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千葉信子句集 『レクイエム』を巡ってー命と共振する魂の韻律

千葉信子氏の第三句集『レクイエム』が上梓された。

令和6年3月3日刊 頒価2,500円
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263-0021
千葉市稲毛区轟町2-8-1-115
千葉信子
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 巻末に、千葉信子氏の全句集の背景とその内容について、わたくしの解説・鑑賞文を掲載させていただいている。
 その全文を以下に転記する。
 ぜひ、この稀有の俳人の世界を、じっくりと味わっていただきたい。
 ご本人はもう句集は出さないと思われていたようだが、ご子息の熱心なお薦めで実現した、母子愛の結晶のような美しい句集である。

       ※        ※

千葉信子句集 『レクイエム』ー命と共振する魂の韻律

Ⅰ 千葉信子俳句の背景

 この句集『レクイエム』は、『縦の目』平成十七年(二〇〇五年)、『星籠』平成二十八年(二〇一六年)に次ぐ第三句集である。

 その鑑賞に入る前に、『縦の目』『星籠』の独創的な俳句世界を振り返っておこう。

『星籠』に収録されている随筆によれば、千葉信子氏自身は句集を編むことさえ考えてもいなかったようである。「息を吐くように俳句を詠んできた」という千葉信子氏にとって、俳句は生きることと同義であり、それを記録して書籍にすることなど思いの外のことだったようだ。今回の句集を含めてすべてご子息の熱心なお勧めによるという。

 句集の背景の千葉信子氏の来歴について先に述べておこう。

        ※        ※

昭和五年、東京市生れ。

 戦時中の小学校時代、台湾総督府の役人だった祖父と共に台湾に一時移住。戦争末期に、福島県浪江町に疎開。終戦後、農地改革で福島県の土地を失う。若い頃、新聞記者だった父親は一時出家して家を出ていたことがある。温厚な人柄の背中に滲む厳しさを忘れることができないという。千葉信子氏はそんな家庭で育つ中、俳句に親しみ始めている。

昭和二十六年、結婚。

昭和二十八年、長男出産。本格的に俳句創作に取り組む。

昭和三十一年、長女出産(二年後、長女は心臓病で他界)。俳句会「草笛」に入会。法師浜桜白のテレビ番組にゲストとして参加。この頃師事していた加藤楸邨から「あなたの句は稀有だから特定の結社に属さないほうがいい」と言われる。このころからすでに独創的な表現方法を身につけていたことが窺える。

昭和三十三年、次男出産。

 昭和四十五年以降、夫が校長職を退任後、中国語が堪能であったため、山西省工業大学、北京大学から理系の教授就任の依頼があり赴任。その夫に同行して、千葉信子氏も日本語を教えることになった。

 その頃、「ただただ日本語に飢えていた」という体験をし、日本の外から日本文化、俳句を見つめ直す体験をしている。俳句会「青樹」に投稿を始める。当局による大学への規制が強まり、天安門事件の前、日本に帰国。

 帰国後、悪性貧血、胆石、十二指腸潰瘍、急性膵炎、婦人科の摘出手術、B型肝炎、狭心症、水腎症、大腸癌、頚椎症、脊椎管狭窄症…など「病気の百貨店」と言われるほどの状態となり、入退院を繰り返す。

平成十七年、第一句集『縦の目』上梓。

平成二十年、「青樹」廃刊。「草笛」への投句は継続。

平成二十二年、大腸癌開腹手術後、寝たきり状態となる。

平成二十三年の東日本大震災が起きたとき、往診に来ていた医師と看護婦に抱えられて家を出るという体験をした。この時期、精神的に不安定になり「草笛」を離れる。

牡丹を怖がらなくてよいと剪る

蜩が鳴くから癌を切り落とす

 などの句はこの時期のもの。

平成二十七年、「草笛」に再入会。

平成二十八年、第二句集『星籠』を上梓。

 ※  ※

 以上が千葉信子氏の略歴である。

 幼少期は台湾と福島での戦争体験、戦後の混乱期の体験、結婚後の数々の苦難と、病魔との闘いの日々を生きてきた俳人である。

 千葉信子氏は「草笛」入会後、すぐ草笛新人賞を受賞している。注目の新人としての登場だった。そして人間探求派の加藤楸邨に師事。楸邨に同じく師事する金子兜太氏をはじめとする俳人たちとの、新しい現代俳句の創造を志す者同士としての交流を経て、千葉信子氏の俳句は磨き上げられていった。

 千葉信子氏の二冊の句集に加藤楸邨の人間探求派的視座、そして現代俳句の創造を志す者として、金子兜太氏たちと共有する造形俳句的な作句法が窺える。その中で独自の表現技法と文学的主題を完成させている。

 

Ⅱ 句集『縦の目』独創性

 千葉信子俳句の表現方法の顕著な特徴の一つに、一句の中で語句を重ねて詠むことで、リズムを生み出し、独特の思いを表現する方法がある。本稿においてそれを仮に「リフレイン詠法」と呼ぶことにする。

 実例を揚げて鑑賞してみよう。

      次男誕生

胎の子にほたるほうたる降るは降るは

「胎の子」に「ほたるほうたる」と呼びかけるように「降るは降るは」とやさしい思いを降り頻らせている、温かな思いの重ね方。

霧くぐりくぐりて小舟つなぎけり

「霧」という視界不良の中を、「くぐりくぐりて」、不安に揺れる「小舟」を愛しむように岸に繋ぐしぐさのやさしさ。

萩のかげ萩にもどして吹き初むる

 この句の不思議な味わいは、「萩のかげ」を「萩」に「もどして」という表現にある。「萩のかげ」という現象の本質回帰の喩か。

寒卵ふたつ男の子がふたり

「寒卵」を掌(たなごころ)に包むように、吾子ふたりを重ね包む愛しみ方。

独楽をうつ眸のなかの独楽逸れる

野火にたつ風おのづから火の色に

 「野火」を燃え立たせる「風」は、風である自己を、限りなく命の主体である「野火」に「おのづから火の色」にして寄り添うことで、「野火」と一体となって命を燃え立たせる。

