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心の「臨界」点に屹立する一行詩 ――大河原真青句集『無音の火』をめぐって

心の「臨界」点に屹立する一行詩
      ――大河原真青句集『無音の火』をめぐって

                       現代俳句協会 令和三年七月刊

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〇 「まなざしの先」(髙野ムツオの「序に代えて」)からの抜粋
(略)
 大河原真青の小熊座入会は平成二十八年だが、その前年にすでに福島県文学賞準賞を受賞している。十五年ほど前から須賀川の「桔槹吟社」で俳句研鑽を積んでいる実力十分の俳人であった。桔槹は大正十一年創刊で、原石鼎ゆかりの東北を代表する俳誌である。来年、創刊百周年を迎える。代表の森川光郎は反骨かつ先取の気鋭に満ちた端倪すべからざる老俳人で、今年三月開板の句集『町空』でも意気軒昂に融通無碍の境地を展開していた。(略)
著者がラグビー選手だったことを裏付ける句に
湯気立てて泥のスクラム崩れけり
というのがある。「泥だらけのスクラム」ではなく、「泥のスクラム」。ここで、まず崩れたのは文字通り泥の塊で選手ではない。これは実際にスクラムを組んでこそ得ることができる体感だろう。何度も泥の中でぶつかり合ううちに、それぞれの肉体も吐く息も汗もへだてがなくなって、敵も味方も丸ごと巨大な泥の塊になったのである。そして、その混沌のうちに崩れ落ちる。崩れた後に、初めて泥は、それぞれの個々の人間へと立ち返るのである。
このたび句稿を読んで気づいたことの一つに、このスクラム同様、変化流動そのもののうちに事象の姿を捉えようとするところに真青俳句の独自性が存在することだ。
荒星や日ごと崩るる火口壁
根の国の底を奔れる雪解水
七種や膨らみやまぬ銀河系
 これら自然の諸相をとらえるまなざしがそうである。休むことのない火山の悠久の営みに呼応する寒星のまたたき。永劫の時が止まったままの死者の国、その深みに溢れ出す雪解水。七種は薺や繁縷など新春の種々を入れて炊く粥だが、ここでは『荊楚歳時記』以前のもともとの意味、穀物の種を想像させる。米も麦も大豆ももともとは植物の種だ。その始源の微小の静と不可視の銀河系の動とがわずか十七音の中に対比されている。そのスケールの大きさに驚く。
(略)
本集を貫く主旋律は産土福島への愛にある。旅もまた、その再認識のための一手段であったといってもいい。その産土は十年前、東日本大震災の津波と福島第一原発事故によって取り返しのつかない穢土と化してしまった。その悲しみと憤りが十七音に結晶化している。たとえば、避難を余儀なくされた町のさまを詠った次のような句。
  国道を鉄扉が鎖す花の雨
  真葛原けむりのやうに町は消え
  わが町は人住めぬ町椋鳥うねる
 私も福島浜通りを何度か訪れたが、「町」とは商店や住宅と呼ばれる建物の呼称ではないという、自明のことを現場で立つことで改めて実感できた。人間が住んでこそ初めて町なのだ。人間がいなければ、いかに現代的、先進的な建造物であっても古代の廃墟と何ら異なることはない。これらの句は、そうした町でなくなった町への鎮魂の祈りとそれを強いた人間への怒りに満ち満ちている。
  水草生ふ被曝史のまだ一頁
 他にも痛哭の思いが込められた作品が多いが、就中、この句の重さを今反芻しながら噛みしめている。そうなのだ。これからの人類史はそのまま被曝史と重なるのだ。それでもなお氷の下に芽を出す水草の生命力に一縷の望みを託するところに、作者の思いの深さがある。読者はただ、この予言の前に黙って目を閉じるしかない。(略)

〇 髙野ムツオ掲出句

  被曝の星龍の玉より深き青
  手のひらの川蜷恋のうすみどり
  窓を打つ火蛾となりては戻り来る
  夏果ての海士のこぼせる雫なり
  沫雪や野性にもどる棄牛の眼
  野鯉走る青水無月の底を愽ち
  骨片の砂となりゆく晩夏かな
  白鳥来タイガの色を眸に湛へ
  凍餅や第三の火の無音なる
  被曝して花の奈落を漂流す

