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上田玄句集考 『暗夜口碑』

 『暗夜口碑』をめぐってー上田玄句集考 3

 
この『暗夜口碑』という最新句集は、二行から四行の多行構造を持つ俳句と、四行の中の一つの行が空白の多行構造を持つ二種類の俳句で書かれている。
 そしてその文学的主題は、これまでの主題をより深めていったものである。
 次の五つの章と、最後に清水愛一との一句おきに競作するという試みの章からなる句集である。

  外闇
  耳塚
  火屑
  切岸
  葦の世
  連弾・水の指紋

「あとがき」において、上田玄自身が最初の二章「外闇」「耳塚」の文学的主題について、「三橋敏雄のひとつの句に触発されている」と書き、次の句を揚げている。

   窗ガラス薄し外闇を兵送らる

 三橋敏雄は戦没者を悼む句を多く詠んだことで知られる俳人だ。
上田玄はこの一句しか例示していないが、三橋敏雄にはこの他に次のような句がある。

戦亡の友いまあがりくる夏の浜    『まぼろしの鱶』
年下の友死ぬ夏のはじめかな     『鷓鴣』
手をあげて此世の友は来たりけり   『巡礼』
戦争戦災死者の蛍火と言ひつべし   『畳の上』
當日集合全國戦没者之生霊      『しだらでん』 
 
送り出された戦場で命を落とすのは若者がほとんどである。帰還兵となった三橋敏雄は、生き延びて戦没の友よりも歳を重ねていく。そこから回想する戦中派の複雑な思いが滲む句である。白泉と同じように、無季俳句の戦争にこだわり続けた。代表句としては、

かもめ来よ天金の書をひらくたび   『まぼろしの鱶』
いつせいに柱の燃ゆる都かな        〃
戦争と畳の上の団扇かな       『畳の上』

などがある。
 次の句には三橋敏雄の視座の深まりを感じる。

死の國の遠き櫻の爆發よ       『まぼろしの鱶』
たましひのまはりの山の蒼さかな   『眞神』
死水や春はとほくへ水流る        〃
散る花や咲く花よりもひろやかに   『長濤』
死に消えてひろごる君や夏の空    『疊の上』
肉體に依つて我在り天の川      『しだらでん』

 このような三橋敏雄の文学的な社会批評性のある主題や、深い死生観の滲む主題に敬意を表しつつ、独自の文学的主題を深めていったのが、この『暗夜口碑』という句集であるということができるだろう。それは、これまでの句集との連続線上にあることは確かだ。
 この句集の最終章で上田玄と「連弾・水の指紋」という、二人で対句を創り合う面白い試みに参加している清水愛一が、巻末に寄稿している「所感」において、この句集の文学的主題の核心をついた的確な評をしている。
以下にその一部を摘録する。()内の注記は武良加筆。
   ※
(略)上田さんの前句集『月光口碑』に分け入った時、社会性や独特のエロスや屈折、何よりも切実を感じたが、その奥に、死者たちの「声」が反響しているのを感じたのでもあった。それらの「声」が『暗夜口碑』ではくっきりとした「面影」となって顕ちあがっている。
蕉門には「面影付け」という付け合いの極意があり、『更科』には〈俤や姥ひとり泣く月の友〉、『ほそ道』には〈眉掃を俤にして紅粉の花〉などが載っていたりするが、「面影」は、芭蕉にとって「幻術」を齎す触媒の一つではなかったか。少年期の小謡は、声を通して「面影」を現前させるための訓練ではなかったか。(略)
 しかし、なぜ、芭蕉は「罔両(注 魍魎のこと)に是非をこらす」などと書き残したのであろう。(略)影や魍魎に何事かを触知した芭蕉がいたのではなかったか。

   藍を着古し
   棚田の
   父祖の
   翳となる         玄

 この列島の先人たちはつつましい営みを連綿と継承してきたのであろうが、それぞれのいのちはいつしか父祖の面影に溶け込み、田毎の月影と同化してゆく。零細な稲作民の営みの、その原型が眺望できる一句であろうが、単なる郷愁や回顧ではないだろう。モンサント的な力に囲い込まれているこの時代の、ローカルな地の呻きであり、反語であるかもしれない。(注 モンサント社はベトナム戦争で使用された枯葉剤を製造した会社で、戦争後は牛成長ホルモン剤、除草剤の「ラウンドアップ」、遺伝子組み換え〈GM〉作物などで事業を拡大している。「世界の飢餓を救うために遺伝子組み換え作物が必要」と主張している )
 更に、在るということ、在らぬということの何事かが浮かび上がり、田毎の月と同化した面影が浮かぶ風景の中には、万物斉同(注 荘子が唱えた、万物は道の観点からみれば等価であるという思想)や一視同仁(注 すべてを平等に慈しみ差別しないこと)につらなる死生観が漂ってもいる。死生をたたえたつらなりへの思いが滲む。(略)父祖の面影と同化し、月影と同化した人々も、蓄積された「声」に収斂していったのだと言えるのかも知れず、ことばが「声」の堆積であるとは、そのあたりのことも言う。つらなりが文脈を為す。
 しかし、一句独立の徹底や月並み批判などと共に季語体系外の文脈や「声」もが切り捨てられてしまったのではなかったか。

 上田さんの俳句には社会へのある態度が窺えるが、社会詠で括ってしまうのは皮相的であろう。社会を見つめている上田さんの視線は死者たちの視線でもあるからだ。死者たちの「声」が反響している視線なのだ。
 あちらとこちらという尺度を用いるならば、上田さんは、あくまでこちらに佇み「声」を受容している。その姿勢を崩さない。此岸性の俳人であろう。
 此岸に拘泥できず、往還感覚にこころを委ねてしまう気まぐれな愚生との付け合いが『連弾・水の指紋』であろう、か。両者のギャップを「声」が架橋してくれている。捌いてくれている。そう思う。
   ※
 この清水愛一の内外の古典についての学識深い視座で指摘された評言は、上田玄俳句の「本質」を鮮やかに描き出している。それは本稿で私が述べてきた視座とも合致するものだ。『連弾・水の指紋』を共に編んだ作者も、上田玄俳句の「本質」をそこに見ている。
ただ、後述するように、その表現の仕方が尋常ではない。日本詩歌的叙情に絡め取られまいとする意思に貫かれていて、「切れ」で分断された言葉たちに私的詠嘆を排除したゴツゴツしたリズムで表現されているのだ。そういう俳句は読者にとっては心地良くなく、甚だ読みづらいものとなる。ただ「観賞」されることを拒み、詩歌の持つ叙情性をも疑って「読む」という格闘をするように仕向けられるような独創的な俳句なのだ。
『連弾・水の指紋』という、この句集の最終章に置かれた付け合い作品集についての評は割愛する。
順を追って章ごとに、一句ずつ全句を読んでみよう。

◇「外闇」 

 この章題が暗示するのは、上田俳句はこれまで「内なる闇」と格闘してきたが、ここで初めて「外なる闇」を表現しようとしていることだ。つまり永い歴史を背負う現在の日本の「闇」に、その視線は向けられている。

   遺髪あり
   漂う雲の
   翳は
   宿墨

「遺髪」だから死者の身体的遺品である。「漂う雲の」「翳」で陰影深い漂泊感が漂う。それは「宿墨」、つまり、罪びととしての烙印を背負った者の面影を背負った人生を思わせる。ここにも作者の情念の在処が見える。

