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20021117 音大なんて・・・

※ちょうど22年前にかつて運営していた自分のホームページの日記コーナーに書いたものです。

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自分は曲がりなりにも音大なんぞを出ているのだが、今でも時々思う。
「音大って一体・・・」と。

音大と聞くと、おおよその人は「金持ちのボンかお嬢、小さい頃から英才教育、華やか・・・」みたいなイメージをお持ちだろうが・・・だいたい当たっている。
しかし、中には“苦学生”(自分含む)や“ひたすら勉強するマジメな人”も少なからず存在した。

同じ専攻だったAさん、彼女は与えられた課題はきっちりこなす、几帳面、マジメ、地道な努力、と絵に描いたような“優等生タイプ”の人で、当然同級生達の信望も厚かった。
自分はどちらかというと(これは昔から今も変わってないが)「好きな事に関してはしつこいがそうじゃないものは投げやり」だったので、かなり“変な人”扱いされていた。

すっかり投げやっていたのは指揮の勉強。それ自体はイヤでもなんでもなかったが、これを担当している講師がとにかく嫌いだったのだ。なんか「感じわるー」い、芸術家崩れな雰囲気の中年男性。

ある時、「君、変わってるね」と、なんの脈絡もなく自分に向かって言い放った。「はぁ?」って感じで可笑しいのか腹立たしいのか悔しいのかよく分からない複雑な気持ちに至った。
それ以来、その講師の顔を見るのもイヤになり、指揮の授業を投げてしまった。若気の至りのような気もするけど。
他にも“名物講師”は色々居たが、詳細は省く。

で、何が言いたいのか、本題に入る。

音大というところは、教育機関としては実に宙ぶらりんな存在なのである。
卒業後何をするかと言えば、まぁ半分くらいは“ピアノ(等)の講師”に収まる。努力の甲斐あってプロデビュー出来る人はほんの僅か。

後の人たちはどうするのかと言えば、“嫁に行く”(今はどうか知らないが)か“一般企業に就職”なのである。
高い金払って行ったのに、結局音楽とは全く縁のない所に収まる人が大多数だったりするのが実情。

一般企業に就職すると、それなりに専門的な勉強をしてきた人達が大勢いるから、一般教養を差し置いてまで音楽のみ勉強してきた音大卒の人間としては当然不利。音楽の知識を生かす機会など無い
それ以前に、音大・美大卒の人間は就職困難だと聞いたことがある。
「一般常識が欠けているから」というのが理由だそうだ。頷ける気もする。

音楽家のプロになりたくて「音大に行く」というのは、家が相当な金持ち(つまり、仕事が無くなっても親がなんとかしてくれる)じゃない限り安易に決断してはいけないのかも知れない。
どうにもこうにも仕事が無くて、路頭に迷う可能性大。

でも、行ってしまった以上は後には引けないのだ。ここである程度人生地図が固まるのである。覚悟は出来たか!?

「野タレ死ンデモ悔イハナシ」

・・・オオゲサ過ぎだな(笑)
実は、結構なんとかなるもんなんだな、今の時代だもん。

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なんとかなっていると言えばなんとかなってる気もする。
最大の目標(映画音楽・劇伴やること)は叶わず、若き日の自分を弔う「喪の仕事」の最中ではあるが、なんとか生きている。
生きているうちはなんとかなると信じよう。野タレ死ぬ覚悟はとおに出来ている。

そして現在、音大は存続の危機。「どうせ食えないのにそんな高い金払えるか!」ということでしょう。

もう日本全体(いや、一部の富裕層を除く9割か?)がナニのせいで貧困まっしぐらなのでした。

金が無くなると、真っ先に切り捨てられるのは文化的なものです。食うので精一杯な状態で音楽だの芸術だの言ってられるか、ということ。
でも「遊び」や「余裕」の部分がない張り詰めた状態は、「貧すれば鈍す」の言葉通り実に脆く危ういのです。

悲しい現状です。