 すべて、日々の暮しという薄紙の皺を伸ばすような丁寧なしぐさで、一枚いちまい、愛おしむように「重ねかさね」てゆくような、温かい命に共振する魂のリズムがある。

 多忙さを増してゆく現代社会の暮しの中で、なかば上の空で生活している現代人が、はるか昔に手放した丁寧な生き方をここに感じないだろうか。今あるこの命の、この場と時間を丁寧に生きるその息遣いのリズムがここに表現されている。それは即ち、作者が日々をそのような立ち振る舞い、そんな矜持、姿勢、魂の形で生きているから生じる詩的リズムである。まるで「吐く息」のように声を出して謡われたような自然さで、じわりと滲み出す究極の優しい心根が感じられる。このように千葉信子氏の「リフレイン技法」は独創的であり、俳句表現技法的とその生き方が不可分の関係にある。そんな生き方でなければこの技法は生まれず、この効果も生じようがないだろう。

母立てば母に風たつ炭ひさご

猫がきて猫とでてゆく初桜

おぼろ夜の埴輪の馬を曳く埴輪

すこしづつ覚めすこしづつ土雛

蓑虫の一再ならず蓑の丈

カフカ閉づ黴の臭へる黴のいろ

弔電を打つ露分けて草分けて

蛇笏忌の膝抱きて膝尖らせる

木の筥のなかの木のはこ春隣

己が影己に倣ふ寒さかな

川越ゆる風船の沙汰雲の沙汰

あかんぼが赤ん坊にふれ桃の花

奈落には奈落のならひ梅雨の蝶

しやぼん玉はじける軽さ浮く軽さ

髦にほうたるのつく凛と点く

 最後に上げた句は、髦(たれがみ)だから、前髪が眉のあたりまで垂れた子供の髪形である。つまり自分の子の髦に「つく」螢の火が「点く」さまを詠んだ句だ。読み過ぎかもしれないが髦の字義には「秀でる」の意味もある。賢そうな吾子のキラキラ光る瞳の上の髦に付いた螢火まで「凛と点く」と表現されている。細やかな愛に溢れた眼差しがここにある。

千姫の菊ひとかかへふた抱へ

癌告知甘柿の種甘柿に

「癌告知」の句は読後、平然としていられなくなる句だ。作者が淡々と「癌告知」を受け止めているようにみえるから猶更である。癌細胞は身体という器がなければ存在し得ない。柿の種は柿という器がなければ生じない。「同じことよ」と作者が微笑んでいるように感じる。

虎落笛湯玉をつぶす湯玉かな

 表現する句の中に表れるあらゆる「もの」が受け身ではなく、能動的に行為をするように詠まれている。それは千葉信子氏が、通常の俳句表現によくある観察者の視座からではなく、自分の心の中の現実を生きて行為するように詠む現代俳人に他ならないからだ。

「湯玉」が「湯玉をつぶす」という行為を生き生きと繰り返しているという表現、「つぶす」などという生存競争の殺し合いのような語句を用いながらも、殺伐とした景ではなく、ほのぼのとした温かさを感じるのはそれが文字通り、「湯玉」という熱を持つ「生きる」姿の喩だからだ。悲壮感など微塵もない、まるで楽しい遊戯でもしているかのように無心で燥ぎ回っているような、命の躍動感がある。

髪を梳く髪みなうごく良夜かな

  この句で、第一句集『縦の目』の世界の「リフレイン詠法」は完結している。

 句集の「あとがき」文の最後には次の句が置かれている。

息吸ふは一瞬ほたる初螢    

 千葉信子俳句世界を象徴するような俳句である。 

 その後上梓された第二句集『星籠』で、この完成の域に達している千葉信子氏の独創的な「リフレイン詠法」俳句は、どうなっているか。その軌跡を追ってみよう。

さくらさくらナースコールを押し続け

告白も告知もありし寒昴

 二〇一一年、東日本大震災が起こった年である。「リフレイン詠法」俳句は、この二句のように緊張感に満ちた内容で始まり、『縦の目』から継続している。

 千葉信子氏は闘病のベッドの上に居た。

桃熟れて嫌ひな人を嫌ふなり

病室の上も病室つちふれり

 高層建築の大病院の一室に幽閉されているような闘病の姿と、しっかり今を見詰める眼差しを感じる俳句だ。

とけはじむ塩のまはりに塩の春

白きもの白く炊きあげ月の寺

道標の雪のよごれは雪が吸ふ

トンネルの先もトンネル山笑ふ

胡桃には胡桃の在所母の声

川あれば川をのぼりて稲の花

髪ほどく髪みなうごく良夜かな

 同語が繰り返されることで、日々の積み重ね、思いの深まりを感じさせる俳句群である。「髪ほどく」の句は『縦の目』の最後の年に詠まれた「髪を梳く髪みなうごく良夜かな」と対をなしている句だ。「梳く」「ほどく」の違い。「梳く」は日常の一コマで、「ほどく」は闘病中の一コマの違いか。その微妙な日常の差異の手触りを「うごく」という言葉を軸に見事に表現している。

雀いろどき菜の花は菜の高さ

睡るには桜が足りぬ血が足りぬ

すずなすずしろ嬰あやすごとすすぐ

さくらさくら雨になる雲ならぬ雲

鬼になる子もならぬ子も柿囓る

雪に産みまた一人産み吾子とよぶ

「雪に産み」の句は今を起点とした回想を包摂する句である。千葉信子氏の出産と育児も男子二児のリフレインでもあった。それが降り積もるような雪の記憶と重なり合う。

寒卵も卵キルギスはキルギス語

 過不足の無い自己同一性のような、命の確かさに触れるような気持ちになる。それは次の句にも共通する。

左手のための右の手トマト煮る

さくらさくら閂のごと風生まれ

数へぬと決めし螢火かぞへてる

白桃の傷ひとつなき明日は明日

「白桃の」の句は「明日は明日の風が吹く」の楽観、諦観ではない。「傷ひとつなき」命の充実感の表現である。

粽結ふ親指小指嫁の指

月光の食べたいものを食べにいく

煙突は煙突のまま巴里祭

春隣歩けるところまで歩く

 この年の「リフレイン詠法」俳句は眼差しがどこか遠くに投げられている雰囲気がある。「粽結ふ」の句は懐かしいわらべ歌のような響きで、「月光の」の句はファンタジック、後の二つは望遠の句である。