   降雹愁殺   
   築地署道場

 警察署の道場のようである。外は「雹」が降っている。何か刑罰めく鍛錬の最中を思わせる。実はこの「築地署道場」は小林多喜二の虐殺現場である。
小林多喜二は小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)在学中から創作に親しみ、絵画や文芸誌への投稿や、校友会誌の編集委員となって自らも作品を発表するなど、文学活動に積極的に取り組んだ。この前後から、自家の窮迫した境遇や、当時の深刻な不況から来る社会不安などの影響で労働運動への参加を始めている。一九二八年に起きた三・一五事件を題材に『一九二八年三月十五日』を『戦旗』に発表。作品中の特別高等警察(特高警察)による拷問の描写が、特高警察の憤激を買い、後に拷問死させられる引き金となった。翌一九二九年に『蟹工船』を『戦旗』に発表し、一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集めた。
一九三三年二月二十日特高警察に逮捕される。この築地警察署内において多喜二は寒中丸裸にされてステッキで殴打され、警察署から築地署裏の前田病院に搬送され、十九時四十五分に多喜二の死亡が確認・記録された。
 この句の「降雹愁殺」にはそんな多喜二を悼む思いが滲んでいる。
 この冒頭の二句で戦後的自分の現在を、刑死者が不条理な刑罰を受けているかのようなものと見做している上田玄の精神のかたちが窺える。
こうして、上田玄は自分の内なる「外」の「闇」に視線を向けてゆく。

   血に塗(まみ)れ
   父に見(まみ)え

   昭和残

 最初の二行の主語は「私」か「私と同等の境遇のもの」である。「父」なるものに向かい会うには「血に塗れ」るほどの心理的葛藤があるというのだ。そのことを寡黙な「昭和残」という言葉が雄弁にものがたっている。

   病む馬と
   山背
   相呼ぶ
   大夏野

「病む馬」は自分であり、昭和日本である。「山背」は冷たい季節風。「背」の字のせいで馬の背骨と共振する。「相呼ぶ」の後の「大夏野」という景観が孤独感、孤立感を呼び込んでいる。

   秋水
   さかしま
   人であるのは
   一世とて

「秋水」という言葉には四つの意味がある。一つは俳句の季語にもある、秋のころの澄みきった水のことだ。もう一つの意味は、曇りのない、よく研ぎ澄ました刀のことだ。そしてもう一つは、太平洋戦争中に日本陸軍と日本海軍が共同で開発を進めたロケット局地戦闘機で、ドイツ空軍の戦闘機の資料を基に設計を始めたが試作機で終わった。
 そして最後の一つ、この句が暗示しているのは「幸徳秋水」のことだろう。
幸徳秋水は明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。一九〇一年(明治三四年)、『廿世紀之怪物帝国主義』を刊行し帝国主義を批判。これは当時、国際的に見ても先進的なものであった。一九〇五年(明治三八年)、新聞紙条例で入獄、獄中でクロポトキンを知り、無政府主義に傾く。出獄後十一月、渡米。アメリカに亡命していたロシア人アナキストのフリッチ夫人やアルバート・ジョンソンらと交わり、アナルコ・サンディカリズムの影響を受けた。翌一九〇六年四月十八日サンフランシスコ地震を体験。その復興としての市民による自助努力に無政府共産制の状態を見る。一九〇九年(明治四二年)、『自由思想』発刊、即日発禁。一九一〇年(明治四三年)六月、幸徳事件(大逆事件)において逮捕。獄中で、歴史的存在としてのイエス・キリストを否定する『基督抹殺論』を脱稿。イエス・キリストを天皇のメタファーとして、天皇を排する主張をしたとも言われる。翌年、有罪・死刑判決を受け、他の死刑囚とともに一月二四日処刑された。
 二行目の「さかしま」は、水面に映った物影の逆立のさまと解せる。三行目、四行目は、命の断絶性、個別性の意味を引き寄せられ、水面より上のこの世に、水面の逆立像から、あの世が響き出してくる。完成しなかった敗戦の象徴のような戦闘機の意味を取れば、墜落してゆく様に見えてくる。遡って幸徳秋水のことを思えば、濡れ衣同様の「冤罪による死」に象徴される、日本近現代史の歪んだ実像が浮かび上がる。「人であるのは」「一世とて」秋水たちが刻んだ人としての歴史は、帝国主義によって抹殺されたのである。

   秋水
   水切り
   矜持矜持と
   響くなり

 二行目の「水切り」にはたくさんの意味がある。水分を取り去ること。また、そのための用具の意味。そして 小石を水面に水平方向に投げ、石が水の上をはねて飛ぶのを楽しむ遊戯の意味。 生け花での水揚げの方法の一つで、空気が茎の中に入らないように花材を水中で切ること。さらに茶道で、ひしゃくに湯または水をすくって運ぶとき、しずくが落ちないようにすること。そして建築で、窓台など突出する部分の下方につけて雨水が壁に伝わってくるのを防ぐ溝のこと。
「矜持」は自分の能力をすぐれたものとして、他に誇ること、尊大、荘重な態度をとること、自負。誇り、プライドの意味だ。結びが「響くなり」と音の方に寄せているので、「水切り」遊びの石の撥ねる音に「矜持矜持」の思いを聴いているのだろう。すぐ失速して水中に沈む結末を思えば苦い俳句だ。
それ以上に、社会思想家、幸徳秋水たちの無念の死の響きを纏う句である。
この二つの「秋水」の句で、上田玄は明治維新に始まる日本社会の「闇」に目を凝らしていることが解る。天皇を担ぎ出して帝国主義国家を建設した明治維新後の日本は、幸徳秋水のように世界思想レベルで革命的な社会思想によって、日本の明日を拓こうとした志を「虐殺」して、昭和の「敗戦」に至る虚妄の「近代化」、つまり富国強兵の道へと、日本人を駆り立ててしまった。その「闇」が、昭和も終わり、平成も終わろうとしている今日まで、日本人の精神を縛っていることを、冷ややかに指弾しているようだ。

   この墓には
   テロリスト
   ココアの匙を
   銀漢に

銀河の下の墓にテロリストが埋葬されている。そこに何故「ココアの匙」なのか。その謎を解く鍵は、石川啄木の詩「ココアの匙」の次の一節にある。
  はてしなき議論の後の
  冷めたるココアのひと匙を啄(すす)りて、
  そのうすにがき舌触りに、
  われは知る、テロリストの
  かなしき、かなしき心を。
啄木の時代だから、ここでのテロリストは帝政ロシアを対象にしているのだ。つまり抵抗の苦き味を噛みしめているのだ。国家社会に違和感を抱き、「革命」の志に共振する心には、いつもこの銀漢の下の墓を抱えて生きているのである。

   しゃぼん玉
   消え

   三宅坂

「三宅坂」は半蔵門外から警視庁付近まで、皇居内堀に沿って続く緩やかな坂道で、江戸時代以来、堀端の景勝地として知られる。戦前戦中には「三宅坂」と言えば参謀本部の代名詞だった。戦後、参謀本部跡地は国会用地に転用、最終的に東半分は公園化されて国会前庭と憲政記念館に、西半分は国会の観光バス駐車場などになり、一角には国有地を借地して社会文化会館(日本社会党本部)が建設された。戦前の参謀本部から新たに国会の議席の多数を占めるようになった日本社会党、そして現在の社会民主党を指す言葉として使われるようにもなった。どうしても軍事、政治の匂いの纏い付く坂である。最初の二行の「しゃぼん玉/消え」と一行の空白に、どこか虚しい歴史の響きを聞かないわけにはゆかない。後述するが、この「しゃぼん玉」には野口雨情の謡の響きがある。

