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千葉信子俳句考 Ⅱ

Ⅲ リフレイン詠法が生み出すリズムと心の在処

この章では、二冊の千葉信子句集に収められたリフレイン詠法の作品だけを抜き書きして鑑賞してみよう。
まず『縦の目』から。

縦の眼千葉信子

『縦の目』
昭和二十七年〜六十年

      次男誕生
胎の子にほたるほうたる降るは降るは
霧くぐりくぐりて小舟つなぎけり
萩のかげ萩にもどして吹き初むる
寒卵ふたつ男の子がふたり
独楽をうつ眸のなかの独楽逸れる
野火にたつ風おのづから火の色に

 これだけ引用するだけでも、加藤郁乎、橋本多佳子、加藤楸邨、金子兜太、飯田龍太、長谷川久々子氏たちのリフレイン詠法俳句とはまったく違う、独特の千葉信子俳句世界が感受できるだろう。
このやさしさに満ちた俳句的しぐさにおける、この上もない丁寧さは、他の俳人の作品にはないものだ。
たとえば「胎の子」に「ほたるほうたる」と呼びかけるように「降るは降るは」とやさしい思いを降り頻らせている、温かな思いの重ね方。
たとえば「霧」という視界不全の中を、「くぐりくぐりて」、愛しむように不安に揺れる「小舟」を岸につなぐしぐさのやさしい重ね方。
たとえば「寒卵」を掌(たなごころ)に包むように、吾子ふたりを重ね包む愛しみ方。
多忙さを増しゆく現代社会の暮しの中で、なかば上の空で生活している現代人が、はるか昔に手放した「丁寧」な「生き方」をここに感じないだろうか。
今あるこの命の、この場と時間を丁寧に生きるその息遣いのリズムがここに表現されている。それは即ち、作者が日々をそのような立ち振る舞い、そんな矜持で生きているからこそ生じるリズムである。
千葉信子俳句では、俳句表現技法的とその「生き方」は不可分の関係にある。そんな生き方でなればこの技法は生まれず、この効果も生じようがない。
だが反対にそんな生き方が出来ていたとしても、すぐこんな俳句が詠めるわけではない。それには天性の才能と弛まぬ俳句的鍛錬の賜物でもある。
そして最も重要なことは、そんなことを一切感じさせないような、まるで「吐く息」のように声を出して謡われたような自然さで、じわりと滲み出す究極の優しい心根が感じられる。
たとえば「萩」のものである「萩のかげ」を「萩」という命の主体の切り離せない属性として「もどし」てあげる心。そのやさしい「吹き」方。
たとえば「野火」を燃え立たせる「風」は、風である自己を限りなく、命の主体である「野火」に「おのづから火の色」にして寄り添うことで、「野火」と一体となって命を燃え立たせるという生き方。
それは皺立つ日々の暮しという薄紙の皺を伸ばしのばすような丁寧なしぐさで、一枚いちまい、愛おしむように「重ねかさね」てゆくような温かい命のリズムである。
それは先に揚げたどの俳人にもない、千葉信子俳句のリフレイン詠法俳句の特性である。
昭和二十七年〜六十年は作句が途切れそうでも継続した期間である。だがこの後、作句生活は一時中断する。実生活において嵐のような激動の季節をくぐり抜けた時期だったのだろう。普通はそのときの激しい体験が実作に直接的に反映してしまうものだが、千葉信子俳句は、平成五年に作句を再開しても、静かな呼吸を乱すことなく、逆に深みを増した形で表現世界に着地している。
後しばらく、私の解釈を施さず、リフレイン詠法俳句を選出して並べるだけにする。読者各自、その円熟のリフレイン詠法俳句が醸し出す、芳醇で丁寧な生き方の息遣いを堪能していただきたい。

 平成五年〜九年

  母立てば母に風たつ炭ひさご
  猫がきて猫とでてゆく初桜

 平成十年〜十二年

  おぼろ夜の埴輪の馬を曳く埴輪
  すこしづつ覚めすこしづつ土雛
  蓑虫の一再ならず蓑の丈

 平成十三年〜十四年

  カフカ閉づ黴の臭へる黴のいろ
  弔電を打つ露分けて草分けて
  蛇笏忌の膝抱きて膝尖らせる
  木の筥のなかの木のはこ春隣
  己が影己に倣ふ寒さかな

 平成十五年〜十六年

  川越ゆる風船の沙汰雲の沙汰
  あかんぼが赤ん坊にふれ桃の花
  奈落には奈落のならひ梅雨の蝶
  しやぼん玉はじける軽さ浮く軽さ
  髦にほうたるのつく凛と点く

