあらためて感じています。

それから、あの場の人、もの、こと、すべてが速すぎて、未来すぎて、あたらしすぎて、現世で物質化できる場所がない、だけど美濃のあの日のあのメンバーであの磁場でなら物質化・現象化できた、みたいな感じがします。
きっと宇宙からみたら「ぺかーーー!」と光って、激しく点滅していたと思います!

マルシェでの雨も、わたしは自分の中で「雨が降ったらいや」とあたりまえのように思ってきた自分を今日で変えたいと思って、その記憶の書き換えという設定をしました。

小山内洋子さんの「雨へいさん」の解説もガッテン腑に落ちるし、浄化の雨だとも思ったし、わたしの知人のマーマーガールの「雨に濡れて冷えたからホテルに帰ってあたたまってくる」という、自分をたいせつにする姿を見て、とてもいいなと思いました。

雨のことでもうひとつ思ったのは、シアターワークの「いま、穴をあけ、水路をたどり、いよいよわたしの源へ」というテーマには水が絶対に必要、ということ。それをあの雨がみごとに表現してくれたようにも思えます(雨もあの場所に来たかったのかも!)。
しかもあんなにたくさんの雨をこれでもかと降らせてくれて。水が惜しみなくこんこんと湧いては流れ出す……それをあのどしゃぶりが表現していたと。すごい演出!
ああかな、こうかな、と考えをめぐらせていくと、どんなふうにも思えて、たのしくもあります。雨、ありがとう。

それから! 福太郎さんの張り子のお店番を任されて、すごくすごく光栄すぎて恐縮しちゃうわたしが今もいるのですが、そのことはギフトそのものでした。
雨だったのもあり、ほぼずっとあの屋台の下で雨宿りするように過ごし、自分が歩いてマルシェを見てまわるという体験はできなかったのですが、あの場にいたら会いたい人、話したい人が来てくれたから「まわれなくて残念だったな」とはそこまで思わなくて、あの場にいることが今回のフェスでのわたしの役割だったかなと思っています。
張り子や絵本に足を止めてくださった方々とお話しするのも本当にたのしかったし、かけがえない時間でした。福太郎さんの張り子や絵本が、それぞれがたどり着いた場所で、今どんなふうに生きているのかも、知れたらうれしいなぁ(とくにゾウさん)。


シアターワークでは、1階の席ではじまるまでの時間を友人とふたりで過ごしていたら、入り口から「きらきらぱさぁ~」と小木戸利光さんが入ってこられて、その瞬間、コッキー波(ふわっとしたカメハメ波的な)にヤラレマシタ。
そしてなんとコッキー波はそのまま我々の前の座布団に着座! 「やばいね」、「やばい、コッキーかっこよすぎる……やばいよやばいよ」と、表現イヤーの親分を目の前にして、口から思いがおのずと表れてしまいました。
そんな場所で、小木戸さんの波動を真うしろで浴びながらシアターワークを観劇できたことも、今思い返せばあんなにしあわせなことはないな、と今この瞬間にもあらたな感動が湧いてきます。

わたしは深い芸術というものにふれてこなかったように感じていて、「まだわからない」という思いも正直あるのですが、シアターワークは誰が見ても同じように見えるものではなくて(画家の描いた絵が「こういう絵です」と説明をつけられるようなことではない、というように)、だから正直、わたしはまだどう見えたかというのはことばにできなくて、感情もぼんやりしています。ただ見た、あの場にいた、それだけでいいんだ、そんなふうにも思います。それだけで充分にすばらしい体験でした。

いつか、はっとわかるときがくるかもしれない。シアターワークを体験した28名のみなさんにしか表現できないものをあの発表会で見せてくださったのだな、ということはすごく思いました。シアターワークを体験してみてわかる、見える世界のようにも感じています。