   晩霞
   晩鐘
   未病の祖国
   告げわたる

「未病」とは。一九九五年(平成七)に設立された「日本未病システム学会」によると、「西洋医学的未病」と「東洋医学的未病」があるという。「西洋医学的未病」では「自覚症状はないが、検査で異常が確認された状態」とされる。高血圧、高脂血症、高血糖、肥満、動脈硬化、骨粗鬆症を指すという。「東洋医学的未病」では「自覚症状はあるが、検査で異常がない状態」のこととされる。東洋医学や漢方では未病は治療対象で、西洋医学的では微細な生理的変化を検出する最新機器の登場でどんどん「未病」は増える一方で、確固とした治療法はないという。「晩霞」「晩鐘」の中の「祖国」は、自覚があるのかないのかも解らない病を病んでいるのだ。

   沖から
   防人
   ガリ版刷りの
   詩書を持ち

「沖から」帰ってきたのは、多分、「防人」の魂だろう。国土防衛の戦で散った魂に違いない。その魂に作者はコピー機などなかった時代の「ガリ版刷りの」「詩書を」持たせている。作者が「ガリ版」青春時代に自己表現の方法を知ったばかりのころ書いた幻の「詩書」には、そんな魂を悼む言葉が書かれていたに違いない。

   銃後の街に
   尾鰭は泳ぐ

   水枕

「銃後の街」には兵役を免れた者たちしかいない。戦火は遠いが心を戦火に支配されている者らが暮らす奇妙な街だ。本体を切断されて「尾鰭」だけになった者が右往左往している街なのである。街にも出られず病の床についた者たちの、苦しげに寝返りを撃つ「水枕」の音がしている。

   さまよう鬼あり
   俳句忌あり

 新興俳句という鬼がかつて居た。その鬼が囚われの身となって獄中死したのだろう。その日を「俳句忌」と呼ぶことにして、新たに俳句を書こうとしている「鬼」がいる。冥福を祈っている場合ではない。
 そしてこの章の結びの句が次の句だ。

   玻璃震え
   外(と)闇(やみ)は

   昭和十五年

「昭和十五年」こそ、昭和日本の軍事体制が出来上がり、そのまま悲惨な敗戦を迎えることになる大戦に突き進んでいった時点であった。繊細な「玻璃震え」るが如き俳人は、自分を取り巻く「外闇」の中に、その歴史的起点を見出そうと意思している。
 この章では、作者が、今に続くこの日本という国が、「宿墨」を負った罪科人的現在にしか見えないということを表明しているように感じる。

◇ 「耳塚」

「耳塚」というタイトルは、先に引いた高柳重信俳句の二つの「耳」へのオマージュにもなっているような気がする。この存在論的受難の「耳」の、その後の物語として作者は詠んでいるようだ。
他の多行構造俳句作家たちの俳句には、文学的主題という「内容」的な訴求力が希薄であるようにみえる。それに比して、この形式の創始者であった高柳重信の多行構造俳句にはあった独自の文学的主題を持つ多行表現俳句に、上田玄俳句は果敢に挑んでいるような印象を受ける。
果たしてその創造は可能だったのか。
それは成功しつつあるのか。
そう問う視点でこの章を読み進めてみよう。

撃チテシ止マム
父ヲ

父ハ

この冒頭の句は高柳俳句以後の多行構造俳句が、しなやかに強靭に達成した、見事な新次元の作品であると評価してもいいのではないか。
ブランク行があって「父」につく助詞が目的対象から主体にすり替えられている。そのことで「主体」を引受けさせられてしまった「父」が、その前に「息子」が置いた「空白」によって、苛烈に問い詰められているような表現空間が出現している。
単純な戦争批判や風刺に堕しない、表現の冴えが感じられて、別次元の文学的主題の萌芽を感じさせる俳句だ。
日本はまだ過去の戦争について被害者的意識を抱き締めている者の方が多い。この上田玄俳句は、その自己愛的欺瞞の「戦争観」の弱点を暴きだしているように感じられる。
ブランク行の後に「父ハ」と置かれて、思いもしなかった「加害者」の席を与えられた、戦後日本人全員の戸惑い狼狽する姿が目に浮かぶようだ。
この「耳塚」を読んでいると、『月光口碑』に見られたように、上田玄は「戦争」に拘り、自身の創作の深いレベルでの主題とする方法を手放さないでいることが感じられる。
「戦争」は時空を超えてさまざまな変容をして、私たちの生存空間を脅かし続けている。数え上げればきりがないほどの多様さで、私たちを内側から生かす精神性を包囲し狭め、殺戮しようとしているのだ。
それが現代に引き継がれた変容する戦争の姿である。その姿が見えない者たちに真の「戦争詠」ができるわけがない。
上田玄は孤独にそのことに挑み続けているのだ。
この句については父殺し的主題を指摘する評もあるようだが、私はその評には組し難い。そう幻想されているような「父性」などこの国の文化にはなかった、つまり殺すべき父権的文化などなかったと思うからだ。明治以降の近現代史の精神的錯誤は、持ち合わせていない父権性を纏い、すでに権威的形式に過ぎなかった天皇に軍服を着せた挙句が、昭和の敗戦という大惨事を招いたのではなかったか、という思いからである。
上田玄自身に作句の意図を確認したわけではないが、そして確認する必要などないと思うが、父殺しの主題で書いたのなら、私はこの句は評価しない。

サザレ石
馬蹄ハ払フ

雨情ノ小唄

「サザレイシ」と言えば、すぐ「君が代」「日の丸」が連想される。「馬蹄」といえば軍馬の響きに結びつく。「サザレイシ」と来て「馬蹄」が「払フ」と言えば、もう「軍艦マーチ」か、「君が代行進曲」以外にない。
 だが作者は三行目に空白を老いて、謎の「雨情ノ小唄」を置く。
 上田玄には「野口雨情」小論がある。その文の中から、この一行の謎を解くヒントを探ってみよう。「詩客」というブログの「私の好きな詩人」というコーナーへの寄稿を依頼されて書いたものだという。以下、その抄録である。
   ※
(略)雨情の童謡や民謡のなかに「沈潜するレジスタンスの精神を観る」という件(注 秋山清著『近代の漂泊』)が、反権力の感情のままに突き進んでいた当時の私には、励起と慰撫両面の効能があったのだ。そして、折々に詩作品にも手を伸ばしていった。

    時雨唄

  雨降りお月さん
  暈(かさ)下され
  傘(からかさ)さしたい
  死んだ母(かゝ)さん、後(あと)母(かゝ)さん
     
  時雨の降るのに
  下駄下され
  跣(はだ)足(し)で米磨(と)ぐ
  死んだ母(かゝ)さん、後(あと)母(かゝ)さん

  柄杓(ひしゃく)にざぶゝゝ
  水下され
  釣瓶が重くてあがらない
  死んだ母(かゝ)さん、後(あと)母(かゝ)さん

  親孝行するから
  足袋下され
  足が凍(こご)えて歩けない
  死んだ母(かゝ)さん、後(あと)母(かゝ)さん

  奉公にゆきたい
  味噌下され
  咽喉に御飯が通らない
  死んだ母(かゝ)さん後(あと)母(かゝ)さん

 大正八年刊行の詩集『都会と田園』の巻頭の詩である。
 いつも何か欠落したものを抱えながら生きることの哀しい覚悟が、あくまで平易に生活の言葉で綴られている。西欧モダニズムと一線を画しながら、口語自由詩の中に五七の韻律を溶かし込んでいる。この韻律に託すしかない俳句の作り手として、身に滲みこんでくるのだ。
 この韻律の和歌的伝統に寄り添うのではなく、『梁塵秘抄』や『閑吟集』などの俗謡の系譜に連なることで見えてくるであろうもの、それがここにはあるのだと思う。(注 かっこ内補足は武良による)
    ※
 この文章には上田玄の精神の中核に今もある「ヴ・ナロード」の思想を、文学言語表現化するときの情念の在処を感じる。あくまで大衆、民衆目線で地に足をつけてものごとを見つめ、そこから文学的主題を立ち上げるという頑固なまでの表現姿勢である。「いつも何か欠落したものを抱えながら生きることの哀しい覚悟」を、和歌的抒情を排する実存的視座で、上田玄は俳句を書いているのだ。
句の観賞に戻ろう。「サザレ石」「馬蹄ハ払フ」ときて、「軍艦マーチ」や「君が代行進曲」ではなく、空白行の後に「雨情ノ小唄」を置くのは、そのような意思の表れである。先にも述べたが、ここにも上田玄俳句の、日本詩歌的叙情に絡め取られまいとする意思によって、「切れ」で分断された言葉たちに私的詠嘆をも排除したゴツゴツしたリズムを生み出す句法が効いている。  

