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乾 佐伎句集『シーラカンスの砂時計』をめぐって

 乾 佐伎句集『シーラカンスの砂時計』をめぐって  

砂子書房 2023年12月刊

  乾佐伎の第二句集である。

 父は有名な夏石番矢。母も夏石と共に「国際俳句」を刊行し続けている。

 句集の「あとがき」から、まず、句集名に使われている「シーラカンス」にまつわる部分を以下に抜粋して紹介する。


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 シーラカンスとは二〇一九年八月に沼津港深海水族館で出会いました。展示されていたレプリカではない本物のシーラカンスの冷凍個体の迫力に圧倒されました。帰りの電車の中で夢中になってシーラカンスの句を作り始めたことを覚えています。それから四年、シーラカンスの存在はいつも私を励まし、支えてくれました。永遠に近い時間を深海で泳ぐシーラカンスの存在は、私の心に一筋の光をさしてくれました。私は、これからもシーラカンスと泳ぎ続けます。

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 そして俳句に近況と俳句に取り組む姿勢について述べた部分を抜粋して紹介する。

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 私は、俳句か大好きです。これまで俳句を続けられたのは、たくさんの方々の理解や支え、励ましのおかげです。夫や両親、よき友人たちに深く感謝しています。
 父の夏石番矢が主導して、母の鎌倉佐弓か補佐する「吟遊」誌や年刊出版『世界俳句』では、国内外問わず素敵な俳句かあることに驚き、心を打たれています。私も素敵な句を詠めるようになりたいです。

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 後で紹介するが、父、夏石番矢は、俳句の季語をも包摂する「キーワード」という概念で、「歳時記」に変わる現代的な俳句表現の指標を樹立した俳人であり、評論家である。

 その「キーワード」俳句という作句理念を頭に置くと、乾佐伎の俳句の理解の助けになると思われる。

 句集中、わたしが特に強く印象に残った俳句を以下に摘録、紹介する。

 

薔薇苑の奥に開けてはならぬ箱

シーラカンス百年経てば虹かかる

消えてなおサイダーの泡空めざす

ジグソーパズルのひとつの雨音が埋める

どうしても越えねばならぬ白い雲

一輪のネモフィラが空より遠い

金魚ちょうちん風の中から出られない

シーラカンス楽園をまだ隠してる

飴ひとつ貰う未来のわたしから

夏の蝶風とはぐれてからも飛ぶ

 

 作者の内面的な表現ように感じられる、わたし好みの、やや重めの主題が表現されていると思われる句を引いた。

  生きてあることに纏わることで、さまざまな不可能性の壁に突き当たっている時の、自問の心情表現のように感じられた。その表現が若く、瑞々しい。

 

 作者の俳句鑑賞とは話が逸れてしまうが、その背景にある表現論と関わりがあると思うので、以下、夏石番矢の「キーワード」俳句の考え方について、以下に紹介する。 

 夏石番矢は、《「俳句」百年の問い》夏石番矢篇 (講談社学術文庫 一九九五年)という編著を上梓している。

 その裏表紙に記された紹介文が次だ。

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俳句は、正岡子規以来、百年間にわたって、ときに静謐、ときに華麗、かつダイナミックに花開いてきた。日本語の輝くエッセンスとして、国の内外を問わず、老若男女をとらえつづけてきた俳句の魅力とは何か。俳人はもとより、小説家が、科学者が、そして、イギリスーフランス人が、多面体としての俳句の謎に鋭いメスをふるった成果が、この一冊に集結! 注目の三十二人が肉迫した画期的な俳論集。

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 夏石番矢はその最終章に「キーワードから展開する俳句」と題する論考を寄せている。

 その前置きの文が次である。

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日本の自然のみならず、現代俳句は、地球、宇宙、異界、幻想をも詠み込む。二十世紀末に変貌をとげゆく俳句は、季語に限らず、さまざまなキーワードを軸に書かれる短詩。世界の多様性を映す鏡。

