不遇なサルスベリの木
近所に百日紅(サルスベリ)の木があった。
初夏になるとそれは見事な花が咲くので、いつしか毎年これが楽しみになっていた。
2019年の夏に親父が亡くなり、帰省して葬式と実家(借家)の引き払いをしてヘロヘロになりながら帰路。「あのサルスベリがまた咲いてるから、あれを見て元気を取り戻そう」と思っていたら、なんと根元から切られていて枝も葉もゴミ袋に詰められていた。
あまりのショックにその場でへたり込み、涙がこみ上げてきた。
数週間後に少しだけ葉っぱが出てきた。その逞しい生命力に感服した。
「今年はもう花は無理だけど、これからまたどんどん伸びてくれ。」
そう思っていた。
翌々年、だいぶ伸びてきたサルスベリがようやく念願の花を咲かせた。愛おしさがこみ上げてきた。
しかしそれも束の間、8月下旬に花ごと枝を切り取られていた。
翌年もまた、同じことになった。
そしてつい先日、とうとう再び根元から切り散らされてしまった。
二度と芽吹いてこないようにとのことなのか、上からビニールシートが被せられている。
「どんなに頑張っても頑張っても、ダメなことってあるよね」
そんな気持ちにさえなる、サルスベリの無念を心に刻む。
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これに限らず、最近意味もなく切り倒される木をよく目にする。
何十年、下手すりゃ百年単位で伸びてきた木を人間の都合で瞬時に切り倒し、再利用するでもなくゴミとなる。
やるせない。持っていきどころのない想いが溢れてきた。
なのでここに記しました。