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つやつやの馬に囚われている人間

ただただつやつやの馬を見たかった、それだけだった。2020年も終わる日、青森の北の端の端の誰もいない岬にひとり立っていた。そこに馬はいなかった。

ごくごく稀に、今じゃなきゃダメな気がする、という変な焦燥感と衝動に駆られてどうしようも無くなってしまうことがある。この日もそうだった。
2020年の仕事をやっとこさ納め、ヘロヘロの足で会社の外に出た時突然、今年のうちに夏頃Twitterで見てからずっと気になっていた「つやつやの馬」を見に、冬の海へ行っておかないといけない気がした。変な予感だな〜と今になっては思うが、一度そう思ってしまったが最後、今「つやつやの馬」を見に行かなければ来年、いや残りの人生までダメになってしまう予感がした。
昔から超常的な直感の働く母から、直感は信じろ!という教えをバシバシと受けて育ったので、足が北の海へと赴くのは思い立ってからすぐのことだった。

鉄は熱いうちに打てとは言ったものだが、この時の自分は最早、ドロッドロでアッチアチの液体にドデカ金槌で殴りかかるくらいの勢いとアホさがあった。名古屋から東京行きの新幹線に乗った時点ではまだ、Twitterでうっすら見て知っていた「つやつやの馬はどうやら本州の1番北におるらしい」「ついでに大きい灯台もあるらしい」という知識しかなかった。

新幹線内で急いで取った4000円ポッキリ22時半新宿バスタ発のバスに乗り込むと、1番先頭の席と、広々とした足を伸ばせるくらいの空間と、暖かそうな毛布を手にした。バスの中は疎らに人がいる。皆年末に向けての帰省でもするのか大きめの荷物を抱えており、会社用の小さなトートバッグひとつでここまで来てしまったことを少しだけ後悔した。バスが発進する。東京の夜の街の光を遠くに感じながら、外を眺めていると何となく自分の人生がちょっぴり加速した気がした。この日の月は異様なくらい、デカくて明るかった。深夜2時を回る頃まで東北の知らない村の田と山と、どこまでも追ってくる月をずっと眺めていた。

早朝、青森駅につく

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青森駅に着くと、当たり前だが雪が積もっていた。それは非日常さを味わうには十分すぎるものだった。夜行バスに乗った日の朝は必ず銭湯に行くと決めているので、駅付近の銭湯に駆け込む。熱めのお湯に使ってようやく、自分が本州の端っこに来たことを思い出した。日本って気合さえあれば意外とどこへでも行けるもんだな、とか思ったりした。気合ってすごいな〜

銭湯から出るとすぐ近くの、おばあちゃんがやっている屋台でおでんを買い、取り敢えず海を見ようとペラッペラのスニーカーで雪の上をしばらく歩く。靴は雪が染み込んできて冷たくなってきていたが、全く気にならなかった。海は今まで見たどの海よりも深い青色をしていた。周りには誰もいない。ここで落ちても誰も気付かないだろうな、と思いながら手摺の上の一欠片の雪を海へと落とした。

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おでんを食べながらつやつやの馬のいる岬のことを調べる。青森駅から目的地の近くの宿まで列車で3時間くらいかかることと、列車が2時間に1本しか無いことを知る。ということでお昼まで、しばらく街を歩き回ることにした。

知らん街をぐちゃぐちゃに歩き回るのは好きだ。全く知らない街っていうのは良い。どこに行っても知らないものだらけだと飽きないので…
加えてその時期80年代映画のサントラにめちゃくちゃハマっていたので、気分は最高だった。当たり前のことを言うが、青森はすごい。本当に雪だらけ、シティーガールとして20数年やってきたもんだから、今まで大量の雪をスキー場以外で見た事が無かった。道端の木や屋根に積もる雪を見るだけで心がはちゃめちゃに踊った。

しばらく歩いてると、爆デカいCOFFEEの看板の掛かっためちゃくちゃ好みの建物があった。勿論入る。中は時計の沢山掛かった純喫茶だった。看板メニューだというキーマカレーを頼んだ。これが本当に引くほどうまい。美味すぎてちょっと引いちゃったもんね、ぜひ食べてください……5秒で平らげてしまったのでコーヒーを頼み、お昼までの時間で真っ白の葉書にかつての友達たちへの年賀状を書くことに決めた。初めてきた土地の、初めて入った場所で、新年の挨拶を書くのは少し特別な感じがした。