 ちなみにこの年の「リフレイン詠法」ではない他の句については後述することになるが、回想、異郷への思いなどに混じって、闘病中であることを窺わせる俳句が多い。

 この次の年、二〇一五年(平成二十七年)は収録句がなく、空白の年になっている。病状が悪化し辛い闘病生活の中にあったのだ。そしてこの句集の最終年、二〇一六年(平成二十八年)を迎える。

釜石の秋刀魚よ尖るだけ尖れ

楸邨忌根のあるものは根を太く

あきる野の雨雨雨雨草田男忌

すすきかるかや其処までとこれまでと

穴惑ひ日向ちいさくちさくなり

馬冷やす未だ塩の道塩の道

鬼になるあそびビー玉うつあそび

父に父ありて積乱雲太る

硝子切る音も紙裂く音も寒

  句集の結びの章の「リフレイン詠法」俳句には、これまでと比べるとやや緊迫したリズムを感じる。厳しい闘病中の身体の受苦を反映しているのだろう。

 以上、『縦の目』に二十五句、『星籠』に三十五句、合計六十句も「リフレイン詠法」俳句が収められている。二句集に採用されなかった全作品にはもっとあったに違いない。

 千葉信子俳句は「リフレイン詠法」を独自の表現技法として磨き上げ、俳句の表現世界を豊かにしたのだ。そして最も大切なことは、自分の切り拓いた詠法によって、その日その時を丁寧に生きる命の息吹きという独自の文学的主題を、巧みな造形的表現で成し遂げたことである。命と共振する作者の魂の形が鮮やかに刻み込まれた詠法である。

 

Ⅳ 命のただ中を行為する俳句世界

 次に「リフレイン詠法」以外の句において、千葉信子氏の文学的主題が、どのように表現されているかを振り返ってみよう。

1『縦の目』

      長男誕生

雪はまんだら息ふかく妊れり

さよならも言はぬ見舞の子がしぐれ

みどりごの睫のひらく天の川

胎の子の拳がまろし青嵐

 この永い期間に詠まれた句の中から精選された吾子が題材の慈愛の句。ここにあるのは吾子と自分と、その日そのひと時を共有し生きていることの美しき造形である。二冊の句集はこの作句法で貫かれている。

息見ゆるほど近寄りて冬牡丹

雨粒の青にはじまる七変化

色止めの塩一握り終戦忌

 千葉信子氏は気ぜわしさにかまけてものごとを上の空で通り過ぎたりしない。立ち止まり、「息見ゆるほど近寄り」、ものごとの微細な変化に目を凝らし、同じ色形を何度も何度も確かめ、噛みしめるように、丁寧に日々を生きる息遣いが感じられる。

水を蹴るおたまじやくしの力こぶ

血管の逃ぐるもちから梅の花

眼のなかを水走らせて魚の春

 静脈注射を打とうと、看護師が探る針先をするりするりとかわして「逃ぐる」ような血管に、緊張し汗ばむ看護師の表情が見える。それを「それも生きているっていう力」だと見ている暖かい眼差しを感じる句だ。

青蛙とんで雨脚切りはなす

 なんと躍動的な表現だろうか。「雨脚切りはなす」という言葉はなかなか出ないだろう。斬新である。

枯蟷螂終ひの目玉をたてなほす

霜柱ダリの時計の動きだす

 句集中に「ダリ」が出てくる。「カフカ」も出てくる。ダリの時計文字盤も針も終末の風景に放置されたように歪んでいる。とても再駆動など出来る状況ではない筈だ。だが、作者はそれを「動かす」のではなく「動きだす」という自動詞によって確信的な能動的眼差しを投げている。上五の「霜柱」の崩れる前の一瞬の静止感が効いている。

絓糸の勿体冬日つかひきる

「絓糸(しけいと)」とは、繭から生糸を繰るときに、はじめに出てくる粗糸。玉節があって太さも不揃い。熨斗糸ともいう。この糸をよこ糸に使うと趣がでるので織物の技法としてよく使われる。普通はくず糸的扱いのこの糸の「勿体」という表現。くず糸も余さず「つかひきる」丁寧な暮らしの息遣いの見事な表現である。冬の日溜りの暖かさも感じる。

青葡萄ピエロは縦の目をとづる

 この句はこの句集『縦の目』の表題の元になった句である。「縦の目」とは道化師ピエロを演じる人の瞼とその上下を貫いて縦向きに描かれた目である。その人が目を閉じたときに現れる目だが、その人が目を開けているときは、「ピエロ」も目を開けていることになる。だから、「ピエロ」は目を閉じることはない筈だ。

 だが作者は、上五に季語の「青葡萄」という言葉を置いて、決して閉じることができない「ピエロ」の目を「とづる」と、敢えて詠んでいる。「青葡萄」の、薄緑色から薄紫色を湛えたその丸い形状。人の口で消費されるか、腐食するまでその色合いと形は運命的な形状として保持される。そのこと自身が纏う命の深い哀しみ。「ピエロ」役の人が休息のために瞼を閉じても、「ピエロ」の「縦の目」は、「青葡萄」の命の哀しみさながらに見開かれたままである。

 閉ざされることのない目を「とづる」と敢えて詠む作者の心は、その命の哀しみに全身で寄り添っている。

向日葵の実のひしめきて鎮もれり

「実のひしめきて」という言葉の命の充溢感を喚起する表現。「鎮もれり」という厳かさ。この荘厳でしんと「鎮も」る心の座は、充実しているからこそ静かに溢れる哀しみに満ちている。

子を抱けば寒のゆるびし重さかな

 こう詠む母の腕の微妙な力加減を想像してしまう。そして男親には真似できない絶妙な慈しみの抱擁の形ではないかと思い至る。「寒のゆるびし重さ」など、どれほどの感性があれば感受可能なのか、と男親に嘆息をつかせる。

啓蟄や麻酔の効きし癌とゐる

 この「癌とゐる」という表現にも千葉信子俳句の作句の姿勢が表われている。癌という病にさえ彼女の丁寧に寄り添うような息遣いが聴こえるようだ。慟哭、告白の嘆き節になったら聞く方も辛い。だがこの俳句には心を持っていかれてしまう。そしてじわりと我が事のように汗ばんでしまう。

青柿の蔕まつ青な自刃の地

 一切の前詞も後書もないので何処を指しているのか不明だが、「自刃」に追い込まれるような時と場面であることは間違いない。そんな状況だからこそ命の重さに思いがゆく。まだ熟せぬ「青柿」、成熟途上の未完の命、それが断ち切られようとしている「自刃の地」。その一切が悲しみの青一色に染まる。静かにその悲しみが心に迫る。

