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上田玄句集考 『鮟鱇口碑』


 『鮟鱇口碑』をめぐってー上田玄句集考 1

 俳句同人誌「鬣」の二〇一八年二月号(六十六号)に、上田玄の俳句作品集「耳塚」が発表されていた。上田玄は俳句創作の永い中断の後、多行表現俳句で俳句界に復帰した俳人である。
そのことを、私たちは二〇一六年十一月に上梓された句集『月光口碑』(鬣の会 風の花冠文庫20)で知ることになった。
 二〇一七年五月二十九日付けの朝日新聞の俳句時評で、恩田侑布子が「月光の挑戦」と題して、「絶滅危惧種の多行俳句」作家の「二十年の断章から古希にして蘇った、全共闘世代の漂泊の詩魂を、琢ぬかれた独自の韻律に造形した句集」と評して次のように述べていた。
「詩歌の歴史は様式化へのあらがいによって更新される。有季定型一行書きを金科玉条としない、こうした異形の俳句とも往還する自由な精神風土からこそ、新たな定型も花ひらくだろう」
 恩田のこの文の結び「こうした異形の俳句とも往還する自由な精神風土からこそ、新たな定型も花ひらくだろう」を、本稿のサブタイトルである「俳句表現の明日を拓くのは誰か」と読み替えて、一考をしてみたいと思ったのが、本稿起稿の動機である。
 上田玄は俳句創作を再開するに当たって、なぜ多行表現俳句を選択したのか。そのことを知りたかったので、本人に紙面インタビューを申し込んだ。
快く応じてくれた回答は次の通りだ。
     ※
《質問》
永い中断の後、句集『月光口碑』で俳句創作を再開されたとき、なぜこの多行表現俳句と方法を選択されたのか。
《上田玄の回答》(注 ()内の語は武良が注記)  
一句の作品世界の中の言語構造に、より意識的でなければならないという自覚をこめて、(この表現方法を)ひそかに「多行構造」と思いなしています。あえて一句の中に、並立やねじれや逆接や、遠く隔てながらの響きや匂いという言語同士の関連性を招き入れる方法論だと思うからです。
     ※
このように、上田玄は明確な方法意識をもってこの表現形式を選択したのだという証言を得られた。多行表現俳句を選択し、そのことを表現者としての緊張、必然性を認識して、独自の表現主題を表現しようとしている。