〇 「あとがき」(大河原真青)からの抜粋

 東日本大震災から十年が経った。福島第一原発の水素爆発から三日後、我が家の屋上は四十七マイクロシーベルトの高い放射線量を示していた。急遽、千葉県に避難したがどうしても福島のことが気になり、四十日で避難生活を切り上げて自宅へ戻った。そして、立ち入りが許された被災地から順次、各地を訪れた。いわき市をはじめ県内は勿論、南は千葉県の旭市から北は八戸港まで。だが、津波にはらわたを抜かれた家並の風景はどこへ行っても同じであった。
 その年の秋、私はいわき市久之浜の小さな入江にいた。そこは何度も吟行をした思い出の地である。綺麗な潮溜まりの並ぶ潮騒の心地よい場所であった。
 しかし、眼前にあるのは、ランドセルや女児のパジャマなど大量に打ち上げられた生活の残骸。あの潮溜まりもすべて土砂に埋まっていた。余りの悲惨さに言葉を失い、震災の句はしばらく作れないだろうな、と心の隅でぼんやりと思っていた。
 しばらくして、俳句雑誌に「フクシマ忌」の文字が散見されるようになり、言いようのない違和感を覚えた。その時、福島の震災句は福島の俳人が詠まなければならない、と強く思った。それが福島の俳人の責務だと思った。(略)

〇 句集『無音の火』を読むー心の「臨界」点に屹立する一行詩

 被災体験者は、被災直後から震災と俳句表現の間で、それぞれに苦悩したようだ。
 すぐ震災のことを詠めた人。俳句があったから被災後の困難な時間を耐えられたという人もいる。それは自己再確立と統合の志だろう。
また社会的な視座から、記録として日記のように詠み続けると志した人もいた。
 そして深刻なのは、しばらく詠めなかった人もたくさんいたことだ。
 そのタイプの人でも、必ず俳句を詠み始めている。
 震災体験は詠まず、まるで心のリハビリのように身辺諸事の雑詠から始めて、心を整えたという人も多い。
 大河原真青も「震災の句はしばらく作れないだろうな」という思いを抱いた人の一人であったようだ。
 そんな彼が震災体験を読む契機となったのが、「フクシマ忌」という季語化的表現への違和感だった、というのは、この句集『無音の火』を鑑賞する上で、とても大切なことだと思われる。
 季語化こそされていないが、水俣出身の私も故郷が「ミナマタ」と表記されることに、同じように違和感を抱く。「ミナマタ」の場合は公害が一地方の問題ではなく、世界的な問題として共有されるべきだという視点から、世界語的ニュアンスを込めた「ミナマタ」という表記であるとして、それを肯定的に評している評論家がいた。
 この人が根本的に勘違いしているのは、「水俣病」を世界的に共通した公害として認識している点である。「水俣病」ということばも事実とずれている。あの死に至る被害は、日本の高度経済成長を背景とした、社会風潮とその流れの中で、一企業が犯した殺人事件また殺人未遂事件であり、断じて「おおやけのやまい」ではない。
 他の公害などとは次元の違う、人間を含む自然と命の破壊という「母殺し」的犯罪行為であった。文明禍という犯罪行為であったのだ。
そのことが周知されない限り、石牟礼道子の生涯をかけたことばの闘いは報われない。
 そんなことも認識せず、「ミナマタ」と表記して、何を象徴的に表現し得ているというのか。
「フクシマ忌」も同じことだ。
 その語をもって、いったい何を象徴表現し得ているのというのか。
 地震被害、津波被害、原発禍、その他諸々の全喪失的な被害体験を含んでいる東日本大震災を、一括して「フクシマ忌」と呼んでしまう無神経さと、言葉を大切に繊細に扱う俳句は両立しない。
 まず、言葉に敏感な俳人なら、そのことに対して異を唱えるのは当然のことだろう。
 俳句は例えば、原発禍を表現するに、次のようなことばたちをそこに与えるのだ。