ジョニーハ
次郎ハ

丸太ヘト

「ジョニー」という洋式名称は、日本の「次郎」と等価であるという文化の引き付け、というか誤訳めかしたギャグが、ブランクの行の後、木偶の棒的「丸太」状へと落とし込まれていて、これは喜劇的哀愁の世界というべきか。文明批評的な文学的主題を感じる句である。(初稿では触れることを避けたが、「鬣」70号の「一句鑑賞」で、堀込学が映画『ジョニーは戦場へ行った』を引いて次のような的確な評をしている。敬意を表してその一部を次に摘録しておこう)
    ※
 「ジョニー」、「次郎」と一般的な日米の男子の名前の並列表記でありながら、一行空けの結句「丸太ヘト」で始めて『ジョニーは戦場へ行った』の四肢を失った傷痍軍人を想起させる。そして改めて初句に
戻り、対比さてさせていた「ジョニー」「次郎」が、長男ばかりか次男でさえも駆り出される徴兵制(戦争)を召喚する。
    ※
 この後、堀込はさらに映画『キャタピラー』、乱歩の『芋虫』を引いて、結句に「丸太」を置いた上田玄の「痛烈な戦争批判が浮かび上がる」としている。実に的確な主題読みの評言である。
 

   暗夜弾奏
   苔ムスマデニ

   滴リテ

 この句のブランク行の後に置かれた「滴リテ」には時空的隔絶の、何か特別な意味があるだろうと読者を唆して暗示的だ。一行目の「暗夜弾奏」という漢字四語が効いているのだ。闇を衝いて弾奏して止まぬ行為とは何かと、先ず読者を誘い込む。「苔ムスマデニ」という日本型歴史性を持つ時間の降り積もらせ方で、句のど真ん中に読者を引き入れ、後の一行の空白で突き放して「滴リテ」で出口を封鎖する。さあ、この日本型湿度の檻から出られるかな、と不敵に嗤っている作者の力強い諧謔的情念の手触りがある。この章の句には、ともすれぱ日本的情緒に回収されてしまう大衆的感覚をも疑っている孤独な魂を感じる。

   午
   戌
   鳩
   戦死

「午」「戌」は動物ではなく方角や時間の旧名である。そして平和の象徴というふうに大衆化された「鳩」。そして「戦死」。俗なる「平和」的情況を「戦死」的情況に隣り合わせる危機感の表現だ。
 
  骨ニ
  蓋スル

  野末ノ巌

この句は大戦の犠牲者を忘却の彼方に打ち捨てて、経済復興からバブル経済の崩壊に到った日本人の古傷に触るようなところのある句である。
これが一行表現俳句の「骨ニ蓋スル野末ノ巌」という作品だったら、そこで完結してしまい、それ以上の文学的主題を獲得するには至らなかっただろう。
一行ブランクの後に「野末の巌」と置かれ、「巌」は直接的に「骨」「蓋スル」行為に結びつくことを疎外されて孤独に佇んでいる。すると「巌」もまた野晒しの捨て骨の意匠を纏わされてしまう。前の二行と最後の一行が孤立して、けっして完結しない「意味」を空しく主張している俳句へと変貌する。
野末のどこかで「骨ニ」「蓋スル」行為が黙々と続いている。また違うどこかでは巨大な、ちょっとは歴史性を負う巌が為すこともなく風化を続けている……そんな表現時空が出現し、別次元の文学的主題へと読者を誘うのだ。

  銃後銃前
  食前食後

これは戦中も戦後も、すぐスローガン言語に席巻されてしまう、数としての日本人集団を、その日常的「食前食後」で冷ややかに嗤っている句だ。

  繃帯ヲ
  脱ギ

  水母

この「繃帯」は『月光口碑』でみた白泉の無駄死を強いられる兵士の「繃帯」だ。「水母」は『鮟鱇口碑』の戦後日本社会の立ち上がりの時点で社会と相容れぬ魂を抱えてしまったものたちの魂だ。白泉の痛みを脱いでも、寄るべき魂たちは海原に漂うほかはない。
  
  征キ征キテ
  中ツ国ナリ

  闇ハ

 過去の大戦はまだ終わっていない。「中ツ国」は古事記などで使われる言葉で芦原の国、日本本土を指す。敗戦までは軍事による拡張主義、敗戦後は経済という拡張主義によって継続中の「戦争」によって、豊芦原の国のあちらこちらに「闇」をばらまいている。

  火取虫

  マタ
  寝テ泣クノカナ

「火取虫」は夏の夜、灯火に集まってくる虫のことで灯蛾 (とうが)ともいい夏の季語だ。楸邨に「火取虫羽音重きは落ちやすし」という句もある。「マタ」「寝テ泣クノカナ」と雨情的わらべ歌を模して、直接的な心情の吐露ふうの表現をしている。だが内容は冷ややかだ。火に引き寄せられた「灯蛾」が地面に落ちるのは翅を焼かれてしまうからであり、「マタ」寝ることはなく瞬時に焼け死ぬのだ。泣く事こともできず焼死するのである。
実はこの「マタ 寝テ泣クノカナ」というフレーズには元歌があり、その引用である可能性が高い。旧日本軍、また自衛隊の消灯ラッパの旋律に乗せた俗謡(歌詞のない旋律に聞きなしふうに歌詞をつけてひっそり謡われたもの)がある。
タッタタ、タッタ、タタタタター
タッタ、タッタ、タッタタタッタター
というリズムのラッパ音に、次の歌詞がつけられたものだ。
  兵隊さんは(または「新兵さんは」)つらいよね
  また寝て泣くのかな
末端の兵士たちの悲哀のにじむ歌詞だ。他にも民衆口伝の戦を厭う替え歌もひそかに流行した歴史がある。上田玄の眼差しは常にそこにも注がれている。

  ジツト手ヲ見ル

  銃ニ
  伸バス手

啄木が「ジツト手ヲ見ル」ことをしたのは、自分の貧しさを実感したときだった。この句の主語は「私」つまり上田玄ではない。戦後日本人そのものである。非人間的な殺人的システムとなってしまった現代の経済社会の中に、人は暗い殺意を育てている。そしてときおりテロ的行為に走る若者を生んだ。一方で戦前体制を引き摺るものたちは覇権的銃の感触を懐かしんでいる。

  繃帯ノ
  草ムス衆生

  青垣ニ

「繃帯」先にも見た通り白泉俳句の兵士たちのこと。「草ムス」とカタカナ書きしてあるが、本来は草生す、草産すと書き、「むす」は、生じる意で、草が生生い茂ることだ。この言葉でまるで野ざらしの兵士の遺骨のようなイメージが生じる。「草ムス」という言い回しには、どうしても次の「軍歌」のイメージが纏いつく。