撃チテシ止マム
父ヲ

父ハ

 これは後に『暗夜口碑』という句集に収められることになる、俳句誌「鬣」に発表されていた上田玄の俳句だが、高柳俳句以後の多行表現俳句が、しなやかに強靭に達成した、見事な新次元の作品であると評価してもいいのではないか。
ブランク行があって「父」につく助詞が目的対象から主体にすり替えられている。そのことで「主体」を引受けさせられてしまった「父」が、その前に「息子」が置いた「空白」によって、苛烈に問い詰められているような表現空間が出現している。単純な戦争批判や風刺に堕しない、表現の冴えが感じられて、別次元の文学的主題の萌芽を感じさせる俳句だ。その表現内容と同時に空白行の効果的な使われ方から言っても、多行表現俳句として、俳句表現の明日を拓く可能性を感じる俳句である。
これは私の読みであるが、普通、この句には父殺し的主題が指摘されるのではないか。だか、私はその読みを採らない。何故なら日本には殺すべき父性などなかったと思うからだ。持ち合わせていない父権的力を俄作りに纏った結果が明治から昭和の敗戦に至る錯誤の歴史だったのではないか、と思うからだ。作句の意図を上田玄に確認はしていないので断言はできないが、もし後者の意図で作られた俳句なら、私の中の評価は下がる。
 私が上田俳句と出会ったのは、第一句集の『鮟鱇口碑』からではなく、第二句集の『月光口碑』からである。
その時の読後感は次の通りだった。
上田玄も直接的な意味文脈を切断した、純粋な言葉だけで作り上げる韻文表現空間を創る前衛系の俳人の一人には違いないのだが、私はそこに、他の誰にも似ていない、この世のあらゆることに対する、頑固なまでの不信感が込められているように感じた。
不用意に通俗的な「意味作用」が、言葉と言葉の間に入り込まないように、慎重に脱「意味化」した言葉の配置を創造して俳句を「書いて」いるような意思を感じた。そのことに傾けられた情念のあり方に、何か尋常ではない深々とした絶望感、哀しみのようなものを抱え込んでいる者の表現のありようを感じた。
その後、私の方からの要請で第一句集の『鮟鱇口碑』の寄贈を受けて読んだ。
 この風変りな句集には、仲間が〈モチーフ先行的表現〉として危ぶむ問題を批評するだけでは済まない、何か途方もないものを抱え込んだ者――普通だったらそんな人は俳句などいう「言葉の芸事」には見向きもしない筈の人間が、それでも俳句しかないと思い定めて俳句を「書いて」いるように感じた。
私と二歳違いの同年代の上田玄は、この第二次安保闘争、学園紛争等の嵐が吹き荒れた時代に青春を送っている。死んだ言葉で出来ている、戦後日本の無意味な社会に異議申し立てをする同世代の者たちへの、ある種の「思い」だけは共有している上での、哀しみと痛ましさのようなものを感じていた。彼らは、たかが安全保障問題という反戦、学園紛争という大学の改革運動に端を発しながら、あり得ようもない「革命」幻想を真顔で語り、信じようとした、いや、信じられたら……と願っていた。それもまた、無意味な言葉に翻弄された痛ましい青春像のように、私には記憶されている。
上田玄の三冊の句集を読むと、彼はそれにある種の情熱を傾けていたことが解る。だから、その最初から見えていた「敗北」のようなものの特殊なわだかまりが、いまでもそれを引き摺るほど、彼の中に刻み込まれたのだろう。
その活動で上田玄は国家権力に捕縛、拘束される体験をしている。
このとき、上田は私が感じた言葉の方が無意味化する崩壊現象を体験して、文字通り「言葉を失った」思いをしたのではないか。このような体験をした者だけが抱え込む「絶望感」ではないか、と直感したのだった。
この世界が無意味であることを、言葉の無意味化現象で体験する者の中に刻まれるある種の「思い」は、それこそ「言葉」では表現しにくい。そんな体験をしていない者にとって、そのことを理解するのは困難ではないだろうか。
上田玄は、言葉に対して深々とした絶望感や不信感を抱きながらも、青春の終焉をそこから外れた時期に見渡せる年齢である三十歳代に俳句に手を染めている。そしてより苛烈に、言葉への不信感そのものを表現するかのように、可能な限り言葉を虐待し、複雑骨折、脱臼させて、言葉の意味作用自身を拒絶したところで、自分の命の中からだけ出てくる情念の在処だけを指し示す俳句を書こうしているように見える。
彼の周りの前衛系の俳人も、言葉が持つ通常の意味作用が纏う社会や世界に絡めとられまいとする同様の指向を持つ俳人たちだ。しかし、彼らの多くが、言葉の脱「意味化」の必然的な帰結として纏ってしまう言語遊戯に陥るのを避けるために、言語学的実験とか、民俗学的背景とか、日本の歴史的美意識のようなもので、作品の外側を固めて、言葉が空回りするのを防止しようとしているように見える。
上田玄は俳句の外にそんな仕掛けを置くのを潔しとしていないように感じられる。あくまで、自分の中から出てくる情念とか、思いの力で作品世界を律しようとしているように見える。すると勢い、作品は自己完結的な閉塞性を纏ってしまう。上田玄は仲間から「ダイアローグの欠如」という言葉で、そのことを指摘されてもいる。
 上田玄は「言葉の方が無意味化する崩壊現象」を体験して、文字通り「言葉を失った」思いをしたのではないか。この世界が無意味であることを、言葉の無意味化現象で体験する者の中に刻まれるある種の「思い」が、この時点での彼の俳句の文学的主題である。そうやって描き出された、荒廃した海という「喩」的世界の中で呻吟し、あの時代の自画像を、あたかも時代を撃つ普遍性を持つ文学的主題であるかのように、満身創痍になりながら、とにかく俳句という形式で表出してみた、という作者の思いを受け取ったのである。