  凍餅や第三の火の無音なる

 句集名の「無音の火」は、この句からとられているのだろう。
「第三の火」とは原子力のことである。
燃料の空気中での燃焼による第一の火、電熱線の発熱などによる第二の火に対して、核分裂による発熱を第三の火という。
核分裂自身は無音であり、原発の音は核分裂エネルギーを熱エネルギーに転換して、タービンなどを回して行う発電設備のたてる音なのである。
 その無音の核分裂の気配が、季語の「凍餅」と取り合わされている。
「凍餅」の亀裂が、原発事故を象徴していて不気味だ。
 資源に乏しい日本の経済にとって、それは「明るい未来」を約束するエネルギーの「打出の小槌」的技術とされた。そして日本各地に戦後政策の一つとして推進されたのが原発建設だった。
 その「明るい未来」神話が崩壊し、その無音にして身に迫りくる得体の知れない怖さを持つ放射能汚染によって、大河原真青は一時、愛する産土から避難するという体験をしたのである。
 俳句はアジテーション語の対局あり、人心を鼓舞したりはしない。
 俳句は名指しでだれかと闘うことばとは馴染まない。
 表現として何かに依存して成立することを厭い、ことばとして自立し、短詩型文学として、読者の心と共振することだけを夢見ることばだ。
 だが、それを為すことは簡単なことではない。
「フクシマ忌」ということばに対する違和感を起点として、大河原真青は掲句を為した。
 この俳句のことばは「フクシマ忌」を厭う心から自立している。
 反原発などというスローガン言語と対局に立つ表現である。
 ここから、大河原真青の「震災後詩想」の樹立への格闘が始まっているのだ。
 震災後、震災前と変わらぬ表現を繰り返している多くの人への、覚醒への誘いの一句であるといっても過言ではないのではないか。

 以下、特に強く印象に残った句についての感想を述べさせていただくことにしたい。

Ⅰ 波の音  二〇一四年以前

  石筍をみごもれる山春浅し
  みちのくの空はまんまる土雛

 この句集はこの二句から始まっている。地学的な生成による地の洞に静かに育み続けるものの気配。東北地方を空から俯瞰して真直ぐ地に降りてくる視座。
 大河原真青が震災後、獲得した対照的な二つの視座である。
 ここにすでに本句集の「震災後詩想」が明示されているかのようだ。
人間界の人事的視座を包摂する地球と宇宙的俯瞰の中に、自分が生きて在ることの意味を問い直そうとしているのかもしれない。

  褶曲の疼きをかくし山笑ふ

 この「褶曲」も地学の言葉でプレート移動という地殻変動の大きな力で地層が湾曲することである。東日本大震災の地震もこの地球の胎動と無関係のことではない。

  万緑の動脈となる疎水かな

 疏水とは大量の水を水田へ送るために川から引いた水路、またはその水流のことをいう。日本列島はアジアモンスーン地帯に位置し、豊かな雨量には恵まれているが、国土の約七割が急峻な山岳で平地が少ない。二千数百年前に稲作が伝播し、その耕作地を広げるには山から海へと駆け下る川から水を引く、田という平地の開墾が必要で、それを潤す水路が必要だった。そうして水田に水を引く水路は次第に長くなり、網の目のように張り巡らされていった。そんな国土づくりが始まり、近年まで稲作が社会の基本ともいえる時代が続いたのである。そして城下町へ、都市へと。日本の都市のほとんどが水田社会、つまり稲作のための疏水によって発展してきた歴史を持つのである。掲句は「疎水」という一語で、俳句の中に日本の地学的歴史を呼びこんで表現しているのだ。これも大河原真青のオリジナルの詩法といえるだろう。その血である「疎水」によって、日本列島は今「万緑」という季語の中に蘇生する。

  ケチャの手の空撫でまはす熱帯夜

 「ケチャ」は上半身裸の男性たちがチャッ、チャッ、チャッ、チャッという合唱とともに大勢で円陣を組んで踊るバリ島独自の民族舞踊。その声のビートには人を古代的陶酔へと導く魅力がある。両手を高く上げ掌を開いて揺らすしぐさを、掲句では「空撫でまはす」と表現している。この自然との直接的な交歓という視座も本句集のもう一つの特徴だ。

  地球の出眺むる月の兎かな
  星星のやどりて露の転轍機
  この星に叙事詩があまた葛あらし
  海を宿すチェロの胎内暮の秋
  荒星や日ごと崩るる火口壁
  水底の村の揺らめく寒の月
  島唄やマンタのためにある夕焼
  敗戦日地下壕に目のまだあまた