うみ行ゆかば
水漬づく屍
山行ゆかば
草生むす屍
大君きみの
辺にこそ死しなめ
かへりみはせじ

戦前・戦中に専ら戦死者への鎮魂歌と位置付けられた歌で、『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」の長歌から採られている。作曲された歌詞の部分は、『続日本紀』の「陸奥国出金詔書」の部分にほぼ相当する。奇妙な位置づけの日本天皇制の「大君」に対する臣民の位置から、現代日本人の精神は一歩も出ていない。上田玄がこの「草ムス」「水漬ク」という言葉を俳句の中で使うときは、そのことへの絶望的な批判意識が背景にあるようだ。結びが「青垣ニ」である。これは、周囲を取り巻いている山々を、青い垣に見立てた言葉で、古代においては国褒めの慣用語だった。『古事記』の「たたなづく青垣山ごもれる大和しうるはし」という歌謡のように。今も日本人はこの古代からの情緒に包囲されている。

   散ル
   サクラ
   信ジタイ
   事ノミ信ジ

「散ル」「サクラ」という日本人の精神を芯の部分から腐らせている、取り扱いに注意を要する語彙を敢えて使っている。「事ノミ信ジ」という内に閉じる精神も日本文化の重要側面である。日本的精神の「閉ざされ方」の表現である。

   二度ト
   夏ナシ
   蝉声鎮メ
   耳ノ塚

 この国の大戦は「終わった」ことにされ、侵略も敗北もなかったことにされつつある。それは戦後の日本の夏が、「終戦」記念の日なるものを後生大事に抱き締め続けた結果だ。この国は敗戦という事実を直視する「夏」は「二度」と「ナシ」という状態を続けるに違いない。そんなふうに「歴史文化」が形式化し、権威主義化するところには、それに群がる大衆文化が発生する。大量生産、大量消費という都市型戦後社会の構築の翳で、かの「戦場」にうち棄てられた者たちの、自分の胸を弾丸が木っ端みじんに打ち砕く音を聞いた「耳」たちは、斃れては野末の塵と化しても、異郷となってしまったこの国の「繁栄」が立てる騒音を、懐かしい唱歌のように聴いているだろう。たまに遺骨収集隊に拾われた「耳」たちは「塚」に納められ、その上では空しい鎮魂の調べのような「蝉声」が流れるばかりだ。さて、「蝉声」は何かを鎮め得たのか。
 以上、一句ずつ読んできたが、この章は短律も含め、一行空けの多行構造俳句も、目覚ましい成果が覗える章であると言えるだろう。

◇ 火屑

   犀の仔を
   夢見し
    咎ぞ
   赤光に

 最初から謎の多い句だ。意味文脈的に解すると通常「何々なのは何々をした咎だ」となるが、その最初の「何々は」が欠落しているので、この意味文脈読みは通用しないことがわかる。するとこの言葉を俯瞰してもっと広く「生きているということは」というようなことが前提されている表現だという可能性が浮かび上がる。次に「犀の仔を/夢見し」も意味文脈的には「咎」にかかっていないと解するべきだろう。ここで切れて、「咎ぞ」はどこにもかからず放り出された言葉と解することになる。すると一、二行目はただ「犀の仔を/夢見し」状態が提示されているだけのことになる。四行目の結びの「赤光に」の「に」に向き合わされているのは前語までの意味ではなく、そんな状態全部としか解せないことになる。問題は「赤光」だ。通常、夕方の太陽の赤い光のことである。訳の分からない罪科を背負って赤い夕日に炙られているような感じだ。「赤光」は歌人の斎藤茂吉の歌集名にも用いられている言葉だ。茂吉は万葉調の中に、たくましい生命力と鋭くはげしい官能を感覚的に歌った歌人である。「赤光のなかに浮びて棺ひとつ行き遙けかり野は涯ならん」という歌がある。鮮やかな葬列が想起される。そんなイメージも負っている句だろう。
   
   暗夜深甚
   黒ずむ
   息も
   山の息

 初めて句集の題名にも使われている「暗夜」が使われている。この句と題名の「暗夜」とは何か。志賀直哉の小説に使われて、それは「暗夜行路」というように道行きに接続する先行イメージがある。この物語では、前編は主人公時任謙作が母と祖父の不義の子であることを知るまでの青春期の不安と動揺を、後編は妻の過失に悩み、それを克服していく過程が描かれている。その克服の過程に大自然の治癒力というような装置が施されている。だが、この句ではどうだろう。上田俳句の中の自然は、とても彼の魂を癒やしてくれそうもない。ただ「黒ずむ」「息も」「山の息」なのである。
 この句に使われた「暗夜深甚」のイメージによって、彼が「外闇」の「暗夜」を凝視するために彷徨を始めたということが鮮明になった。

   革命挽歌
   暗夜の雨を
    背もて
     聴く

 かつての青春時代の敗北の記憶を少しノスタルジックに描いている。「暗夜の雨」を「背もて」「聴く」ような苦い郷愁である。

   わが罪を
   知って
   地走る
   雹ありし

 この句も敗北の記憶を描いた句だ。

   捨てきれぬ
   呼笛

   和すは鵯

「呼笛(よびこ)」という言い方をされると、どうしても時代劇の捕り物の「呼笛」を思ってしまう。ここでは仲間を呼ぶ笛のようだ。今や無用のその笛をまだ捨てられないでいるようだ。応えくれるのは「鵯」だけ。ピーヨピーヨと大きな声で鳴き、波形を描いて飛ぶ。その波形が哀しい。

   ヴ・ナロード
   
   青のインクは
   亡ずとや

「亡ず」とは古語的な言い回しだが、身を滅ぼす、滅亡するの意味だ。「ヴ・ナロード」「青のインク」も滅亡の運命にあると感じているのだろう。保守的な体質の大衆が半数を占める国では「民衆の中へ」と展開した社会運動は必ず失敗し挫折する。そのことに深い絶望感を抱いた世代の屈折した思いがある。ペン書きそのものが廃れつつある今、「青のインク」という表現には哀愁が漂う。

   敗残の
   犀なり
    翳る
   おお茜

 上田玄にとって西洋的な「迷える子羊」は「犀」らしい。前の句にも「犀」という言葉が使われていた。鈍重だが本当は闘える「角」だってあるんだ、という思いの喩か。結びの「おお茜」が美し過ぎて切ない。

   燃えさしの
   煙草と
    鵙と
   半旗垂れ

秋、「煙草」を半ばまで吸って空を見上げている男(私)。木のてっぺんでキーイッ、キーイッと「鵙」が鋭い声で鳴いている。肉食のこの鳥は捕らえた獲物を木の枝や有刺鉄線などに突き刺したままにしておく習性がある。同じ空に、誰を悼むのか「半旗」が「垂れ」ている。何かをし忘れたような宙ぶらりんの心情が滲む句だ。

   夕空に並び
   放尿
   鬼も
   仔も

「仔」とあるから人間ではなく、その前の行の「鬼」の子供か。揃って放尿している。「夕空に並び」。ただそれだけの景なのに何故か、「何か欠落したものを抱えながら生き」ているような空虚感が漂うのは、自分を人界から隔絶された「鬼」と思う自己認識故だろう。

   残闕の
   真神
    滴る
   裾うちに

「残闕」は書物などの、一部分が欠けていて不完全なこと。また、そのもの。ここにもまた「何か欠落したものを抱えながら生き」きているという表現がある。「真神」は狼。これも人界隔てる存在である。その思いを滴らせている「裾」。この語で歩行中であることが判る。だがこの閉塞時空から出る余地はない。