血のうすくなるまで泳ぐ桜桃忌

 桜桃忌。六月十三日。新戯作派、無頼派とされる太宰治の忌日。太宰ファンにはその死のあり方も含めてさまざま思いをいたす特別な日だろう。それを千葉信子氏は「血のうすくなるまで泳ぐ」と表現する。つまり「濃すぎる血」という批評が前提とされている言葉だと推察できる。ただのファン心理の熱い思いとは無縁のところで、肯定も否定もせず、その「濃すぎる血」故の命の哀しみに寄り添う。過酷な遠泳競技でくじけそうになる選手に寄り添って泳ぐかのように。その泳者は他人ではなく自分の中にある心の一要素かもしれない。

ほうたるの炎のほかは濡れてをり

 螢火自身は火ではないので燃えてはいない。燃えていない炎だから濡れてはいないという散文的論理では解釈不能である。そう言わないでそれを暗示する真意に至るには、思念の跳躍が必要だ。作者は「ほうたるの炎のほかは濡れてをり」と言い、言葉では表現していない「螢火だけが燃えている」という暗示のし方で、その思念の飛躍の根拠を指し示す。螢火はその炎を消さんばかりの水気に満ちた四面楚歌的状況の中で燃えているのだ。そんな現実の火とは位相の違う、命の燃焼という行為の中にいる命。それに寄り添う心の造形である。

赤き露ばかり蒐めて曼珠沙華

 この句では主格としての曼珠沙華が「赤き露ばかり蒐めて」いる。しかも赤色の露ばかり、という選り好みまでして。このように千葉信子俳句では句の中に詠われるあらゆる「もの」たちが、能動的に行為をするのだ。

 それは千葉信子氏の俳句が、観察者的位置からではなく、その俳句世界を心の現実として、生きて行為するように詠む稀有な、いや独創的な現代俳人だからだ。

巻貝の夢のよぢれも冬に入る

卵剥くかさりと寒のほころびる

時雨忌や肝の中まで昏れんとす

一寸の草を跨ぎし冬至かな

 陰暦十月十二日、芭蕉忌。その「肝の中まで昏れんとす」もそうだが、その前の二句と後の一句の季節の「動的」な感受の仕方も独特である。

寄生木やのぼりつめたる冬日向

昼は日を粗づかひして寒明くる

口中の闇ほつと吐く寒の紅

崩るるは寛ぐかたち寒牡丹

 こうして句集『縦の目』の時代は完結する。季節の廻りを全身で受け止めながら、その日そのときを丁寧に生きる息遣いがある。句中のすべての「もの」たちを動的造形として表現する作句法によって、他の追従を許さぬ独創的な表現技法を完成させている。

 そしてこの度上梓された句集『星籠』の世界は次のように始まっている。


2『星籠』

震度6糸瓜は蔓をつけしまま

 二〇一一年、東日本大震災が起こった年だ。千葉信子氏は闘病のベッドの上に居た。

葱坊主この不確かな喉仏

刃より先に海鼠の堅くなる

脈とんで夏の細胞増殖す

釣瓶落しに頓服の苦くなる

 直接的な身体感覚に訴える句が多い。その身体の中に閉じ込められている心はより内省的な響きを増す。

「かあさん」と声して花火ひらきたり

 これは不思議な句だ。花火自身の音、声、言葉のようで鬼気迫る。同時に作者は自分の母に呼びかけ、自分の子等の声も聞いている。時空を超えた広がりを獲得している見事な表現である。

一人分生かされてゐる返り花

 自分が何か大きな力で「生かされて」いると感じるのは、超越的なものへの宗教的な帰依の思いに近い。この句は「一人分」と上五に限定語を置いている。その絞り込みによって、逆に自分以外の命たちへの切ない思いも浮上する。

 千葉信子俳句のもう一つの特徴として、掲句「たはたはと」というような擬音語擬態語(オノマトペ)の使い方の独創性がある。

たはたはと息する桃を剥き了る

薄氷のはたりはたりと水越える

ほたほたと灰均しけり白障子

大空のきしきし動く春キャベツ

クリスマス自販機ひりひり点りけり

野茨にちりちり雨の降る日かな

にんげんのからから生くる原爆忌

曼珠沙華ぞろりと影をへこませる

ひりひりと月下美人のふくらめる

灯の漏れる猫の入口楸邨忌

 かつて師事した加藤楸邨の命日にこの句を光の花束のように心に置いている。戸、壁などに穿たれた猫専用通路の小さな矩形の口から零れるようなささやかな心の光である。

冬花火この骨壺といふ個室

 「この」で、「骨壺」が眼前に置かれているか、あるいは作者が抱えていることも想像される。それほどの抜き差しならない緊張感を表している。そのことがこの句が実景というよりも、心象造形的な内面描写であることを了解させる。「冬花火」という語句もそうだ。夏の季語の「花火」に「冬」を冠していることもその表れである。

 私たちは葬式などに立ち会う習慣から惰性的に他人の死を「体験」できると錯覚している。それは儀式を体験しているのであって、亡くなったその人の死はその人固有のものであり、他者は決して「体験」できない。

 と同時に自分の死をも、私たちは客観的には「体験」することはできない。そういう死のあり方を持つ命の中で、私たちは生きているのだ。それが最後に置かれた「個室」に暗示されている。

「骨壺」は自分の死後の時間の象徴であり、死は基本的に「個」である。そこに命の哀しみがある。

 作者は死後の時間を「骨壺」に象徴させて、その自己喪失の時間を噛みしめ、そのことで今の命を深々と「骨壺」を抱き締めるように愛しんでいるのだ。

影はみな主をもてり冬座敷

 まず一般的な鑑賞の仕方で読んでみよう。

 季節は冬。「みな」を多くのと解釈すれば、広い座敷に座布団を敷いて座を囲んでいる人たちがいる景か。何かの会席めくがそれがなんの集まりであるか不明だ。影が「主」の脇に一つずつ整列している。その空気感を活写した俳句、ということだろうか。そんな「読み」からもう一歩踏み込んでみよう。