リフレイン詠法俳句を抜粋するだけにするつもりだったが、もう少しだけ講釈をさせていただきたい。
髦(たれがみ)だから、前髪が眉のあたりまで垂れた子供の髪形である。つまり自分の子の髦に「つく」螢の火が「点く」さまを詠んだ句だ。読み過ぎかもしれないが髦の字義には「秀でる」の意も持つ。賢そうな吾子のキラキラ光る瞳の上の、髦に付いた螢火まで「凛と点く」と表現されている。その細やかな愛に溢れた眼差しがここにある。
この平成十五〜十六年の句には弾んでいるような命のリズムを感じる。

 千姫の菊ひとかかへふた抱え
 癌告知甘柿の種甘柿に

読後、平然としていられなくなる句だ。作者が平然と「癌告知」を受け止めているようにみえるから猶更である。癌細胞は身体という器がなければ存在し得ない。柿の種は柿という器がなければ生じない。「同じことよ」と作者が微笑んでいるように感じるから身震いしてしまうのだ。「もちろん、そうですが…」と、私は敢えて問うてみる。「でもなぜ、甘柿なんでしょうか」 
すると作者はこう応えそうな気がする。
「甘いも渋いも生きてることの証よね。この場合は渋くっちゃいけないわ」
 感服。

  虎落笛湯玉をつぶす湯玉かな

 この句については長谷川久々子氏の次の鑑賞文がある。

  「虎落笛」の句は単なる写実ではなく、対象を凝視して得られた感動が、詩に昇華した句。沸騰した湯玉はやかんの湯であろうか、沸いたのを音で知らせるものならば、「虎落笛」の季語の捉え方に緩みがない。

長谷川久々子氏が主宰だった「青樹」という会派は、千葉信子氏のような感動(つまり観念)を造形する現代俳句のような作風も容認した伝統俳句派だったのか、そうではなくて、この会派の中で、千葉信子氏だけが独特な存在だったのか、私には知るすべがない。長谷川久々子氏の「鑑賞」の視座は伝統俳句派の流儀の内で慎み深い。
もう少し踏み込んで味わってみたい。
表現する句の中に表れるあらゆる「もの」が受け身ではなく、能動的に行為をするように詠まれている。それは千葉信子氏が伝統俳句派的な「観察者」の座を降りて、自分の心の中の現実を生きて行為するように詠む現代俳人に他ならないからだ。
この句の場合も、「湯玉」が「湯玉をつぶす」という行為を生き生きと繰り返している。「つぶす」などという生存競争の殺し合いのような語句を用いながらも、殺伐とした景ではなく、ほのぼの温かく感じるのはそれが文字通り、「湯玉」という熱を持つ「生きる」姿の喩だからだ。ここには子孫代々へと生を繋ぐべく繰り返される、悲壮感など微塵もない楽し気な生のリズムがある。

平成十七年

 髪を梳く髪みなうごく良夜かな

こうして処女句集『縦の目』の世界は完結している。
句集の「あとがき」文の最後には次の句が置かれている。

 息吸うは一瞬ほたる初螢

千葉信子俳句世界を象徴するような俳句である。 
この度上梓された句集『星籠』では、この完成の域に達している千葉信子氏の独創的なリフレイン詠法俳句は、どうなっているだろうか。その軌跡を追ってみよう。

『星籠』
二〇一一年(平成二十三年)
  ※『星籠』では西暦表示になっているので、『縦の目』と合わせるために括弧内に元号を付記した。

 さくらさくらナースコールを押し続け
 告白も告知もありし寒昴

二〇一一年、戦後日本の病理と闇が露呈した東日本大震災が起こった年である。千葉信子氏は闘病のベッドの上に居た。その特徴的なリフレイン詠法俳句も、この二句のように緊張感に満ちた内容で始まり、『縦の目』から継続している。