   友ありき
   破戒を告げる
   鵙と
   唱和し

「破戒」は、聖職者がその属する宗教の戒律を破ることだが、どうしても藤村の小説『破戒』をイメージしてしまう。小学校教員、瀬川丑松は「新平民」という名の被差別部落出身者だが、その素性を「隠せ」という父の戒を守って生きていた。その著書を愛読し敬愛する思想家、猪子蓮太郎は部落出身の出自をなんら恥じないと自ら公表している。父の死後、蓮太郎と交流を深めるが、蓮太郎は暴漢に襲われて死ぬ。そんな体験をして、丑松は出自を告白し、生徒たちに謝罪して学校を退職し、アメリカへと旅立つ。というような物語だ。この句の「友」と、現実の上田玄の「友」、彼に革命思想上の影響を与えた人物のイメージが重なってしまう。「贄」を枝先に刺したまま忘れてしまう「鵙」の高啼きが、作者の頭の中で反響している。

   不時着だけが
   人生よ
   風の型紙
   雨の蝋型

 風の「型紙」が風から取れはしないだろう。雨の「蝋型」は取ろうとする前に雨は蒸発してしまうに違いない。この世に着地したこと自身が「不時着」だったようなものだという自己認識の中に作者はいるのだ。

   山鳩の
   口説くを聴けり

   独居晩祷   

「晩祷」は、正教会も含めたキリスト教の教会において広く用いられる、晩の公祈祷を指す総称。それを独りで毎晩やっているような人生だと作者はいうのだ。「山鳩」は何を「口説」いているのか。そばにそれを聴いている相手らしいものは居るのか。

   タンゴとして
   遺影として

   ペルセウス座流星群

「ペルセウス座流星群」毎年、七月二十日頃から八月二十日頃にかけて出現し、八月十三日前後に極大を迎える。お盆や夏休みの時期にあたり、また夜間の気温も高い時期にあたることから、最も観測しやすい流星群と言われる。「タンゴ」と「遺影」という言葉の響き合いから、どうしても青春時代の苦い記憶の香りがする。お盆の行事のように夏の心の慣習となっているのだろう。

   破れては
   問う
   草の王にて
   虹を吐き

「草の王」は傷つけると黄色の乳液を流すので草の黄ともいい、皮膚疾患に有効な薬草という意味で瘡(くさ)の王ともいい、皮膚疾患以外にも鎮痛剤として内臓病に用いられたことから、薬草の王様という意味で草の王という。花は直径二㎝程度の鮮やかな黄色の四弁花である。「破れては」の一行目の言葉で負傷感、「草の王」でその治癒法が「問」われているようだ。「虹を吐き」が断絶した言葉で意味を為さない。問いと答えが揃わず完結していない七色の惑いの中に、作者も読者も放り込まれる。

   南限の象
   魂の
   消費期限は
   あるのだと

「南限」と生息可能地域を指し示しているのだから、生存の限界を超えた過酷な場所に、この「象」という比喩の命の現象はあるのだろう。それに「消費期限」があると言っている。「象」はついに消費財にされているようだ。

   訣れも
   謎も
   嘯いてみる
   はだら雪

「はだら雪」とは、まだらに降り積もっている雪のことで、春の季語である。よく混同されるが地面に積もってまだらに消えかかっている雪のことではない。降る動きも含んだ意味で、はらはらと降る雪のことも指す言葉だ。その密度の空疎さのイメージをこの句は引こうとしているだろう。「嘯いてみる」という言葉がその証左である。「嘯く」には、とぼけて知らないふりをする、または、偉そうに大きなことを言う、口をすぼめて息や声を出す、詩歌を小声で吟じるなどの意味がある。ここではもちろん、最後の「詩歌を小声で吟じる」の意だろう。たぶん、言っても仕方ない繰り言歌に違いない。
   
   枯菊の
   翳描けり
   魂の吐く
   小さき嘘

結びの「小さき嘘」がキーの俳句だ。世間に理解できない、常識はずれとも見えることの中に「真実」があり、そのことを独り発見してしまった者は、そのことを、大衆を前に説明するとき困難を覚えることがあるだろう。そんなとき何を語っても「嘘」に聞こえてしまい、賛同者を得ることはできないだろう。また、自分自身に纏わることで、その現実を直視しかねるほどの苛烈な体験をしたとする。そのとき精神は自己を守るために、自分に嘘をつくこともある。そんな多様な「嘘」でこの世はできている。「枯菊」の「菊」という言葉が選ばれているのは、日本の象徴天皇制の紋章だからだろう。

   墨刑や
   野末の火屑(ほくず)
    額に
    肘に

 先に「宿墨」という言葉を作者は使っていた。この句の「墨刑」はもうそのまま「刑罰」の入れ墨を指し示している。「野末の火屑」という消えそうで消えない記憶とその痛み。それが「額」に「肘」に刻印されている。

   一者残れる
   犀に
   注ぐか
   銀漢は

 また「犀」の登場である。巨体で角もあるのに闘い方を忘れてしまった精神の喩であろう。「一者残れる」と、ここでも孤独な影を引き摺っている。銀河だけが降りしきる夜の片隅で。
 これがこの章の最後の句である。この章の文学的主題に総まとめのような句だ。詩歌的情緒まで浸食する日本的精神風土を疑い、その頚城からの脱出を図り、抒情性を配した武骨なリズムで俳句を書く上田玄の目は、自己の内部から外の闇を照らし出そうとしているのである。
 次の章では、その視線が家族、共同体へと向けられてゆく。

◇ 切岸

   弟切草
   夜明けを聴かば
   水漬く
   わが翳

 当初から「海ゆかば」の天皇の臣民思想を引き摺る「水漬く」という語が選択されている。「弟切草」という花の名は、ある鷹匠の兄弟の伝説にちなんでいる。昔、ある鷹匠は、鷹が傷ついたときの治療薬として弟切草を使っていた。それは秘伝だったが、彼の弟が他の鷹匠に秘密をバラしたことに怒った鷹匠は、弟を斬り殺してしまったという伝説である。葉っぱの黒い斑点は、弟の血しぶきが飛んで残ったものだというのだ。花の可憐さから想像できない話だ。
この句をこの章の冒頭に置いた意図が伺える。作者の目は家族を含む共同体を、美しく尊く歌い上げる日本詩歌的抒情を引きはがそうとしているのだ。

   やなぎ蔭
   汝を
    叩きて
   泣きたる日

 この「汝」は家族を含む共同体全部を指すと言ってもいいだろう。最初から違和の景の記憶が掘り起こされている。「やなぎ蔭」はやなぎの鞭のイメージを呼び込んでいる。

   誰何せよ
   月白の
   兄とて
   木の葉木菟

「誰何せよ」とは、知っている「兄」とても、改めて「あなたは誰、何者」と問うてみよと言っているのだ。「月白の」「木の葉木菟」が効いている。「月白」は月の光を思わせる薄い青みを含んだ白色のことで、月が東の空に昇る際に空がだんだん明るく白んでいく様子を指す。月見客が十五夜を待ち焦がれる思いを表し、「月代 つきしろ」と書くと、「三秋」の季語となる。そんな夜の、きょとんと丸い目をして辺りを伺っている「木の葉木菟」に兄がなぞらえられている。兄弟愛までは失っていないが、その視線は乾いている。