 「影」は「主」なしでは存在できない。なぜなら、それは存在ではなく現象だからだ。現象自身は実体を持たない。現象とはそのひととき発生しては消える幻のようなものである。命もそれと同じ現象ではないか。「私」も存在ではなく現象ではないか。そんな幻のような「私」を、確かなものにするのは、それをそのまま受け止めて、「冬座敷」の「座布団」の上に背筋を伸ばして正座しているような、今を丁寧に生きる心の在り方だろう。

梨をむく一人に空の碧すぎる

 この句の「一人」にも「一人分生かされてゐる返り花」の「一人」と同じ響きを感じる。一見、孤独感を噛みしめているように読めるが、自分以外の他者と、この今という時を分かち合いたいという思いを感じる。

空蟬のすがりし草の被災せり

 大震災発生から月日が過ぎてゆき、震災直後には詠めないでいたこんな句が口をついて出てくるようになる。潜在意識に閉じ込めた思いがゆっくり熟す時間が必要なのだ。千葉信子氏には被災地に特別な思いがある。それはやがて明らかになる。それにはまだ少し時間が必要だ。

晩年や柘榴は口を開けしまま

 自分の今を「晩年」と自覚するにはある思い切りが必要だ。過去は足元に分厚い地層のように重なっている。その岩盤のように固くなった地層を下りて、静かに回想するのは容易ではない。力を込めて岩盤を掘削すれば何かが、「柘榴」のようにぽっかりと「口を開け」ている姿に出会うだろう。それを正視できるようになるのが「晩年」というものだ。

急ぎますからと須磨子のクリスマス

 これも人生を回顧する心象を詠んだ句だ。その象徴として炎のように生き急いだ「須磨子」のような他者たちの像が浮かぶ。千葉信子氏の世代にとって松井須磨子の自死の報は鮮明な衝撃の記憶として刻まれているようだ。作者は今になってなぜそんな他者たちの生き方が、自分の心を占拠するのかと訝しむ。

 幸いにして自分は八十の齢を重ねることができたが、心のどこかで「生き急ぐ」思いを抱えていたからだろうと気づかされる。日々を丁寧に生きる者の心にも「生き急ぐ」心の嵐が吹いていた。そんな時代を生きた手ごたえを噛みしめ、「須磨子の」固有の時間だった「クリスマス」を別ち合っている。

睡るには桜が足りぬ血が足りぬ

 これは前章の「リフレイン詠法」俳句としてすでに揚げた句だ。この「睡る」はそのまま睡眠であっても、喩としての死でもいいが、睡りと死という「行為」に通底するのは、それを行うにはそれ相応の充実した力のようなものが要るということであり、それを実感的な思いとして抱えて生きているのである。

月光のころがつている子供部屋

吾 子たちについての回想は美しい。解釈として孫の部屋でもいいが、これは「幻想的」子供部屋である。

しぼむなよ葩もちも埋み火も

「葩餅(はなびらもち)」は味噌餡と甘く味付けした牛蒡を柔らかな求肥で包んだ生菓子である。平安時代の新年行事「歯固めの儀式」に由来し、歯固めは塩漬けした押鮎など、堅い物を食べて長寿を願う意が込められていた。甘煮の牛蒡は押鮎の見立てである。別名「包み雑煮」とも呼ばれる正月菓子である。餅だから、乾く、固くなると表現するところだが、「しぼむなよ」と味わい深く表現して、下五の「埋み火も」の登場を準備している。これは自己激励の句か。

ほととぎす灰のなかには火の遺骨

 ものや、ものごとに観察者として接するのではなく、その行為に寄り添う息遣いを詠む千葉信子氏でなければ表現不可能な句だろう。燃えてしまえばみんな灰、という諦念は行為することのない観察者のものだ。火という燃える命の行為に寄り添う心は、そこに行為の結晶としての「遺骨」を見出すのだ。

舌下錠しんそこ蝶のなまぐさし

 「舌下錠」とは病気や投薬加療に縁のない人には聞きなれない言葉だろうが、錠剤の一種で飲み込んだり噛み砕いたりせずに、舌の下に入れて溶かして服用する薬である。発作などが起きたときや、その予感があるときに頓服で服用する薬である。代表的なものに狭心症のニトロペン舌下錠(通称ニトログリセリン錠、あの爆弾の原料にもなる物質)や、鎮痛剤がある。

 つまり作者は辛い発作の重苦しい予感の中で舌下に錠剤を含んでいる状態なのだ。それがゆっくり溶けて薬の味と匂いが口内に広がっているところだ。その状態を「しんそこ蝶のなまぐさし」と詠んだ。「蝶」の持つイメージで、生きとし生きるものの普遍的な「なまぐささ」の表現へと昇華する

もう急がなくてもよいと桜かな

 二〇一一年に詠んだ「急ぎますからと須磨子のクリスマス」の句と心理的に呼応する句だ。諦念とは違う、今を受け止めて生きる心の定まりのようなもの。

 全部引用したいところだが、なるべく抑えて引いておく。

雪うさぎ着のみ着のままゐなくなる

浮き上がる茄子より青き眉を引く

いつからか笑つていない蛞蝓

心太はらわたのなき突かれやう

躾糸抜きたるごとく天の川

冬の大三角形は尾を垂らす

落椿ふたたびの道現はるる

日輪のすみずみつかふ蟬時雨

心音は中原中也夏帽子

 詩に親しんだものなら、中原中也の詩を口遊むことができるはずだ。例えば、サーカス

「幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました/幾時代かがありまして/冬は疾風吹きました」汚れっちまった悲しみに…の「汚れっちまった悲しみに/今日も小雪の降りかかる/汚れっちまった悲しみに/今日も風さえ吹きすぎる」帰郷」の「ああ おまえはなにをして来たのだと…/吹き来る風が私に云う」盲目の秋の「風が立ち、浪が騒ぎ、/無限の前に腕を振る。」

 こんな言葉が口をついて出てくるほど、深く記憶に刻まれ、何年経ってもすんなりと暗誦できる韻律と、そこに湛えられた上質のリリシズムが、多くの人々の心を今も捉え続けているのだろう。

