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死んだあとには石でも投げて

ハ〜春!自分はてっきり冬が好きなものかと思っていたけど、いざ春の風に吹かれ、花びらが舞っているのを見ると春サイコ〜!春愛してる!の気分になってしまった。お調子者なので…

仕事が久しぶりに綺麗に片付いた。時間は14時50分。今こそ、このピカピカの空の下に出ないと春に失礼だろ!と言う気さえしてきたので、早々と15時に仕事を切り上げ会社を飛び出した。

本日公開の「NOMADLAND」、先日映画館でポスターを見た時から絶対に好きなやつじゃん〜と目を付けていた。「焦し明太子ツナマヨパン」とかいうすき家の「カレーハンバーグ牛丼」並に要素モリモリのパンを片手に、映画館に飛び込んだ。

「NOMADLAND」、美しかった。

人が美しい、と思うのはいつか。自分は人生で3回くらいしかないんじゃないかな
中2の頃初めて富士山に登った時の山頂で見た日の出、終電を逃して海で朝を迎えた時の波打際、うーん、、あとはめちゃくちゃツヤツヤの馬を見た時とか…とにかく美しい慣れってしてない。かわいい!とか良い!とかはよく思うのにね。美しいと思うのは大体、凄い風景かキラキラしたものと相場が決まっている。だが、この映画に関してはうつくしいという単語が至極ぴったりだった

舞台はアメリカ、この島国では見られない様な圧倒的な大自然、地球が何億年もかけて作り上げた一面の岩石砂漠、森林、何もない荒野の中をひとりキャンピングカーで暮らしながら生きていく女性の話である。だが、実際にはひとりであって、ひとりでない。困った時は同じノマド(現代の遊牧民の様な意義)に助けを求め、時には食事を共にし、時には同じ夕日を眺め、時には自身の旅の意味、人生について確かめ合う。ひとりで旅に出る理由はさまざまで、故郷が無くなったからと言う理由もあれば、同僚の死を経て人生の短さを痛感して、といった様に人には人の旅への理由があるのである。

その中に、残りの人生を謳歌したいと旅に出ている余命9ヶ月の年配の女性がいた。その女性は言うのだ。自分が死んだ時はこの石を見て思い出してよ、そして火にでもくべて、と。劇中なんども石が出てくる。売り物として生活の役に立つこともあれば、別れの時にお気に入りの石を渡す。石は、この世に2つとして同じものがない。自然が、地球が長い年月をかけて作り上げた結晶の様なものである。人にあげたら二度と同じものは自分の元には手に入らない。偶然の産物。歪な形と思う人もいれば、すごく良い形だと思う人もいる。石はその人そのものを真っ直ぐに映し出す魂の様なものなのかもしれない。

人生は儚く脆く、そして長い。人間は寝ないと死ぬし、食わないと死ぬし、正直弱すぎる。iPhoneを見習って欲しい(10数回地面に落としても、未だそんなに割れてない自・iPhone流石に強すぎなのでは?)

いつ死んだっておかしくない、けど全力で生き切るには長すぎる。どこまでも永遠に続く一本道の様に、疲れたら休んだら良いし、適当に働いてもいい、そこに定住しても良いし、そうして緩やかに生きていけば良いのだ。

死に際はどんなだろうか、とふと考えることがある。死ぬ時はどんな天井を見ているだろうか、死ぬ前は自分の人生を良かったと思えるだろうか、また人間として生まれ変わりたいと思うだろうか。自分はあまり人生に執着がない方なので、これを絶対に成し遂げたい!みたいな強い思いはない。ただ、出来る事なら自分のことを想って、石を火にくべてくれる人がいたら良いなと思う。大層な葬儀なんて無くて良いから、自分が好きだった形の石を、あたたかな焚き火の中に投げ入れてくれる人が1人でもいたら、それで十分なのかもしれない。

美しいって凄いことの様に思えるけど、もっと頻繁に、それこそ日常的に美しさを感じても良いかもな〜と思いながら映画館の外に出たら、空がとても美しかったです
単純な感性でよかった〜


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