   雷魚黙考

   代用教員たりし
   父

「雷魚」は細長い体とヘビに似た頭部から、英語ではスネークヘッドと総称され、釣りや観賞魚の愛好家はこちらで呼ぶ。日本には自然分布していなかったが、三種が移入されたという。体は前後に細長い円筒形をしている。口は大きく、下顎が上顎よりも前に突き出ており、鋭い歯が並ぶ。噛みつかれて出血することがある魚だ。その「雷魚」がなにやら「黙考」している不気味さだ。「代用教員」とは知らない人が多いと思うが、正規の教員ではなく間に合わせのために雇用された者という意味である。学制発布以来、小学校の教員は本来、師範学校で養成することとされていたが、師範学校卒業者数が十分ではなく、戦前の学校現場では有資格者を十分確保できず、無資格者で代用することが多かった。一九〇〇年(明治三十三年)の小学校令改正において、無資格教員による代用を規定し、以降「代用教員」は法令の根拠のある教員となった。戦前を通じて、全国の小学校教員の一、二割を占めていて、特に農村地域においては、師範学校卒業生が就職することが少なく、小規模の町村にとって小学校運営は財政的負担が大きかったことから、給料を抑えられる代用教員に依存していたという。ちなみに私の小学校二年生の時の担任である女の先生も代用教員だった。この「父」はその処遇に不満はなかったのかと、回想しているのだろうか。考えてみると随分差別的な法制ではある。 

   母にとて
   空は
    色なす
   矢車菊よ

 日本詩歌的抒情を引きはがす志に満ちていながら、何故か母についてはその手つきが緩む。その甘さを作者は隠そうとしていない。自分の弱点としてさらけ出しているのだ。それにしてもこの美しさはどうだ。

   祖父もまた
   大山椒魚

   出口なし

「山椒魚」「出口なし」とくれば、どうしても井伏鱒二の「山椒魚」を想起せざるを得ない。それは成長しすぎて自分の棲家である岩屋から出られなくなってしまった山椒魚の悲嘆をユーモラスに描いた作品だ。同じ穴に迷い込んできた蛙を山椒魚は外に出られなくしてしまう。その結末を晩年に作者が書き換えたことから、単なるいじめ物語になってしまったと批判されもした物語である。 そんな人間同士の赤裸々な精神の様を、自分の家系の祖に置く視座が冷ややかだ。

   蜂騒ぐ
   母に背ける
   石榴の
   樹下に

 昔は野山に飛ぶ蜂の群れに遭遇したものだ。蜂は女王蜂を頂点とする究極の共同体社会である。その共同体が騒めいている。その一行目で切れて、「母に背ける」児童の心理が「柘榴の」「樹下に」と表現されている。敗戦後の父は社会的規範の座から滑り落ち、母だけが内的規範であった時代の残影である。

   この春も
   ものの芽湧かず
   父は
    漂着

 たぶん、敗戦後、かの「戦争」がなんであったかをしっかり見つめることをしないで来た日本の季節は、あの時点で止まってしまったのだという思いを作者は抱いているのだ。私もその思いを共有する。嘘くさい戦後の高度成長神話に組み込まれた日本列島に、自分の居場所を無くした父はまるで「漂着」物のように彷徨っているように見えているのだろう。

   末黒野や
   集合写真に
   汝は
   入らず

 この日本という共同体に入れないでいる者がいる。その被差別的位置への視座がこの句にはある。「末黒野」は「すぐろの」と読み、春、枯れ草を焼いて一面に黒くなっている野原を指し、春の季語である。戦後の焼け野原のイメージも呼び込む言葉だ。そんな閉鎖的な世間は焼けてしまえばいい。はぐれ者もそこでは生きる場所があるかもしれない。

   裏木戸に
   母者よ
   銀河の尾は
   落ちぬ

 この母も美しい。「裏木戸」は家の裏にある木戸。 芝居小屋などの裏手の出入り口も指す。関係者以外、出入禁止である。その地上の景に夜空の銀河を配し、その「尾」から地平に沈んでゆく動的景を置く。孤独感はあるが母は天空に向かって開かれている。この臆面もない母幻想。
 日本詩歌的抒情を疑っても、母なる者についての幻想は手放さない、その一見、上田俳句の弱点、甘さとみえるこのような句を、敢えて句集に残すのには上田なりの矜持があるだろう。このような句のない章、句集を想起すれば、その魅力が半減することは明らかだ。自分の中にある、疑っても拒絶しようとしても、付き纏って離れない日本的母性から、自分も自由ではないことを誠実に表現しているのだ。そこに読者としては共感しつつ、我が身をも疑わざるを得ない地点に引き込まれてしまうのである。

   姉蒙し
   鉈の
   香を持つ
   腕の中

「姉」は「母」と違って「蒙し」と表現している。母とのこの違いはなんだろう。「蒙」は、おおう、かぶさる、こうむるを原義とし、くらい、物知らずで道理がわからない、つまり蒙昧だと言っているのだ。「鉈」という鈍重な金属の匂い。竈にくべる薪でも割っているようなイメージだ。昔は女子には教育は必要ないとされて差別がまかり通っていた。家事雑事に縛りつけられた境遇を痛ましく思っているのかもしれない。

   母孵る
   
   なづなの褥
   ささ撫づり

 この母も謎めいていて思慕の念がうかがえる。母は何から孵化して何に変身しようとしていたと回想されているのか。「なずなの褥」、田畑や荒れ地、道端など至るところに生える「なずな」俗称ペンペン草を「褥」とし、「ささ撫づり」は意味不明の言葉だが、「ささ」は「笹」か。「笹」が撫でているというのだろう。前の句では母は銀河に向かって開かれていた。ここでは大地の香りの中に立たされている。

   煮凝りは
   母系の証し
   雹降る
   朝に

「母系」への特別な思いがあるのかも知れない。「煮凝り」という凝縮感を持つ言葉からそれが窺える。例え屋外では「雹」が降っていても、ここには確かな母系の暮らしがある、と。

   弟を
   置いてきしまま
   雨の
   切岸

 姉も弟も諍いの記憶の中に立たされている。共同体幻想に甘えない、孤独な魂の芽生えのときが苦く回想されているのだろう。「切岸」という断絶感。この章のタイトルにもなっているから、この句がこの章のキーとなっていることは間違いない。

   あめつちや
   まだらに
   生きて
   さらばさらば

 共同体幻想と切れているということは、その風土の「あめつち」とも切れているということだ。「まだらに」「生きて」「さらばさらば」がそれを物語っている。こうしてこの章は終わる。共同体に象徴される日本的叙情を疑った上田玄は、次の章でそれをさらに深めてゆく。
 では、そもそも人間にとって風土と共同体とは何か、と問うのだ。
 その問いこそが、青春の蹉跌を乗り越えてきた世代が最終的に向き合わねばならない究極の問いであった。

◇ 葦の世

   梢(うれ)づてに
   山背の夏を
     去ぬ
      谺   

 梢(こずえ)を伝わって「山背」が吹き下ろしてくる。冷害、共作、飢えをもたらした季節風である。その災害はさまざまな対策で減少してきたが、「谺」の残響のようにこの国の風土に沁みついている。