 東日本大震災のとき、ある人が「無限の前に腕を振る」と唱えながら涙を流し続けたという逸話が新聞に掲載されていた。無限の前に腕を振る……この不滅のリズムと抒情。

 「心音」までが「中原中也」という上質のリリシズムとリズム、中也の詩の根底にある命の根源的な哀しみに通底するものがある。

雛霰われをはなれる吾おそろし

 この句も不思議な句だ。「われをはなれる」のを怖がっているのではない。「われをはなれる」という行為をしている「吾」に対する畏怖心が詠まれている。今までの「われ」ではない未知の「吾」が死後の永い時間に向かい合っている。「雛霰」のつかみどころのない味と軽さの造形が絶妙である。

荒縄のまなかを焦す秋の声

 死が目の前に迫っているという実感を背景に、過ぎ行くひととき、ひとときを噛みしめるように句が紡がれてゆく。

 「二〇一四年(平成二十六年)」

 この年の章の冒頭、次の二句が収められている。

釣瓶落しに福島の表土剥ぐ

ふるさとはフクシマとだけ蘖る

 祖先の故郷でもあり、震災の被災地の中でも原発事故によって人の住めなくなった地のことを、こうして詠めるようになるまで三年の歳月を要したようだ。千葉信子氏は句集の「あとがき」でこう述べている。

 ※   ※

(略)私は大腸癌の開腹手術をしてから寝たきりになってしまった。東北大震災 原文のママ)の日は、往診に来られた医師と看護婦に抱きかかえられて外に出たほどだった。

 病気に加えて3・11以来私の何かが変わった。「3・11猫の仔を見失ふ」は大震災の日に作った句( この句集には収録されていない)だが、私は祖父の地、福島県浪江町のことを考えていた。3・11は父祖の何もかも奪ってしまった。残されたのは記憶だけである。

 その上、原発事故で「フクシマ」の農作物は売れなくなったという。風評被害に心を痛めた男性が、奮起して福島の桃をトラック一台東京で売り捌いたという話を聞いた時、何もできない自分が悔しく、自分が自分でなくなる気がした。

 この無力感が私の俳句を変えてしまった。息子の集めた六百句を二百四十句まで削ったのはこの無力感が関係しているかもしれない。(以下、略)

    ※   ※

 どこまでも誠実に自分を誤魔化さず、真っ直ぐに見つめて、日々を丁寧に生きている人の文章ではないか。自己をしっかり見つめて生きて来た千葉信子氏は、自己表現の在り方を厳しく見つめ直している。

 千葉信子氏のそんな姿勢については別の随想で次のように述べていることでも解る。

   ※   ※

年を経た今、私の内部の韻きに一層耳を傾けるようになった。誰かに共感を求めても、まず自分自身の韻きと調和しないうちは言葉になってくれないことに気が付いたのである。(以下、略)

(「草笛」「二〇〇二年八月)

    ※   ※

 震災体験で得た思いの変化、深まりに添って、自分のこれまでの俳句を見直し、逆に「削る」行為に立ち向かっている。詠まずに詠む行為。その後詠まれた俳句には、もっと深い形であの大震災体験による思いの深まりが刻印されている。

逝きし子にまた打ちかへす紙風船

父の日や黒傘の骨十六本

螢の死だれも返事をしてくれぬ

草は根を真つ逆さまに原爆忌

晩年や消し壺の底あたたかし

鬼灯を揉めば陽ざしも子も笑ふ

外科病棟壁垂直に明け易し

 この次の年、二〇一五年(平成二十七年)は収録句がない。病状が悪化し辛い闘病生活を送ったことが、この「外科病棟」の句で推察できる。次がこの句集の最終年の年。

牡丹を怖がらなくてよいと剪る

 深い含意、喩の働きを持つ句なので、読者はこの句にどんな思いを寄せてもいい。そういう文学性の高い俳句である。「牡丹」は平穏な日常の中に咲いている。だがこの中に燃え立つような命のリズムを作者は感じているのだろう。人による「剪定」という行為は、「牡丹」にとって死への道なのだ。その命の戦きに寄り添う作者の魂の形が見える。

楸邨忌根のあるものは根を太く

 これはすでに「リフレイン詠法」俳句でも揚げた句だ。千葉信子氏の心の中にしっかり根を下ろした、楸邨譲りの人間探求派的視座は、長く太く伸長を継続している。

二千羽の白鳥浮かぶ告知の日

白鳥の匂ひの中へ車椅子

翼ひろげて薄氷の息づかひ

 この深層心理の中に深く思いを鎮めてゆくような白鳥の詠み方には、他では出会ったことがない。「翼ひろげ」の句には鳥の種類は書かれていないが同じ白鳥の姿が浮かぶ。

ふつと発つ仕立ておろしの良夜かな

 「発つ」で切れる句だから、上五の景と、中七下五は別の景と読んでもいい句だ。だから上五は作者が何処かへ旅立とうとしているか、何かを思い立っている景で、中七下五は「仕立ておろしの」のような、真っ新な、まるで初めてのような「良夜」である、と解して、上五の時空を遠巻きに限定していると解するのが順当かもしれない。

 だが千葉信子氏の句中のあらゆるもの自身が行為する様を描き出し、その「心」に寄り添うという作風から推察すれば、やはりここは「良夜」自身が「ふつと発つ」行為をしていると解するべきではないだろうか。

 その立ち現れ方の「仕立ておろし」のような、初々しさを伴って。

 日々の何気ないあらゆるものが、まるで初体験のように生き生きと感じられるのは、作者自身の魂がそうであることの表現だろう。

 そして『星籠』最後を飾るのが次の句だ。

獺祭忌潮より雨のみどりなる

 子規が獺祭書屋主人と号したことに因む九月十九日、正岡子規の忌日である。

 千葉信子氏の「獺祭忌」、つまり九月十九日は別の特別な日となっている。病床にある自分はもう海を見に行くこともままならない。だが窓辺から仰ぐ雨に「潮」より美しい「みどり」を見出している。天から垂直に降る雨に、水平に広がる海の景色を幻視した特別な日だったのだ。

 その日そのひとときを丁寧に生きる千葉信子俳句の、句集『星籠』の最終頁を飾るにふさわしい俳句である。

 

Ⅴ 千葉信子俳句の魂の共振性

 句集『縦の目』の「あとがき」の一節に次の文がある。

    ※   ※

 俳句をはじめておよそ五十年になるが、当時俳句を詠む女性が数えるほどだったから「俳句とは男のもの」と納得したのを思い出す。おかしな話である。

   ※   ※

 「女流俳人」という、どちらかと言えば男性優位的な差別意識混じりの語彙が付けられることなく、女性が一人の俳人として存在できるようになったのは、千葉信子氏のような、独自の文学的主題を確立して、高水準の作品を発表し続けた女性たちの業績の結果だ。