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冬の鉄道、めちゃくちゃ興奮する

12時過ぎ、ようやく下北半島行きの列車に乗り込む。私は元来冬の列車に並々ならぬ憧れを持ってはいたが、やっとこの憧れを実現できるのかと思うと、切符を手にした時点で凄く嬉しくなった。

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列車の旅は3時間ばかりあった。その間、ずっと外の景色を眺めていた。木々に積もる雪の形は葉の形によって様々なことを、この時初めて知った。また雪山の木の種類が思ったより沢山あることもこの時知った。私が宿を取ったのは下北半島のむつ市というところで、青森の右肩に位置する場所だった。Googleマップの現在地の青い点がどんどん日本の右端へ動いていくのを見て少し可愛く思えた。外は暗くなってきていた。

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夜の下北半島を歩く

終点の下北駅に着いた頃、すっかり辺りは真っ暗で駅の光だけが眩しかった。宿までは徒歩で30分だったので、真っ暗な雪の中を歩くことにした。この時ばかりは歩くのが好きな人間で良かったな、なんて思った。

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時たまGoogleマップは意味わからない道を提示してくることがある。この日のGoogleマップも、ホンマにあっとるんか…?みたいな住宅街の、人っこひとりいない道を提示してきた。流石に誰もいないとなると怖さも出るもんで、青森に来て初めて辺りをゆっくり見ず早足で歩いた。たまに現れる店の明かりに毎回安堵した。20分ほど歩くと、大きめの道路が見えてきた。駆け足で道路へ出ると、道路の向かいに全く知らない兎が怪しげに微笑んでいるキャッチーな看板の「ファミリーマート」が佇んでいた。これってもしかして、ファミリーマートの原点だったりしますか?

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「ファミリーマートさとう」は表の怪しげなウサギと裏腹に、魚介類の天国のような場所だった。(実際はスーパー)ピカピカのウニに、ずらりと並んだ生の採れたての魚たち、見た事ないくらい大きいカニ、迷いに迷った挙句半額になった10巻ぎゅうぎゅうに入ったパック寿司と、缶ビールを買った。持って帰っている途中に、寿司たちは可愛らしく右に寄っていっていた。寿司はこれまた引くほど美味しかった。窓を開けると、しんしんという形容詞がこんなに相応しいことはあるだろうか、という位しんしんと雪が降っていた。遠くの方に明日行く予定の海が見えた。

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いざ、つやつやの馬を見に冬の海へ

朝、会社員の性かな6時半ごろに目覚めた。まだ太陽は昇りたてで窓の外は薄暗かった。屋根には雪が積もっていて、目の前の川には結晶のような氷がゆっくり流れていた。昨日の夜見えていた海は曇り空で見えなくなっていた。

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つやつやの馬は、今いるむつ市からバスで1時間ほどの所だ。早速宿から10分程度のバスターミナルへ向かう。宿の前の川には鴨たちがいて、こんなに寒いのに、寒さなんかまるで無いかの様ないつもの鴨の顔で(いつもの顔ってなに?)スイスイと泳いでいた。かわいいね

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朝早かったためか待合室には私しかおらず、石油ヒーターの前を有難くも一人占めしながらバスを待っていた。小学校の体育館以来の石油の匂いと、何と無い懐かしい感覚に昨日までの「知らない土地」感は少し薄れていた。

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もしかしてどこかで死んだか?

まあそんなこんなで、到着した尻屋崎行きのバスに乗り込む。ここからの「もしかして私、もう死んでないか?」感が凄まじかった。

というのも、昨晩Googleマップでホテル周りを見ている最中、すぐ近くに恐山がある事を知った。恐山に関して恥ずかしながら「イタコ」の存在しか知らなかったため、三途の川や賽の河原といった場所が現実にあるとは思わず驚いたが、冬は閉山している様だった。宿のすぐ近くに佇む恐山の存在を知り、寝る前に少しばかり死んだらどうなるのかしら、とか考えながら眠りについた。そのせいか、何となく今の自分がこの世に存在しているという事実が嘘みたいな、冗談みたいな感じがしていた。

バスの乗客は私ひとりだった。運転手と、私ひとりのバスはガタガタと揺れながら雪の降る林の奥へ奥へと進んでいった。車内はしん、としていて外の景色だけが移り変わる。森は昨日まで列車の車窓から眺めていたものよりも遥かに近く、時折窓に枝が当たる音がした。変な話だが冒頭にも書いた通り、死んでからどこか遠くへ行くとするならばこんな感じだったら良いのにと思った。そのくらい静かで美しかった。