 桃熟れて嫌ひな人を嫌ふなり
 病室の上も病室つちふれり

高層建築の大病院の一室に幽閉されているような闘病の姿と、しっかり今を見詰める眼差しを感じる俳句だ。

 とけはじむ塩のまはりに塩の春
 白きもの白く炊きあげ月の寺
 道標の雪のよごれは雪が吸ふ
 トンネルの先もトンネル山笑ふ
 胡桃には胡桃の在所母の声
 川あれば川をのぼりて稲の花
 髪ほどく髪みなうごく良夜かな

「髪ほどく」の句は平成十七年『縦の目』の最後の年に詠まれた「髪を梳く髪みなうごく良夜かな」と対をなしている句だ。「梳く」「ほどく」の違い。「梳く」は日常の一コマで、「ほどく」は闘病中の一コマの違いか。その微妙な差異の手触りも句に捉えてしまう。

 雀いろどき菜の花は菜の高さ
 
二〇一二年(平成二十四年)

 睡るには桜が足りぬ血が足りぬ
 すずなすずしろ嬰あやすごとすすぐ
 さくらさくら雨になる雲ならぬ雲
 鬼になる子もならぬ子も柿齧る
 雪に産みまた一人産み吾子とよぶ

「雪に産み」の句はもちろん回想句である。千葉信子氏の出産と育児も男二児のリフレインでもあった。それが降り積もるような雪の記憶と重なり合う。

二〇一三年(平成二十五年)

 寒卵も卵キルギスはキルギス語

これが郁乎俳句だったら自同律的無意味感が漂うとこだが、千葉信子句集の中に置かれていると、その過不足の無い自己同一性のような、生の確かさに触れるような気持ちになるから不思議である。それは次の句にも共通する。

 左手のための右の手トマト煮る
 さくらさくら閂のごと風生まれ
 数へぬと決めし螢火かぞへてる
 白桃の傷ひとつなき明日は明日

「白桃の」の句は巷で言う「明日は明日の風が吹く」の楽観ではない。「傷ひとつなき」生の充実感の表現である。

二〇一四年(平成二十六年)

 粽結ふ親指小指嫁の指
 月光の食べたいものを食べにいく
 煙突は煙突のまま巴里祭
 春隣歩けるところまで歩く

この年のリフレイン詠法俳句は眼差しがどこか遠くに投げられている雰囲気がある。「粽結ふ」の句は懐かしいわらべ歌のような響きで、「月光の」の句はファンタジック、後の二つは望遠の句である。
この年の、リフレイン詠法ではない他の句は回想、異郷への思いなどに混じって、闘病中であることをうかがわせる俳句が多い。
この次の年、二〇一五年(平成二十七年)は収録句がなく、空白の年になっている。病状が悪化し辛い闘病生活を送られたのだろうと推察する。
そしてこの句集の最終年を迎える。

二〇一六年(平成二十八年)

 釜石の秋刀魚よ尖るだけ尖れ
 楸邨忌根のあるものは根を太く
 あきる野の雨雨雨雨草田男忌
 すすきするかや其処までとこれまでと
 鬼になるあそびビー玉うつあそび
 穴惑ひ日向ちいさくちさくなり
 馬冷やす未だ塩の道塩の道
 父に父ありて積乱雲太る
 硝子切る音も紙裂く音も寒
 
句集の結びの章のリフレイン詠法俳句には、これまでと比べるとやや緊迫したリズムを感じる。厳しい闘病中の身体のリズムを反映しているのだろう。

 以上、『縦の目』に二十五句、『星籠』に三十五句、合計六十句もリフレイン詠法俳句が収められている。
これはただの個人の趣向というに留まらないことである。通常の作句の常識で言えば、季重なりを嫌うように、同じ語句を一句の中に使用することは、なるべく避けようとするものだ。他の俳人たちの使用例を見ても解る通り、特別な意図があって使用する以外には滅多に使用されない作句法である。
そのような、どちらかと言えば作句上「忌避」される方法を多用し、自分の表現主題(文学的主題)を表現する技法として使いこなし、磨き上げていることは、俳句表現史上、特筆すべき功績だと言えるだろう。
千葉信子俳句は忌避される傾向の強い語句の繰り返しを、「リフレイン詠法」とでも名付けるべき優れた技法として確立し、俳句の表現世界を豊かにしたのだ。
そして最も大切なことは、自分の切り拓いた詠法によって、命の現場、その日その時を丁寧に生きる命の息吹きという独自の表現主題(文学的主題)を、巧みな造形的表現で成し遂げたことである。

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