 「俳句を詠む女性が数えるほどだった」時代から現在までを、千葉信子氏は横断的に体験してきている。その中にあって、他の誰にも似ていない独自の方法論と視座で俳句を詠み続けて来た。その独自の方法論とは何か。

 多くの文学者が大震災以後、震災のことを深く内面化し、人生観、死生観を見直す必要に迫られたように、千葉信子氏の『星籠』にもその苦闘の痕が刻印されている。

震度6糸瓜は蔓をつけしまま

釣瓶落しに福島の表土剥ぐ

ふるさとはフクシマとだけ蘖る

空蟬のすがりし草の被災せり

という直接的な表現だけではなく、

トンネルの先もトンネル山笑ふ

胡桃には胡桃の在所母の声

川あれば川をのぼりて稲の花

すずなすずしろ嬰あやすごとすすぐ

さくらさくら雨になる雲ならぬ雲

という「リフレイン詠法」俳句の、命を慈しむような眼差しの俳句や、

一人分生かされてゐる返り花

梨を剥く一人に空の碧すぎる

ほととぎす灰のなかには火の遺骨

もう急がなくてもよいと桜かな

という一見、大震災とは無関係のように見える俳句にも、その作句姿勢を支える深層心理に深く刻まれた思想性が窺える。

螢の死だれも返事をしてくれぬ

 死を悼む行為は死者の為ではなく、遺された者の喪失感の癒しの為である側面を持つ。それはそのまま死者の忘却へと繋がってしまう。そうして死者の声は誰にも聞こえなくなってゆくのだ。それを厭う思いがある。

 震災で大切な人を失くした人は、忘却を拒絶する思いが強く、集団で行う慰霊祭のような行事に抵抗感があるという。千葉信子俳句は、そんな遺族の深い心の在り方に寄り添う俳句である。

逝きし子にまた打ちかへす紙風船

 死者の忘却を拒絶し、死者たちのかつての命をも含むすべての命を、常に今ここにあるものとして魂を共振させる。そんな独特の視座と思想がある。そんな思想でなければ、

牡丹を怖がらなくてよいと剪る

というような一見、酷薄そうな句は詠めない。死者を含む命は「剪」られても作者の魂の今を生きるのだ。

 そんな千葉信子俳句の思想性の特色を一言で言い表すとすれば、「命に寄り添う魂の共振性」とでも言えばいいだろうか。

 命や自然の手触りを、独創的な韻律を持つ身体的言語表現の中に包摂する。

 そんな命の根源的な力に共振する魂の在り方は、生きて在るそのひと時を丁寧に噛みしめることを促す思想だとも言えるだろう。

 それは人間的で普遍的な思想である。

 

Ⅵ 『レクイエム』の世界

 この句集でも、千葉信子氏の命に共振する、魂から紡ぎ出される詠法は健在である。そして妙なる調べのようなリフレイン詠法も。

 レクイエム(requiem)はラテン語で「安息を」という意味で、死者の安息を神に願うカトリック教会のミサも指す言葉である。

 句集のタイトルにされた意思は「安息を」という思いに込められているのだろう。

 それは九十歳になられたご自身に向けられた思いでもあり、戦禍の無くならない世界的な動向の中で、苦しんでいるすべての命に向けられた思いでもあろうか。

 秀句ばかりの句集だが、以下、特に強く感銘を受けた句を摘録して鑑賞してみよう。

つみあぐるものまづ冬日つかみをり

 薄く弱弱しいほどの冬日の中で、それでも希望を失わず、これまで生き重ねてきた自らの命を、光を掴むような思いで積み上げていこうとする意思が詠まれているようだ。

 そのような命に寄り添う意志を感じる句を拾い出してみよう。

 特に注目して欲しいのは、作者という閉じた個体を超越した、作者の汎生命観が顕れている、この世界のあらゆる生きとし生けるものへ注がれる作者の眼差しである。

生まれしは賞罰のなき雪のなか

冴え返る心張棒も肋骨も

臍の緒やおほきな口の鯉のぼり

しろがねの旋律からす瓜の花 

父親になる全身が泳ぎきる

真っ青な地球蚕豆ゆであがる

走り根に触れてみたくていてふの実  

不死鳥の飛び出すまでの牡丹の芽

刃こぼれのやうな日射しを黒揚羽

白絣水のごとくに坐りをり   

初蝶におほきな声をつつしめり

磯海女や日のあるうちは日の匂ひ

蜂の巣の六角わたくしが予約

 この句は蜂の巣をまるでカプセルホテルみたいに「予約」しているようで、ユーモラスで、惚れ惚れとする句だ。

白日傘猫には猫の散歩道

あおむしのぼとりと眠いだけねむる

かまきりの鎌ふりあげし原爆忌

 蟷螂の斧という言葉がある。力のない者が自分の実力も顧みず強い者に立ち向かうことの喩えだが、原爆についてはそれが廃絶されず、軍事的、政治的な抑止力として用いられていることに、わたしは無力感しか抱かないでいるが、作者はそれでも抗議の姿勢を示して止まないでいるのだ。

ふくしまをわけあふやうに桃を剥く

 この句は東日本大震災で負った心身の疵の悼みを分かち合い、風化させることなく、福島の名産である桃のように噛みしめ続けようという意思を感じる句だ。

どの子にも庭をひろげて初雀

 上五を同じくする飯田龍太の「どの子にも涼しく風の吹く日かな」を想起する句で、子どもたち一人ひとりに向けた作者の優しい眼差しが感じられるところは共通している。

 龍太の句は子どもたちが、夏の日差しの中で遊んでいて、汗ばんでいるところにさわやかな風が、わけへだてなく吹き抜けて、その体を冷やしてやっているような景が浮かぶ。

 千葉信子氏の句は、まるで初雀が、子どもたちのために、伸び伸びと自由に遊び回れるような「場」を設けてやっているような、より慈愛の深い作者の思いという抽象観念が、具体的な景として造形されている。そこが龍太句と決定的に違う。