海ゆれてわれはしらしらそこひなる
かぢきしむふなぞこに寝ておやしらず

この二句が『鮟鱇口碑』の冒頭の二句である。上田俳句の出発点だ。
同世代の私には、この句が詠まれた時代の中を生きた「若者」の情念の在処が説明抜きで伝わってくる。『鮟鱇口碑』で造形されている、あるいはくっきりとした造形を拒むように歪めて表現されている「海」は世界とそれを構成している言葉の無意味な全体像の形象化であり、自分自身の混沌とした生の喩でもあり、「寄せ鍋」はその自分を忌々しくも「現実」の方に繋ぎとめようとする時空の喩でもある。
全体を海という大きな喩で仮構し、その中に揺れ止まぬ船の船底や、澱のようなものが淀む海底にへばり付いているような、青春期の出口の見えない閉塞感が表現されている。そのことを、一句一句を辿りながら以下で検証してゆこう。
「かぢきしむ」の句。
私たちにとっていつも世界は軋んでいるものだったし、船底に居るという所在の認識が共有されていた。
そして親たち、上の世代とは精神的に不連続であるという孤絶感の中にいたことを、ありありと思い出す。表面上の場所と時間、内なる血まで繋がっているのに精神は不連続である。戦後生まれの私たちの不幸の原点はここにあった。その実感があった。
具体的に述べるならば、上の世代は大急ぎで戦争なんか忘れて、ひたすら豊かさを求めるが故の精神的飢餓と物理的貧困の中でもがいていた。軍国主義から商売第一主義へと衣替えした俄作りの日本資本主義村は、そんな飢えた者たちを労働商品と見做し、石牟礼道子が描き出したような産業毒の生産に駆り立て、ゆるやかな大量無差別虐殺へ駆り立て、その自覚なき殺人行為の共犯に仕立て上げることに狂奔していた。
先に述べたように、学童期にそのことを間近に目撃した私には、そのことへの防ぎ難い不信感があった。そんな居心地の悪い揺籠の中で揺さぶられて幼少期、思春期、青年期を過ごした。そんな私の思いと共振する造形がこの句にはある。
この冒頭の二句で、句集全体が航海、荒れる海、大きな船の船底というような、あの時代の青春の精神世界のアナロジーのような雰囲気を醸し出す。
 船、海の表現として具体的にどのような言葉が選択されて表現されているか、具体的に俳句を追ってみよう。

   ゆふなぎにのどくびを恋ふひとでかな

この「ひとで」は首という要の部分の欠落感の渇望の状態にある。

   星すなどる凧のいと鳴ればはんせん 
   
帆船と読んだ場合。「すなどる」のが「星」である隔絶感、そこに向けて揚げている「凧」の糸、「鳴れ」と激起しているのか「鳴れば」と仮定しているのか、たとえ「反戦」の幟のつもりでも、風まかせの「帆船」でしかない。

   やみを抱くくらげのあしの薄ごほり

この「くらげ」は闇を抱え込んでいる。凍えそうな脚で。

   にびいろに海そこびかるふねは去り

この句は「海」で切れている感じだ。「そこびかる」は「ふね」に掛かる。船底に居る私をどこかに連れ去ろうとしている。

   酔ふくらげ残んのゆきもうみのうへ

この「くらげ」は酩酊している。陸に降れば積もる雪も波に触れた瞬間に溶融するばかり。
   
   ちくわぶも泳ぎつかれてたちくらむ
   
魚を原料とするが。固さを失ったふにゃふにゃの「ちくわぶ」に加工されて、元の生体感を喪失した状態の喩で、魚ではなくなっているのに、その自覚もなく泳ぎ続けて「つかれ」、しかも、波の上か、打ち上げられた砂浜で立ち上がろうとして「たちくら」んでいる。
  
   ただよひのげっけいかんよ氷頭を捕れ

氷頭とは鮭の鼻先の軟骨部分で、氷のように透き通っている。通常、なますにして食される。「ただよひの」が、「ただ宵の」と「漂い」と「ただ酔い」にぶれる酩酊感で、「月桂冠」が栄誉の冠ではなく、日本酒名に繋がって、酒のつまみの「氷頭なます」に流れ込む。
このように、ひらがな書きによる意味の多義性への揺さぶり、散文的意味の流れのはぐらかしで、言葉自身への不信感と、その暗い情念の在処だけを指し示す表現に徹している。ヒトデもクラゲもチクワブも、その情念を体現する疑似身体性、つまり精神性でもあるが、その表現に他ならない。
散文的な「モチーフ」などとは違う次元で、その閉塞感をひたすら表現していると読むのがふさわしいだろう。これが最後まで、延々と続く。
その持続する情念には圧倒され、やがて笑うしかないような読書感を読者にもたらす。世界はこんなに無意味だ。その中にいる自分の精神も身体も、このように脱意味化されて、殺されてしまいそうだ。そんな痛切な叫び声が聞こえないだろうか。先を続けよう。

