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<えのブログ番外編>いちばんやさしいセルフセラピー講座#22 その出来事は「自分を愛せますか?」という問いなのかも


あるがままの自分を信じる
あるがままの自分を愛する

自分を信じられますか?
自分を愛せますか?

「無条件に!」

それを問うための出来事というのは
誰にでも訪れるものなのかなあと、
感じています。

自分を信じて行動して、
でも、執着からは自由に、
起こることを流れに委ねられるか。

また、
あらゆる条件づけをゼロにして、
あるがままの自分を愛せるか。

人生の体験はいろんな側面があるようで、

最終的にはここにたどり着くための
ゲームをしているようなものなのかなあ……、
と個人的には感じています。


人それぞれのコースにより、
この道のりは無限にあるのかと思いますが、

道中、ときに道をふさぐ
何かが現れるようなことも、
きっと誰もが体験することで、

どうにもどかしようのない
大きな岩がラスボス的に
立ちふさがることも、
みなさんこころあたりが
あるのではないでしょうか?

手がつけられないような難題であっても、
それを体験しているのが自分ならば、
「自分」の中を浄化することで、
外側に反映が起こり、
思ってもいない角度から
解決が訪れたりすること、

すべては自分の内側にあるものの
反映であるということ、

こちらをお読みのみなさんは、
すでによくご存じの構造かと思いますが、

♪わかっちゃいるけど、手放せない〜
(スーダラ節のメロディでお願いします)

という頑固ななにかが、
自分の中に存在していたりする。

それは、それぞれの背景により
自分にとってまるで
「価値」となってしまった観念で、

(「我慢するから愛される」
「弱いから守ってもらえる」などなど
制限が価値となる構造ですね。
くわしくは#1〜#9の自己認識編で!)

自分の道に立ちふさがる岩のように思える
出来事というのは、
それを頑固に握っている自分の手を開かせる
イベントなのだなと思っています。

さらに、最近感じていますのは、

ラスボスと思っていた案件のあとに
真のラスボスが現れるのかも?
ということ。

真のラスボスとは……、

「あるがままの自分」。

わたし自身、
母親という立場や、
セラピストといった肩書きの
条件づけの上で
自分の価値を感じてきたように
思いますが、

その役割がなかったとしても、
自分を信じられるか、
自分を愛せるか、
というお試しを感じるような体験がありました。

今回はそんなテーマも含まれた、
ある体験談をご紹介させていただきたいです。
(ミラクルあり!)

完全に朝ドラ化できる
Aさんの物語。

超スペクタクル大作として
お届けしてまいりますね!

「まずは自分!」 からはじまる魔法


「ご報告をさせて頂きたく、メールしました。
母のことですが(また何かあるかもしれませんが)、
なんと!「問題」ではなくなったんです!
こんなことが実現できるとは夢にも思っていませんでした…。

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