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 そして、その主旨の部分が次である。

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 二十世紀末の日本人が認知している時間分節は、秒や秒以下の瞬間から、分、時間、日、週、月、季節、年、世紀、そして無限大の時間、永遠……俳句の世界では、有季・無季の議論が欧対訳のように沸き起こり、その都度深刻な対立を生んできたが、長いスパンで俳句表現史三百五十年を見渡せば。無季の句が蓄積した成果をもはや無視するわけにはいかなくなっている。
 季語以外の名詞を分類項目に立てた新しいタイプのアンソロジーを編めないだろうか。

 私が約二年の歳月をかけて『現代俳句キーワード辞典』(立風書房、一九九〇)を書き下ろしたのは、以上のような理由からであった。この本の冒頭に据えた一文[はじめにー季語からキーワードへ]には、次のようなキーワードについての説明がある。

 短詩型に託されるのが、日記風の季節感だけだとしたら、たいへんおそまつな話だ。季節感を突きぬけた世界観や宇宙観、あるいは人間観が問われない詩などは、滅亡すればよい。日本語によって最も端的にコスモロジーや人間観が表現できるのが俳句であれば、有季・無季の次元を超越した分類基準が当然必要になってくる。そこで、この本ではキーワードという詩的中核語を項目の柱として立ててみた。

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 そのキーワードの例を引用する。

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あい【愛】あかんぼう【赤ん坊】あけぼの【曙】あさ【朝】あし【足】あす【明日】いえ[家]イエス《‘as》いし【石】いしよ【遺書】いす【椅子】いちご【一語】いなぴかり【稲光〔り〕】いぬ【犬】いのち【命】いもうと【妹】いろ【色】うお【魚】うつ【僻・欝】うま【馬】うみ【海】え【絵・画】えいが【映画一えき【駅】お【尾】おう【王】おき【沖一おくじょう【屋上一おに【鬼】おんがく【音楽一おんな【女】……

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 そしてその意義を述べたくだりを以下に摘録する。

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 俳句は有季の作品であっても、季語以外のことばの参入なしには成立しないのは当然であるから、一句のキーワードとして、実にさまざまな名詞を拾い上げることができた。人間精神に関する名詞。時間に関する名詞。人体に関する名詞。人工物に関する名詞。固有名詞。物質に関する名詞。文化に関する名詞。自然現象に関する名詞。動物に関する名詞。人間関係に関する名詞。地理に関する名詞。非在の存在に関する名詞などなど。いなぴかり【稲光〔り〕】、さくら【桜一といったいわゆる季語も、キーワードとしていくつか浮上している。

 『現代俳句キーワード辞典』は、自足し閉鎖体系を形成する新年、そして四季という時問分節のもとにのみ俳句を縦割りに固着させた歳時記に対するアンチテーゼとして、さまざまな領域に属し、さまざまな特徴を持つキーワードの一つ一つを一面とする不規則な多面体へと、俳句を進展させ開放させようとして生み出された書物であった。

 季語が日本列島本州中央部の四季による分類という一定の認証を受けたとするのならば、キーワードは外来語そして外国語表記そのままの語も含めて、日本語文もしくは日本語句としての俳句に登場したという以外に一定の共通性を持たない。あさ【朝】、いし【石】、かみ【神】、くも【雲一、て【手】など、古代アジア語に根を持つらしい、そしてこれからも長く使われるであろう単語から、みつびしぎんこうあそび【三菱銀行あそび】を極とする一過性のすぐに消え去りそうな単語まで、現代俳句のキーワードは、二十世紀末日本文化の不規則多面体的特質の象徴として、比較文学を学び俳句実作者でもある私を仲介として飛び出してきたかのようである。

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 乾佐伎は、このような「歳時記に対するアンチテーゼとして、さまざまな領域に属し、さまざまな特徴を持つキーワードの一つ一つを一面とする不規則な多面体へと、俳句を進展させ開放させよう」とする俳句表現論の考え方による、作句を実践しているようだ。

 その方法論が俳句界の主流となる展望は、今のところ拓けていない。
 しかし作者は若い。
 たとえ少数派であろうと、自分が選択したこの方法において、生命哲学的な深い視座と、豊かな文学性を持つ俳句の創造に邁進していただきたい。


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