   くらげあまたゆらめく波やたち泳ぎ

もう、私の解説などいらないのではないか。先に示した文学的主題読みの方法で鑑賞するなら、この上田玄俳句の、ある種の訴求力が感じ取れるはずだ。
  
煮くずれてかげなほ重したらの肉
たちうおの銀めのなかを仁王だち
たそがれやくらげは睦むあらふら海

アラフラ海はニューギニア島南西岸、オーストラリア北岸、小スンダ列島・タニンバル諸島に囲まれる海で、海底からは白蝶貝が多く産出し、沿岸住民の重要な生業となっている。特に海域東端、トレス海峡に位置する木曜島を中心に、一九三一年頃から戦前までは日本人の白蝶貝採取のための潜水夫や加工のための出稼ぎも多かった。この出稼ぎ潜水夫の労苦のイメージを唐突に差し込む表現にも、上田玄らしい船底、海底にへばり付くような情念の手触りがある。ちなみに、戦後はインドネシアやオーストラリアなどの間で、公海と領海の範囲に関する国家間の意見の相違から漁業紛争が生じたことなどから日本企業による採取は一九六二年に中止されたという。

   なみのあはひに心音くらとひびくなり

この句には海の生き物の喩は使われず、生体の「心音」の表現になっている。「くらとひびく」に命の危うさ、切迫感がある。

   火を舐めてしはぶきいそぐ腸のかべ

クラゲたちが精神性、身体性の喩と評した証拠に、今度は生体の内部の臓器が描かれる。上五と中七は意味不明。ただ「火を舐める」という苦境感、「しわぶき」という病理感だけが「腸」に、わけもわからず張り付くような句だ。句の意味ではなく、こんな意味不明な疑似文脈で、不信感、閉塞感だけを書き連ねる作者の表現意図を、いやでも受け取るしかない。そう読者に思わせるということは、表現としては一つの成果ではないか。

   掌にかこふふつかの月よまたたきやます

これは月光の囲い込み。孤独さのしぐさである。

   星は墜ち北さしくらす腰のほね

墜落感。「北」という死を暗示する方向性の中の身体感。

   うすずみににごれる吐息胸くづす

「にごれる」「吐息」「胸くづす」と内向する精神。

はがれ落ちどろの味識る耳とこそ

「どろの味」を認識するのが「耳」という聴覚であるちぐはぐさ。
 
   とどこほり腸の消えゆくみづくらげ

これはダメ押しのように身体と喩としてのクラゲの並記である。
 
西日さし死者のひげかくからすぐち

「からすぐち」とは製図用ペンのことで、精密さを要求する労働の象徴でもあるだろう。だがその内実は「死者のひげかく」ようなことだ。この徒労感、虚無感。

   処女懐胎すくへばひらくうみぼたる

キリスト的聖なる領域の超越思想の虚構である「処女懐胎」説。それを掬ってみたら、ただの「海蛍」というオチ。言葉を疑うものに神のご加護も信仰の盲目的至福感もない。
  
   根こそぎやあはれぶたくさ苦よもき

初めて植物の心象で書かれた句だ。「苦ヨモギ」は原発事故を起こしたあの「チェルノブイリ」の地名に同じ。「根こそぎ」などという言葉に切字の「や」を付けるところなど、憎悪感が滲む。

   すなめりくぢら濁れるまなこ見ひらいてゐる
    
この句は通常の散文的意味を許す表現だ。解説は不要であろう。

  かは鞣されてしづみゆくとき静かなる
   
この句も散文的意味は通る表現だが、内容的には得体が知れない含みを感じさせる。「なぜ」と問えば「それは死に向かうものの形だから」とでも答えそうな気がする。
   
   みみ鳴りのあとさきどよむ海のひだ

身体的反応にもどって、海に放り出されている。

  うみゆりに気球はかかりしぼみゆく

「うみゆり」は棘皮動物で放射状に伸びた羽状の腕をもつ冠状部と、それを支える長い茎からなり、深海底に着生し、外見がユリに似ている。海底の生き物を空の「気球」に宙吊りにして、しぼませている。この絶望感と滑稽さと憐れさ。