   帰らなむ
   枯山河
   雲を縛して
   ならず者

「帰らなむ」といえば漢詩「帰去来の辞」を想起する。その冒頭の一節。

  歸去來兮(かえりなんいざ)
田園 将(まさ)に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ帰らざる
既に自ら心を以て形の役と爲(な)す
奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として獨(ひと)り悲しむ
已往(きおう)の諫(いさ)むまじきを悟り
来者(らいしゃ)の追ふ可(べ)きを知る
実に途(みち)に迷ふこと其(そ)れ未だ遠からず
今の是にして昨の非なるを覚りぬ
舟は遙遙として以て輕く上がり
風は飄飄として衣を吹く
征夫(せいふ)に問ふに前路を以ってし
晨光(しんこう)の熹微(きび)なるを恨む
(現代語訳)
  さあ故郷へ帰ろう。
故郷の田園は今や荒れ果てようとしている。
どうして帰らずにいられよう。
今までは生活のために心を押し殺してきたが、
もうくよくよしていられない。
今までが間違いだったのだ。
これから正しい道に戻ればいい。
まだ取り返しのつかないほど大きく道をはずれたわけではない。
やり直せる。
今の自分こそ正しく、
昨日までの自分は間違いだったのだ。
舟はゆらゆら揺れて軽く上下し、
風はひゅうひゅうと衣に吹き付ける。
船頭に故郷までの道のりを訪ねる。
朝の光はまだぼんやりして、よく先が見えないのが恨めしい。

この詩を背景に俳句を書く上田玄に帰る場所などない。そこで自分の脳裡に「枯山河」を虚構する。「雲を縛して」と不可能なことに挑み続けている「ならず者」としての自分をその「枯山河」の中に置く。この日本から故郷なる山河を喪失させたのは、やはり敗戦という過失であり、戦後高度経済成長という業であった。その中を生きた日本人すべての偽らざる心境でもあるだろう。

   葦の世に
   籾を
   運びて
   だいだら坊

 この章には「だいだら坊」が二度登場する。なんの喩だろうか。
「だいだら坊」、またはダイダラボッチともいうが、日本の各地で伝承される巨人である。山や湖沼を作ったという伝承が多く、元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられている。
 上田玄は日本的風土を語るに古伝承、つまり日本人の集合的無意識レベルの自然認識にまで遡ろうとしているのだ。だが「葦の世に」「籾を」「運びて」というその前の三行の韻律が、永田耕衣の「夢の世に葱を作りて寂しさよ」を連想させて、大地の中で生きることに纏わる本質的な「寂しさ」を負わせることを忘れはしないのだ。

   山彦や
   根に添う
   蝉の
   歳月を

 一生の大半を地中で過ごす蝉の「歳月」に目を凝らしている。この地上の敗戦後的繁栄に馴染めない戦後世代が共有する視座だろう。

   史書灰燼
   のるかそるかと
   葦は
   角ぐむ

 ついに人間の歴史もろとも「灰燼」に帰そうとしている。敗戦後の荒れ地に「角ぐむ」「葦」は、新生の希望でもあったが、現実に建設されたのは、激甚災害にもろくも崩壊するまやかしの文明である。

   濃紫
   樅に転ずる

   墓守は

「濃紫」は濃い紫色。暗い紫色。衣服令で一位の相当色。のち、三位以上の者の色となった。和のイメージの強い色である。植物のコムラサキは小紫と書くので、この句の「濃紫」ではないだろう。蝶のコムラサキは日本全国に分布する。雄の翅の表面は美しい紫色に輝くので、この和名がつけられた。飛翔は軽快敏速で、特に午後から夕方にかけ、陽光のあたる樹上で活発に活動する。雄雌とも樹液や熟した果実に誘引され、花にはあまり訪れることがない。雄は湿った地面や動物の死骸に集まる習性をもつ。二行目が「樅に転ずる」なので「濃紫」をどの意味にとっても響き合わない。「樅」は巨木となって信仰の対象にもなる。因みにクリスマスツリーの「モミ」は「ウラジロモミ」で日本産の「樅」とは別種である。一行空いて「墓守は」で完結する句だが、以上、見てきたように前の二行と響き合うところがない。とすれば、それが作者の意図であると読むしかない。「墓守」の無為さが逆に際立つ。

   雨を乞ふ
   篆書や
   暮色
   募るなり

「篆書」は中国で秦以前に使われた書体で大篆と小篆とがあり、隷書・楷書のもとになった。印章・碑銘などに使われる。ここでは碑銘の「篆書」だろう。一行目が「雨を乞ふ」だから野外に建てられている碑文に違いない。その碑の建つ場所が「暮色」「募る」ばかりだ、とだけ言っている句だ。となると日本列島が大陸の端の海中にぽつんと建っている沈みかけた墓碑に見えてくる。
 
   抹香は
   神楽の如く
   快楽(けらく)の
   余炎

「抹香」は本来、伽羅、沈香、白檀などの天然香木の香りをさす。そこから線香、焼香、抹香、塗香等の香り、またこれらの総称として用いられる。香道の方ではなく仏事のイメージ強い。それが「神楽」の「如く」であるという。「神楽(かぐら)」は、日本の神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞。その双方が「快楽の」「余炎」だといえば、神仏習合的日本文化の本質が「快楽」であるかのように感じる。

   暗夜惻隠
   酒を
   母郷の
   枷として

「惻隠」はかわいそうに思うこと。同情すること。武士道の神髄という考えもある。「酒」が「母郷」の「枷」である日本の風土を憐れんでいる句だということになるだろうか。

   山産みの
   だいだら坊も
   老いて
   箕作り

 日本国土を造成した巨人伝説の「だいだら坊」の疲弊は、現代日本の疾病の証である。「箕作り」という手仕事文化からやり直そうか、と。

   角ぐむも
   緑に遠き
   葦の
   ひとつ世

 古謡的言い回しの「豊葦原の国」である国土の句だ。「角ぐむ」もその芽生えであり、まだ緑豊かな国土創生には遠い、そんな「ひとつ世」が詠まれている。

   抱けば
    斧
   静かに祈り
   翌檜を

 何かを掻き抱く仕草をしてしまうのは、胸に何かが燻り続けているからだ。その燠火の中に凶器の「斧」感触がある。かすかに炎立つ気配がするが、もうそれを振りかざして何かに抗う齢ではない。ただ「静かに祈り」、ただ自分とこの国の明日を思う日々だ。明日は檜になろうとして果たせなかった「翌檜」物語に、続編は書かれるだろうか。

   藍を着古し
   棚田の
   父祖の
   蔭となる

さて、この句については、清水愛一の評言を思い出そう。もう一度引用する。
    ※  
 この列島の先人たちはつつましい営みを連綿と継承してきたのであろうが、それぞれのいのちはいつしか父祖の面影に溶け込み、田毎の月影と同化してゆく。零細な稲作民の営みの、その原型が眺望できる一句であろうが、単なる郷愁や回顧ではないだろう。(略)在るということ、在らぬということの何事かが浮かび上がり、田毎の月と同化した面影が浮かぶ風景の中には、万物斉同や一視同仁につらなる死生観が漂ってもいる。死生をたたえたつらなりへの思いが滲む。(略)父祖の面影と同化し、月影と同化した人々も、蓄積された「声」に収斂していったのだと言えるのかも知れず、ことばが「声」の堆積であるとは、そのあたりのことも言う。つらなりが文脈を為す。
    ※
 この句とこの章の主題を捉えて深みのある言葉で評した言葉である。
 この章の主題とは、日本詩歌の伝統的叙情性の「風土観」を疑い、人間にとってそもそも風土と共同体とは何かを問う章だった。
 この地点こそが上田玄俳句が到達した現在地である。
 この章の主題の表現は未完、つまり現在進行中である。
 上田玄はその問いをもっと深めた俳句を創造し続けるだろう。
 そのためには、もう充分成果を揚げた、上田の歴史的固有性に基づく表現を棄て、そこを超えて、このより混沌としてきた現代の深部と切り結ぶ表現に挑まなければならなくなるだろう。
 今後の上田玄のそういう意味で新展開から目が離せない。


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