『爆心地ランナー』志賀 泉 著
著者は巻末の著者略歴にあるように、第20回太宰治賞を受賞して文壇デビューした新進気鋭の作家である。
東日本大震災と原発事故による放射線被害を現地で体験したとき、高校生だったという。本書はその被災の体験が背景になっている。
短編の「爆心地ランナー」と中編の「こんなやみよののはらのなかを」の二編が収録されている。
震災後、純文学界ではさまざまな角度から長、短編小説、詩、短歌、俳句が創作され、文芸誌を賑わせた。多くは社会学的、哲学的な大問題として向き合い、それを独創的な視点を創出して、精密に描いた作品群だった。
その記憶が薄れつつある現在、当時、まだ大人の社会での自己表現の発表の場を持っていない、高校生だった人物の視点で描かれている。
かつての純文学の、やや難解な傾向とは無縁の、瑞々しい感覚で、文体もすんなり読める、ライトノベル的な軽快な(こういう感想を作者は好まないとおもうが)文体で、一種の疾走感を伴って描かれている。
読者は、多重の根深い差別と喪失感を背景に、若い感性が受け止めたさまざまな葛藤の現場に立ち会わされる。
被害時、こどもだった人たちが、このことを、このような文体で、このように描けるようになるには、十年の歳月を要したのだ。
「爆心地ランナー」では、震災時に起きた「差別的な被害」を、重層的な背景として、姉そっくりの少女の姿に変装して、家族の記憶の追体験をしようとする弟の少年が主人公である。
心的障害を持つ姉と家族が、震災後の避難生活の中で受ける差別的集団圧力と、それを庇って生きる親の孤立と絶望感、そして死。
その過程と現地での体験が、詩的な文章で描かれていく。
『爆心地ランナー』という架空の小説と、その架空の作者のエビードを、入れ子構造のように、組み込んだ小説になっている。
かつての大人たちの震災文学とは視点が全く違う。
この視点は震災後の「震災後文学」に欠落していた。
被害は概念で語ってはいけいない。
もっとも大切な命の手触りが欠落するからだ。
この小説では、思春期、青春期のヒリヒリするような社会との葛藤が、新鮮な筆致で描かれている。
「こんなやみよののはらのなかを」は、自己表現のことばを待っていなかった若者が、文学的な自己表現に至る精神史の物語だ。
このタイトルは宮沢賢治の『青森挽歌』から引かれている。
巻末にこの小説の「参考文献」が掲載されている。
個人的な感想だが、どれもわたしの既読の書であり、その一つ一つから受けた印象を、登場人物が語るのだが、それもわたしの読後感と同じだった。
賢治の「やまなし」の暗喩的な挿入も、効果的だ。
主人公と副主人公の男女二人の絆ともなっている『ゲド戦記』のエピソードを、物語の冒頭と終章に置き、サンドイッチにしている構成が巧みだ。二人が、自分自身の自己表現の世界へ踏み出そうとする、重要な扉の役目を果たしている。
「爆心地ランナー」の、本書の帯にも使われている、
「そこがどこであれ君が走る場所が爆心地だ」
ということばがキーワードになっている。
俳人にとって見逃せないのは、タイトルページの下段に、有名な金子兜太の俳句、
湾曲し火傷し爆心地のマラソン
が引かれている。
兜太の句は長崎の原爆被害が背景になっているから「被爆」であり、「爆心地」である。
福島の放射線被曝は、「被曝」であり、その「中心」を爆心地とはいわない。
敢えてその語をこの物語のタイトルにしていることに、作者の深淵な意図を感受しないわけにはゆかない。
「爆心地ランナー」の、本書の帯にもなっている、
「そこがどこであれ君が走る場所が爆心地だ」
ということば。
「こんなやみよののはらのなかを」の副主人公の青年が言ったことば。
「震災はおれの一部なんだ」
「永遠回帰だ」
「一周回ったら時代の先端を走っている」
そして小説の末尾の結びの地の文。
「同じ場所に居続けるためには、全速力で走らなければならないのだ。」
文学が文学であるための、重要なことばだ。
それは健忘症著しい戦後日本社会の傾向と本質への批判に留まらない。
今を生きるために、過去を過去とせず、今あることの喫緊の課題として、それを生き抜くためには、「全速力で走らなければならないのだ」。
わたくしごとだが、小学生時代を「チッソ・水俣事件」(これを公害とか「水俣病」とは決して呼ばないで欲しい! 利潤追求企業による大量無差別殺人および殺人未遂という文明禍事件である)の、ジェノサイドの現場(母方の漁師一族が壊滅な被害を蒙っている)を身近に見て育ったわたしには、その体験を過去ものにすることは、許されなかった。
その記憶に何度も何度も呼び戻される体験をした。
最初は石牟礼道子の『苦海浄土』が刊行されたとき。
そして本書が扱っている原発事故による放射線被曝被害が起きたとき。
その他、戦争、自然災害、産業物による人身被害が起きるたびに、わたしをわたしの原点に連れ戻した。
その文学的自己表出を果たすために、人生のほとんどを費やすことになった。
過去を過去にしないとは、そういうことだ。
自分が今を生きる喫緊の課題として、それらの現代的な難題を引き受けるということだ。
それは、他人には理解し難い、思い出すのも嫌な、つらいことなのだ。
それでも、志賀泉は「震災」を自分の一部として引き受けて、ひりひりするような豊かな感性で、今を生き、これからも疾走してゆくに違いない。
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