   あわもりや雪ふりつもるうみの底

「泡盛」は沖縄の度の強い酒である。雪が降り積もるのは陸ではなく、海の底だといっている。表現主体の精神がいる場所は、行方も知らぬ帆船の船底と海の底、ときとして鍋底だったりする。

   うみづかれゆらいで沈むとうふかな

これもひらがな書きによる意味のぶれ、定まりにくさを狙った表現で、海疲れ、倦み疲れ、膿疲れの意味を同時に引き連れている。沈む豆腐の行き着く先は鍋の底である。

   うなぞこにこごる豆腐のかはの荒れ

これも「に」が助詞の場合、次は「凝る」で、そのまま煮凝るの意味でもある。煮凝る、の場合は下の豆腐に掛かってゆくが、凝るの場合、「海底に凝る」で切れて上五が独立した意味合いを獲得し、表現主体の海底沈着の表現を暗示する。そして豆腐の「かは」の「かは」は川・河・皮・革・側などにぶれる。豆腐の川、豆腐の皮、豆腐の革、豆腐の側、かろうじて繋がりそうなのは豆腐の皮だけであるが、「荒れ」でまた繋がりが動揺する。

   むしろ旗ゆれしづむなり腹たわめ

「むしろ」は副詞の、二つを比べて、あれよりもこれを選ぶという意味の言葉でもあり、また下の語と連なって「筵旗」へ揺らぎ出す言葉だ。「腹たわめ」は「腸」の言い間違い感を引き連れながら、撓んでいる表現主体の思いである。

   みみ統べてうみのそこなる花ぐもり
   
下五に優雅な「花曇り」という伝統的な和歌語を置いて、上五には「みみ統べて」という難解表現を置く。「統べる」という語には皇国史観と軍国主義の残響があり、中七でやはり海底に張り付く表現主体の視座を挟んで、この句を脱意味化し、世界の無意味さと対峙させようとしている。「みみ」、すなわち耳、身身は無意味に統括されているというのだ。

   くるひたつまなこは見えてさびのいろ

「たつ」は自己の行為だから、何かに狂うとしても、その内なる狂気によって立つということだ。下の「見えて」の意味合いが、眼には見えてという可能の表現でもあり、おのずからはっきりしてくるという意味なら、「さびのいろ」は、「まなこ」が見ている対象の色ではなく、自分自身の色だということになる。おそらく後者の自省の表現だろう。

   まなうらをつきぬけて吹く風の芯

前句と同様、眼を題材としたときは自省の趣を醸し出す。気体である流動体に「芯」という個体性を持たせて尖らせ、眼底とその奥の脳まで刺し貫いている。

   ひきむかれうらがえしの目頭蓋見る

前句と同じである。もう解釈する必要もないであろう。痛々しいまでの内省の表現だ。

   ふくらはぎ蜘蛛のいとだま根をはやす

身体の部位「ふくらはぎ」の上五で切れて、その言葉は他との繋がりを待つが、「蜘蛛のいとだま」という、蜘蛛の糸によって捕縛され死を待つばかりの昆虫のような生命が「根をはやす」という、不可能に近い困難さの表現が置かれて、結果として、この句自身を脱意味化してしまっている。何故そのような表現をすることに作者が情熱を傾けているかと、その文学的主題を問えば、その在処が見えるはずだ。それについてはもう充分に述べてきたので繰り返さない。

   ひろげられさびくぎ舌にうちこまれ
   みぎの耳さかねぢばかり殖えつづく

ほとんど自傷行為を思わせるほどの、これらの身体表現は痛々しい。

   冷えてありわづかにさはるうみの息

「わづかにさはる」がキーとなっている句で、「海」の「息」という不可触のものを、知覚しようといている行為の無意味さに、表現主体の在り様が仮託されている。

   このつちに滲みていくべし背をかがめ

「このつち」とはどの、どこの土だろうか。本来なら表現主体を受けとめてくれるべきものの象徴としての大地などを指すのだろう。「背をかがめ」とは、頭を高くしないでということだから、主体の中に渦巻いた希望、理想、理念、革命幻想など抱かなければ…という反語表現が下五にある。「いくべし」は、本来ならそうであるべきものを、という断念の表現である。