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やがて森を抜け、一気に視界が明るくなる。バスが海沿いへ躍り出たのだ。あんなにも夏に海を見たのに、冬の海は全く知らないものだった。バスは海沿いのきわっきわの所を走っていた。ちょっと強めの風が吹いたら転がって海へ沈んでしまうやろって位の際どさ、もう窓の外すぐそこは海辺だった。この時の視界を今後の人生で二度と忘れない様な気がしていた。丁度右耳にだけ入れていたイヤホンからは空気公団の街路樹と風が流れだしていた。

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終点の尻屋崎に到着する。ここまで乗せてくれた運転手のお兄さん(お金を払う時、真面目そうなの方なのに耳にめちゃくちゃピアス穴が空いてるのを見て漫画じゃん…って興奮した)が、帰りは何時にここ通りますんで、と教えてくれた。その時間までにつやつやの馬を見て帰ってこなくてはいけない。尻屋崎口から歩いて20分ほどのところに灯台と馬がいる、とネットには書いていた。停留所の周りは当たり前に人は1人もおらず、小さな山小屋がポツンと立っているのと、禿山が近くにある以外は一面が真っ白の雪だった。

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道、死んどるやないか

尻屋崎に降り立って一瞬で気付いたことがある。道が、死んでるのである。流石に視力の悪いわたしでも一眼見て何となくそんな予感がした。道が、死んでいる。

"ようこそ東通村へ"の立て看板の奥には漆黒の先の見えない森、赤字のCAUTION、これホラゲやがな〜!

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誰もおらんバスに揺られ1時間雪の森を進みこの状況、正直めちゃくちゃテンションが上がってきていた。勿論、周囲には人っ子ひとりおらず、ただただ無音の中立ち尽くすことしか出来ない。年末にこんなことあってええんか…!?

とはいえ流石に寒いなか1時間先のバスを待たなければいかなかったので、近くを歩き回って時間を潰すことにした。幸い山小屋が近くにあり、自販機もあったのでホカホカのコーヒーを2本ほど買いしばらく歩き回った。

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この近くに写真を撮るのを忘れたが、三菱マテリアルの青森工場がある。これが一番ヤバかった。この荒れ狂う黒い海きわっきわの雪の上に、ドデカい化学工場の配管がぐっちゃぐちゃに剥き出しになって並んでいるのだ。今まで様々な工場を見てきたが、こんなにも無機質に自然の中に轟々とあるものは初めてだった。煙のようなものが出ていて、こうしている間にもこの日本の端っこの海のすぐそばで絶え間なく化学物質は製造されているのが不思議に思えた。自然の中にあるには余りにも想像し難いものばかりのはずなのに、何故かそこにあるのが凄く自然のように感じた。

現実へ

1時間すると、お兄さんの言っていた通りバスは元の停留所まで引き返してきた。待っている最後の数十分は本当に寒すぎてどうにかなるかと思っていたので、バスの中が暖かくて生き返ったような気持ちになった。バスに乗ると、運転手はさっきのお兄さんで「お姉さん、もしかして馬見にいってたんですか?!」と驚かれた。どうやら行きのバスでは帰省する人と間違われていたらしい。道封鎖されてること早く言えば良かったですね〜と言いながら、運転手のお兄さんはパインアメをくれた。パインアメ、遠足のお菓子以外で持ってる人をこの時初めて見たな

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結局つやつやの馬は見れなかった訳だが、帰りのバスに乗りながら、何故だか凄くスッキリした気分で外の景色を眺めていた。

2020年最後の日

まあそんなこんなで青森駅に戻ってきました。やっぱり月は有り得ないくらいデカくて明るかった。

多分、つやつやの馬を見たかった、というのは半分くらいが本当で、もう半分は違う気持ちだった様な気がする。仕事を始めてアタフタと日々が過ぎていって、いつの間にか自分が思っていたしょうもない大人になっていた事に薄っすらと危機感を覚えていたのだと思う。海沿いを走るバスの中で向こうにぼんやりと見える陸地を眺めながら、一年前の自分が、死ぬまでに五感を肥やせるだけ肥やして何かに残したい、と言っていた事を思い出した。同時にその事を言った時に友達が、走馬灯が綺麗だと良いなあと答えてくれたのも思い出した。社会に出ておもんないなあと思う価値観は沢山あるけれど、まあ折角地球に生まれたし、綺麗なものを沢山見て生きていきたいな、なんて思いました。完

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