 このように詠まれると日本列島の剥き出しの自然と相対させられて、常識とは別の視座が読者の中に生れるはずだ。
 個人的な感想だが、今「石牟礼道子俳句論」の執筆のために彼女の膨大な著作を読み返しているところだが、その中にダム建設で水底に沈められた村の物語『天湖』という小説がある。治水と農業用水確保というのは二次的な目的で、もっぱら近代日本の電力需要のために建設されたダムの一つひとつに、産土を追われ村ごと水没させられた歴史がある。「水底の村」の句は、地学的視座と同時に歴史的地層への視座がなければ詠めない句だろう。「島唄や」の句は沖縄に取材した句であろう。ここでも大河原真青の句はその地学的、俯瞰的視座によって独自の表現を為し得ている。

Ⅱ 鰓の痕 二〇一五年

       穢土であるここがうぶすな新樹立つ
       燦燦と鮭ながれ落つ穢土なれど
      (Ⅲ 日の雫の章より)

 本句集中、はっとするくらい「直接的な心情吐露」に感じる句にように感じるが、この思念に到達するのに、四年の歳月が必要だったという切実な思いが逆に伝わる。
 石牟礼道子の『苦海浄土』は「苦界こそ浄土」という反語的な思想が込められているが、掲句にもその「反語」的な意思が込められているのを感じる。
 放射能汚染で人が住めなくなった地としての「穢土」の喩の句だと解してもいいだろう。では、そもそも「穢土」という概念をどのようにして日本人は獲得したのか。
 それは「厭離穢土 欣求浄土(えんりえど ごんぐじょうど)」という浄土教の言葉に始まるという。「世の中は穢れた世界であるからこの世界を厭い離れ、次生において清浄な仏の国土に生まれることを願い求めること」という意味である。『無量寿経義疏』下と『観経義疏』の中で『無量寿経』と『観経』の経文に基づく厭欣思想だという。
 この思想が流布されるようになったのは源信の『往生要集』の影響で、源信は『往生要集』大文第一を厭離穢土、第二を欣求浄土とし、この思想を浄土信仰の基本とした。穢土の内容を地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道と規定し、浄土には十種の楽のあることを明かし、浄土での十楽を願い、穢土を厭い離れることをすすめている。大樹寺一三世登誉天室が関ヶ原の合戦に際し、窮地に立った徳川家康に「厭離穢土欣求浄土」の教えを諭したとする逸話は有名で、家康は以後、戦国の世を穢土とし、平和な世を浄土として「厭離穢土欣求浄土」を旗印と定めたという。この言葉にはそのような歴史があるのだ。
掲句は「穢土」を我が「うぶすな」として、汚染された地であっても引き受けようとする意思を表明している。

  砂紋またかたちを変へる慰霊の日

 「慰霊」とは亡くなった人のためのものではなく、何ものによっても埋めることのできない深い深い「喪失」感を抱え込んで、その後を生きる、遺された人の心の姿勢、形のことである。その形は不定形で時間とともに揺れに揺れ続け、鎮静化することは決してないのだ。そのような人たちは「慰霊」が固定された「日」や「慰霊塔」などの形にされることに抵抗感を抱く。被災地でそう語った人の言葉を聞いた記憶がある。当事者にはそのような「形式的な営み」が、「さっさと忘れて前を向け、一歩を踏み出せ」と無責任に励ましているようにしか聞こえないのだ。
 掲句は下五に季語的に「慰霊の日」と置いて、上五、中七でその言葉に揺さぶりをかける表現をしている。当事者でなければできない批評性の立ち上がる表現に感じる。
 
  棄民といふことば夏野に立つかぎり

 この句の意味も多重に揺らぐ。夏野に陽炎のように揺らめき立っているのが「棄民」という言葉自身であるようにも読める。まつりごとの失策によってたくさんの民を見棄ててきた近代史の暗部がある。為政者はそのことを認めようとしない。だから「棄民」という言葉がゆらゆらと定まらぬ陽炎にように見えるのだ。一方、ここも反語的に敢えて、棄てられた側の民の視座に立ち、この何も無くなった炎天の夏の原に「棄民」であることを逆に引き受けて生きようする意志のありかを、掲句はそっと忍ばせているのではないだろうか。