   霜ふむやあへてまぶかく土ひかり
   地にふれてたちまち重き絮となる
   
この句集は連作句集なので、もう読者も気づいているだろうが、前後の句の意味と無意味が一句の中に共有される。だからこの二つの句の「土」も「地」も前句と同じ意味を背負う。「まぶかく」「たちまち」に切ない希求の思いが表れている。

   あめふらし火のいろとほくなしくづす

ここで海の喩の構成語に戻る。「あめふらし」は腹足綱後鰓類の無楯類で、この語はギリシア語の「盾を持たない」に由来するという。つまり武装解除された丸腰状態の喩でもある。海のいきものに通常、火の色が遠いのは、言葉の距離感からくる希求感の表現だが、下五が「なしくづす」で、そんな感慨へと収斂するのを拒絶する表現である。

   やはらかくどろに抱かれるこころかな

この句をこの句集の掉尾に置く。脱意味度を下げた平易な表現で、あたかもこの句集自身への諦念の意をにじませて巻は閉じられる。

 さて、これで一部の句を敢えて除いて、全句を概観した。
これだけの工夫を凝らして、脱意味化を図り、言葉への不信感、この世界を成り立たせている言葉世界の無意味さの表現をしている。そんな表現に情熱を傾ける作者の思いのただ中に、この句集の文学的主題が感じ取れるとしたら、翻って、これらの一句一句にも、それが書き込まれている痛ましいまでの「技法」を読み込むべきであろう。
 その文学的主題には青春期の精神のひとつの在り方として、普遍性がある。
 さて、ここまで敢えて触れなかった四句のうちの三句を次に揚げる。

さめ肌にぞうはんゆうりと彫りしまま
日に透けて魚のほねのばりけーど
  暮れまどふなみのあはひにぽちょむきん

「ぞうはんゆうり」「ばりけーど」「ぽちょむきん」という、現実世界では漢字カタカナ表記される語彙が、癒えない擦過傷のように、ひらがな書きに転換されて置かれていることに、同世代の者としては、痛みを伴う実感を肌に蘇生させる。その呼吸は次の句集『月光口碑』にも引き継がれていて、恰も季語的隠喩のように「レーニン」が置かれていることに通底するものを感じる。
 この三句、いや四句だけが異質な違和感を放つのは、どんな時代にもある、自意識の確立期の、世界が見えかけてきたがゆえに、よけいに狭くなってしまう視界の閉塞感や、無意味にしか見えない世界と、それを構成する言葉社会の無意味さへの不信感、反感、怒りなどの思いに、普遍性のある文学的主題を立ち上げようにとしているからだ。それらをも彼は表現の武器としたのであり、この『鮟鱇口碑』世界には、それ故の独特の訴求力がある。
それは私たちの戦後世代の幼年期から青年期までの屈託の表現であり、その精神的なリアリティは、世代的な限定を越えて、広く文学的表現となり得ていると評価しておきたい。
少なくとも私という読者には、その一点に向けて注がれた情熱のあり方には、私の精神のあり方を狙撃するに十分な文学的主題と価値を有する作品であった。
『鮟鱇口碑』の各句に表現される、海の生き物たちに仮託された表現主体、つまり上田玄のこの時期の精神が、捩れ、のたうち、釘撃たれ、海底にへばりつけられる様が、私の親族たちが舐めた辛酸、命の惨劇の姿に重なって見えてしまう。
そういう意味で、私にとってこの『鮟鱇口碑』は死者の書であり、死と実存的な存在の諸相を描くことを文学的主題として持つ句集として読めるのだ。
この節の最後に、まだ曳いていなかった一句を揚げて結びとしよう。

  うたた寝にゆるく巨きく波はくる

上田玄が始めた言語による創作行為は、ひとまず「うたた寝」をさせておくといいだろう。この後、上田玄は俳句創作から永い期間、遠ざかっている。
そして、自らの中から防ぎようもなく湧き出す独創的な文学的主題は、「ゆるく巨きく波はくる」ように、上田玄の心身を突き動かしたのである。


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