トークショーの感想はもう「至福悶絶!」、このひとことに表現させていただき、詳細は割愛させていただき……(するんかいっ!)、会場を出たあとの、個人的にドラマチックだった帰路のことをシェアさせてください。

わたしは最終の名古屋発の新幹線に乗るため18時には会場を出ないと行けなかったために、時間が押していくことにどうしてもざわざわしてしまったり「サイン会まで参加したかった……」と思ったり、こころのどこかで「名古屋駅まで送ってくれる人がいたらサイン会も参加できるかも……」と思ったりして、トークショーに集中できなかったときがあったのです。

「18時きっかりに終わったら、ほんの少しでもサイン会に参加できるかも!」という思いがあふれて、それを口に出したら、一緒にいた友人に、見たことないような形相で反対されたのです。
それで、引き続きトークショーを見ながら、モヤモヤザワザワしつつも登壇されているゲストのみなさまのお話を聞いていると、徐々に落ちついてきて、「なるようになってる、大丈夫」と冷静になり、「最後まで観られなくてもアーカイブがあるんだった」と気づき、そうしたら気持ちがどんどん落ちついてきて、友人にいわれたことももっともだと思えてきて、18時が来たころには、さっぱりすっきりした気持ちで会場を出ることができました。

そうして美濃市駅まで向かう途中、な・な・な・なんと! コッキー小木戸ブラザーズ小木戸寛さんをお見かけして、思わず声をかけました。寛さんの一音一音を大事に弾くようなピアノの音がとても心地よくやさしく感じて好きだったことを伝えられました。

寛さんは急いでいらしたように見えたため、そこで「さようなら」と別れたのですが、少し歩いた先でわざわざ立ち止まられ振り返って「どこまでですか?」と聞いてくださり、「美濃市駅です」と答えると「それなら、途中まで一緒なのでそこまで一緒に歩きましょう」と……。なんというごほうびタイム!!!! Oh!ジーザス! 会場から駅近くの交差点までお話しながら歩きました。

「ここをまっすぐ行くと美濃市駅に着きます。気をつけて」と握手をしてお別れして背を向けて歩き出すと、「気をつけて」と大きな声でまた声をかけて手を振ってくださっていました。無事に美濃市駅に着くようにと見守ってくださっているような寛さんのあたたかさがとても励みになりました。
ふだん道に迷ってギリギリになるパターンにはまりがちですが、寛さんのおかげで迷うことなく、しかも余裕でバス停に到着することができました。

そしてこのバス停で、広島から来たというかわいらしい女性と出合い、バスの中でも自然ととなり同士になり、岐阜駅までの1時間ほどいろいろなお話をしました。
すごくもの静かで、丁寧に、ゆっくり、ちゃんと思ってることをことばにしながら話してくれるような方で、こころを通わせながらお話しできたことに、今思い出しても感謝の気持ちがわいてきます。
さらに、別の東京のマーマーガールの方との出合いもありました。大きなリュックをふたつ持っていたことが気になって聞いてみると、「米が好きで! マーマーな農家サイトのブースを見てたらどうしてもがまんできなくて買っちゃったんです。そしたらこんな大荷物になっちゃいました」とめっちゃうれしそうなお顔で話してくれました。そこに何か学びがすごくあったと感じ、このたったの数分の交流が人生の中でも大事な出合いになり得ると思いました。

18時に会場を出ていなかったら、きっとまた違う体験があったと思うけど、でもこの体験を選ぶことができて心底しあわせでした。


2023年のこれからも、わたしはわたしであり続けたいと思います。ひとり残らず、すべての人がその人であることができますように。



※実行委員より
シアターワークのアーカイブ配信、大変おまたせいたしております。現在、動画を最終チェックしておりまして、終了次第、みなさまにご連絡させていただく予定です(2023年3月現在)。

感想特集は、これで一旦終了です。
写真や動画ともあわせて、どうぞごゆっくりおたのしみくださいませ!

(マーマーフェス実行委員会|マーマーマガジン編集部)

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