  太陽系の隅に暮して胡瓜揉
  彗星にふるさとのあり芋の露
  つぎつぎと星を噴き上ぐ秋の山
  被曝の星龍の玉より深き青

  
 本章にも人間中心主義の視座を相対化する宇宙からの視座の句がある。

Ⅲ 日の雫 二〇一六年 

 これまで取り上げてきた視座以外の繊細な秀句も多いのだが、それは髙野ムツオの総論的評に任せるとして、私は以下も、同じ視点で強く印象に残った句についてのみ感想を書かせていただくことにする。

  噴煙は地球の吐息冬たんぽぽ
  根の国の底を奔れる雪解水
  うぶすなを繕へる日日蜘蛛の囲に
  黙禱のまなうら星の流れけり
  稲妻や闇のどこかに象の檻
  枳殻の実のひとつづつ日の雫
  冬銀河竜骨のなきノアの舟

 マクロにしてミクロ。此岸と彼岸を往還する視座も加わり、多様な表現で句集を充実させている。「ノアの方舟」で生き延びた人類だが、それを次の「洪水」から救い出す舟の「竜骨」はもう失われていて、迷走し始めていることが表現されている。

Ⅳ 月の暈  二〇一七年

       七種や膨らみやまぬ銀河系
       極冠の白の痩せゆく猫の恋
       春水満たす五臓六腑に原子炉に
       春泥に惑星の列うつくしや
       海市より届きし一つ旅鞄
       父祖の地は荒野に戻し土蛙
       踊の手亡者二万を先立てて
       還り来ぬ子らへ鯨は子守唄

 この章辺りから大河原真青の震災後詩想はより多様性を帯び始めている。句に向かう姿勢に安定感が出てきたように感じる。それと比例して「鎮魂」の句に輝きが生じているように感じるのは、私だけだろうか。
 一句一句の感想文は無用の句ばかりだろう。秀句は安易な感想文を寄せ付けない。

Ⅴ 架空の町 二〇一八年

  冬萌や自在に走るマグマの根
  岩盤の擦れあふ音す春の闇
  蘖やフクシマ忌とは云はすまい
  水草生ふ被曝史のまだ一頁

  
 「水草」の句については総論的評で髙野ムツオが適切な評をしているので、蛇足になってしまうが、私たちは「被曝史」の前に「被爆史」を持つ国民なのだ。「被爆」と「被曝」の重なりあってしまった現代史の先に、どんな「被〇史」が待ち受けているのだろう。
 日本全滅、そして人類全滅の未来が視界に入ってきたのが怖い。
 次の句などに、その終末的な預言性を感じるのは私だけだろうか。

  架空の町架空の橋を金魚売
  骨片の砂となりゆく晩夏かな
  蜉蝣生る活断層の真上より
  鬼の子を飼ふわたくしといふ器
  飯館をいたはる夜の鰯雲
  酸性雨ゆたかに抱へ湖さやか
  雪の牛舎聞こえぬはずの咀嚼音

  
Ⅵ 花の奈落  二〇一九年

  カノプスの壺らしきもの襤褸市に

「カノプス壺」とはヒト形の臓器収蔵器のことである。永遠の命を願うミイラ造りの際、人体から取り出した臓器を種類別に保管するのが目的の壺なのである。それがこともあろうに、「襤褸市」という日常の中で売買されている違和感というか、ちょっとした驚きを表現した句である。壺の名が何故「カノプス」なのか、については次のようにいわれている。神話によると、カノプスはメネラオス王の水先案内人だったが、トロイアからの帰還途中に事故に遭って死亡し、ギルダの海岸に葬られたため、町にカノプスの名が付いたという。(現在のアブキール)そして、その町ではオシリス神の像が壺の形で崇拝されていて、ミイラ用のヒト形臓器収蔵器の形が似ているところからこの名がついたという。壺の外装にはオシリス神像やその子供たちなどが彫られており、古美術品的な扱いで売買されているのだ。
 その形が何故か原子炉に似ているのは単なる偶然だが、掲句は、なんでも商売にしてしまう節操無き商人魂の、日本人的な一面を切り取った表現であるとも言えるのではないか。原発も戦後日本がエネルギー商売としてアメリカに売りつけられて導入したものだ。

