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中村節也著『宮沢賢治の宇宙音感―音楽と星と法華経ー』

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             (コールサック社2017年8月21日刊)寄贈書

 宮沢賢治研究書としてみた場合、これまでの研究書、関連本が捉えきれなかった空白の部分を補う貴重な著作が出版された。
それがこの『宮沢賢治の宇宙音感―音楽と星と法華経―』という本である。(コールサック社2017年8月21日刊)
 著者の中村節也氏は作曲家で、宮沢賢治研究家にして、法華経の信仰も厚く宗教・天文の造詣も深い人である。賢治を研究する人としてはオールラウンドの最強の人である。
文学者か天文学者か宗教学者などという一つの専門的な視座からの、研究、論考が多いなかで、こんな広い視座による著書は稀である。そういう総合的な視座でないと、本当の賢治の姿は見えてこない部分がある。
 例えば賢治ワールドの星、つまり天文学的な検証をした本はたくさんある。中村氏は天文学の資料も精査して、そんな本の中にある間違いも、その博識と緻密な検証によって鮮やかに指摘している。
 音楽的な視座による言及は、中村氏の専門であり、賢治の作詞作曲の背景、ルーツについても見事に解き明かしてみせる。
 例えば「牧歌」のルーツが法華経の「撃鼓唱題」にあるとか、「星めぐりの歌」が、かの「カルメン」の延長にあるという指摘に、読者は新鮮な驚きを禁じ得ないはずだ。
 賢治の童話世界には「うた」が溢れている。作品の中に歌詞が書かれているだけではなく、メロディがついている。それはどのようにして生まれたのか、ということが綿密に解き明かされている。宮沢賢治はたくさんの童話を書くようになる以前、花巻の農学校の教師になったときから、生徒のためにいくつかの「うた」を作っている。それが出発点だった。友人に花巻高等女学校の音楽の教師がいて、作曲の手ほどきを受けている。当時の日本の西洋的な音楽的環境は貧しかった。そんな中で、賢治は高額で珍しかった西洋クラシック音楽のレコードを買って聴いている。上京のたびに浅草を訪れ、オペラや映画演劇を鑑賞した。賢治の「うた」の数々に、そんな体験が与えた影響の痕跡が、綿密に解き明かされる各章は圧巻である。
そのような音楽的な視座からの詳細な解説批評もさることながら、その上、賢治が法華経信仰を軸とした「国柱会」と関わった頃の時代と人物関係、当時の日本の音楽的な実状の中での賢治の思いと行動など、これまで読んだいかなる伝記、評伝、評論にもなかった「空白」の部分が埋められている。
本書の魅力はそれだけに留まらない。
例えば手記『きけ、わだつみの声』の中の賢治童話のエピソードや、井伏鱒二の『黒い雨』に出てくる賢治の手帖の詞のことにも言及している。後者で「一日ニ玄米四合ト」という言葉が戦時中、国によって食糧逼迫を理由に「玄米三合」と一合減すよう強制されたという。読んだ記憶がある読者もいるかも知れない。中村氏はそのことを取り上げるだけではなく、「戦争」についての自分の思いを、次のように述べている。

平和憲法があって平和国家を標榜するのならば、戦争することまた戦争に加担してはならないはずで、まして外国に派兵する必要もないはずで、道路を造ったり、医療を施すよりまず先にしなければならなかったことは、紛争が起きたばあいは、積極的に公正に粘り強く解決の労をとるべき国家であってほしい。けっして一方に加担してはならない。最後まで努力すべきではないだろうか、いまの為政者にそれを問いたい。

 また別の箇所では「終戦」という言葉を批判しているくだりもある。厭な戦争がやっと「終わった」という庶民の真情の吐露の意味での「終戦」の思いはあった。だが、公的な言葉としてはあくまで「敗戦」である。それを「終戦」と言い換えることに潜む欺瞞に中村氏は疑問を投げかけている。
八月十五日がなぜ「終戦記念日」となったのか、そんなことを考えたこともない人の方が多いはずだ。八月十四日、ポツダム宣言の受け入れ。この日に玉音放送が録音され、翌日十五日にラジオで放送。九月二日、降伏文書に調印。八月十四日と九月二日は「敗戦」という事実が日本の歴史に刻印された日であり、多くの国民にとっては思い出したくもない日だった。時は流れ、日本が戦後復興という経済発展優先の路線をひた走る過程で、朝鮮半島は分裂し共産主義国家の中国が誕生して、日本は重要な防共堤の役割をアメリカに求められるようになる。アメリカが日本の協力を必要としていると、経済力もついてきた国民が、不遜にも理由の定かでない自尊心を擽られる時代の雰囲気が生まれた。自分たちが戦争から見事に立ち直ったと、(歴史修正主義的に)宣言してみたくなったが、記念日に「敗戦」の匂いがするのを嫌った。八月十四日と九月二日はそういう意味で記念日としては回避された。天皇が八月十五日、戦争を止めると宣言した。つまり「終戦」させたと捉えたら「敗戦」の匂いは消える。政治家とメディアはこの考えを吹聴し八月十五日が「敗戦」ではなく「終戦」の日となった。そして防共の堤防となるために、「自衛」という名の再軍備をし、基地機能の大半は、国内の反基地運動のために、沖縄に押しつけられた。「終戦」の名の下に過去の戦争の検証どころか、それを真摯に反省する心すら失わせ、政治とメディアに刷り込まれた「気分」によって「終戦記念日」が「国民行事化」したのだ。
中村氏はそのことに対する違和感を表明している。
他の賢治関連書では、作者自身のそんな深い思想的な表明に出会うことは稀である。法華経を軸とした賢治の思想に「反戦」の思いを受け止め、私たちが生きる今を逆照射する論考である。
 巻末に中村氏編曲の賢治の歌のスコアが8編収録されている。
 「イギリス海岸」「星めぐりの歌」「剣舞の歌」「大菩薩峠の歌」「牧歌」「月夜のでんしんばしら」「応援歌」「北ぞらのちぢれ羊から」。どれも賢治ファンならこの歌の名前と、童話との関連、評伝的な背景を思い浮かべるはずだ。本文において、その歌の背景、音楽的な特徴などが詳述されている。
 賢治文学の愛読者で音楽が好きな人には、それもまた大きな魅力になっている。

2017.9.5

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