  えんずのわり仮設長屋の灯の下に

「月浜のえんずのわり」は宮城県東松島市宮戸の月浜地区に伝承される小正月の鳥追いの行事で、子どもたちが岩屋でお籠もりをしてから、集団で家々を回り、害鳥を追い払う唱え言をいって、一年の豊作や無病息災を祈願する行事である。呼称の「えんずのわり」とは、当地の方言で「意地の悪い」ことを意味するとされ、農作物を荒らす意地の悪い鳥を追い払うのがこの行事であるという。一月十一日になると、子どもたちは寝泊まりに必要な炊事道具や米、野菜、味噌などの食事の材料を持って、氏神である五十鈴神社の参道脇に造られた岩屋に集まってくる。岩屋は大岩を刳り抜いて軒や雨戸、縁を取り付けたもので、内部は一〇畳ほどの広さをもち、神棚、竈、囲炉裏が設けられている。子どもたちは十六日までの六日間、この岩屋にお籠もりをして寝食を共にし、学校へもここから通う。
 子どもたちは家に着くと家族に向かって二列に並び、神木で地面を突き鳴らして調子を取りながら声を揃えて唱え言をいう。唱え言は、「えーい、えーい、えー。えんずのわり鳥追わば、頭(かずら)割って塩つけで、たーどー紙さ畳み入れで、えんずの島さ流さんし」という文言で、意地の悪い鳥を捕まえて遠い島へ流す、という内容である。次いで、その家の家族構成や職業などに応じて、年寄りの長寿や子どもの無事成長、家業の繁栄などの祝いの言葉を述べ、最後に「陸は万作、海は大漁、銭金孕め」と締めくくる。
             ※ 以上、ウィキペディアの記事の要約。
掲句はその行事が震災後、「仮設長屋の灯の下」で行われていることを淡々と詠う。複雑な心情を飲み込んで自立する一行詩である。

  寒晴の貝殻道も瞽女の道

「瞽女(ごぜ)」とは女性の盲人芸能者を意味する歴史的名称。その名は「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する。近世まではほぼ全国的に活躍し、二十世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線、ときには胡弓を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人である。時にやむなく売春をおこなうこともあったという。
掲句はその瞽女たちの苦難の旅路に貝殻を敷き詰めて、足元に労りの視線を投げている。その眼差しは、原発事故後、避難行を余儀なくされた大河原真青の体験から獲得されたものであることに異論はないだろう。

  凍餅や第三の火の無音なる

 この句については冒頭で触れたので繰り返さないが、本句集で大河原真青が辿り着いた純度の高い象徴的表現の境地を象徴する句となるだろう。
 この句辺りを境に彼の表現に純粋象徴詩ともいうべき、緊張感と純度の高い抒情性が確立されてゆくのを、読者は見届けることになる。
 たとえばこの章の次の句。

  青饅や未だ毀れぬ土星の輪

 青饅は周知のように芥子菜をすりつぶし、酒かす・味噌・酢を加えてすり合わせ、魚や野菜をあえたもの。また、ゆでた芥子菜や浅葱を酢味噌であえた早春の料理である。この原型的心象から、伝統俳句では次のような詠まれ方をするのが常識的な方法だ。
  青ぬたや普段の顔にもどりをり   小澤克己
  青饅や駆け引き出来ぬ顔であり   能村研三
 だが、大河原真青は天文宇宙的時間の中に存在する「土星の環」を一句の中に呼び込んで、屹立した一行の象徴詩として成立させる。「青饅」と「土星の環」にはいかなる喩的関係も存在せず、言葉が凭れ合っていない。ここから立ち上がるのは地球、日本の今という移ろう時間と、銀河系生成後の太陽系成立以降の宇宙的時間がこすれ合うことによって、読者の心に散らされる火花に表現主題がある。不変に見える「土星の環」だって、宇宙的時間の中で移ろう存在であることが読者の感慨のひとつとして想起される。そこからどんな深みへと思惟を誘うかは、読者次第である。
 この句集の終章に置かれた、屹立する一行の象徴詩を引いて、この感想文の結びとしたい。
 
       白鳥帰るアルデバランを目印に
       浅蜊掘る縄文の空低く負ひ
       歌へよひばり冥婚の儀が終るまで
       被曝して花の奈落を漂流す
       パンゲアの岩をも這ひし蜥蜴の子
       はんざきの一日いたはる星の数
       幾重にも空をたためる蚊喰鳥

 震災後詩想として大河原真青が到達した地点――震災後の心の「臨界」点に屹立する一行の象徴詩の世界がここにある。         ーー了                       


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