 伝統俳句派の龍太の句は、あくまで人間が主体であり、作中の眼差しは作者の眼差しそのものである。だが加藤楸邨や金子兜太を心の師とする現代俳句派の千葉信子氏の句の主体は、雀という自然の側の命であり、自然が子どもたちを包み込んでいるような「思い」を表現することで、作者の思想的な核心をみごとに造形表現しているのである。

 千葉信子氏の俳句は自然を眺め、そこに思いを託しているだけではないのだ。そこにある命といっしょに生きるという行為をする俳句なのだ。

 それが理解されなければ、次の句を正しく鑑賞することは不可能だろう。

斧始地球もっとも膨らめり

 「斧始」は新年の季語で、正月はじめ、山に入って木を切ってくる行事のことで、樵初(きこりぞめ)ともいう。「地球もっとも膨らめり」というのは、具象表現ではない。そんな角度で地球全体を眺め、写生したりはできないからだ。命の躍動という抽象観念の造形表現なのだ。作者は作中の景を眺めているのではない。その中の一つの命として生きている行為をしている表現なのである。

 ここに千葉信子俳句の核心がある。

冴え返る亀の背中のPEACE文字  

 この句には古代の亀甲占術のような厳かさを感じる。巫女の占いによって平和を祈念する文字が浮かび上ってきているかのようだ。それが「平和」ではなく、英文字であることも、その視点の広さを感じさせる。

風の夜は風にまぎれて鳴く鵠

 この句にも「鵠」に象徴された自然の中の命そのもの手触りがある。

 「俳句は比喩を創りだすことだ」と言ったのは金子兜太だが、千葉信子俳句はすべて、その実践の句であり、一見、写生のように見える句でも、地球に生きとして生ける命そのものの喩であり、そこに作者の文学主題がある俳句なのである。

 例えば、「千葉県本埜郷鳥の五句」という前書きのある連作の句群、

白鳥の嘴うづめる声になる

へたへたと睡る鵠の白からず   

カーナビの北上固定大白鳥

白鳥の四散水の輪もどりゐる

白鳥に嗄れ声を奪はれる

 これらの句も、こう詠む作者の文学的主題の在処が掴めない者には理解の及ばない表現だろう。

銀漢の真下の森の膨らめる  

雄蘂みなどきどきどどど曼珠沙華

「どきどき」の後の「どどど」の畳みかけの韻律が独創的だ。

冬の蝿つまさき立ちをしてゐたり

みずからの翳がらがらと寒蜆

ざうざうと日差しの移る大枯野

雪兎だれが抱きても真っ赤な眼

かたかごの走りきつたるごと寡黙

「かたかご(堅香子)」はカタクリの古語であるが、カタクリが長短距離走をした後のように「寡黙」という直喩表現をしつつ、句全体が命のさまの暗喩的具象化表現なっている超絶技巧が凝らされた表現で、命の息遣いが感じられる。

羊水は人類の海兜太の忌

 敬愛する兜太の忌日を季語として用いて詠むのに、「羊水は人類の海」とする視座の深さと広さには瞠目する。    

佐保姫の袂の触れし風ならむ

 そんな作者だから、季節そのものを負うているような「佐保姫」という季語が好きなことは頷ける。「佐保姫」が春をつかさどる女神で、「龍田姫」が秋の女神である。古事記、万葉集などに源泉を持つ。

  「竜田姫」が裁縫や染めものを得意とする神であるため、対となる「佐保姫」も染めものや機織を司る女神と位置づけられ古くから信仰を集めている。絶景で名高い竜田山の紅葉は「竜田姫」が染め、佐保山を取り巻く薄衣のような春霞は「佐保姫」が織り出すものと和歌に歌われる。俳句の精神文化にも流れ込んでいる、そんな「やまとごころ」を、季語という季節の記号に留まらせることなく、実感的響きの中に置き直している句である。

  「佐保姫」は、元は佐保山の神霊であり、五行説では春は東の方角にあたり、平城京の東に佐保山(現在の奈良県法華寺町法華町)があるために、そこに宿る神霊佐保姫を春の女神と呼ぶようになったという。白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性と考えられている。この句はそんな「佐保姫」の「袂の触れし風ならむ」と、ダイナミックな現代的な実感の中に置き直しているのだ。

   次に揚げる句群は解説なしで、以上のことを念頭に置いて鑑賞してみて欲しい。

山独活の退屈こぶし弛めたる

つくし野のところどころに孫の声

あまりにも雲をはなれて蕗の薹

かたときもはなれぬ虻のずんぐりと

籾浸す芽を出しさうな水平線

イヌフグリ覚めては星に染まりけり              

囀や翼をもたぬ馬一頭

しゃぼんだま碧い地球をよぎりけり    

鞦韆や雲のこぼれしやうに子ら

逃げ水やひとり残らず魚になる

満腹の青虫となら喋れさう

蟻のかほ蟻は知らざりでんでら野

蝮捕り蛇の眼をして現はるる

まっしろな塵となるまで沙羅の花

睡るにもちから金魚の赤すぎる    

山囲ひ錆鮎の息みえずなり

魚棲まぬ水に映りし草の花

ゆっくりと青嶺相寄る藤の蔓

かいつぶり地球そろそろ痒くなる

太陽が重いぞ葛の蔓曳けば

梟の目に梟の空一枚

梟の眼のなかにゐる動けない

走り穂のまだやはらかき息づかひ

山繭にちいさな口のひとつずつ

さくらさくら小さな空の群れたがる

ぼうたんのひとつ無音をわかちあふ

山椒魚闇吐いて闇ひきのばす

草いきれ地球これほど狭いとは

青竹の大きくまがる蝸牛

火の山の切羽ざくろの実が破裂

薔薇垣に猫現はれてかくれけり

くすぐったくてくすぐったくて黄落

はるかなる翅音銀河流れをり

鰯雲蛇口ひねれば鼻濁音

ふつふつと地球のまはる月の暈

鷲掴みせし新藁に星の声

神送り闇抜けて闇広げたる

ほんとうは火の鳥の声椿落つ

寒月やおほきな星のひびきけり

冬銀河メタセコイヤにかくれけり

 たくさん引いてしまったがどうだろうか。千葉信子俳句の、命に寄り添い、自らもその躍動そのものとなって句を詠むダイナミズムを存分に味わっていただけたのではないだろうか。

 千葉信子俳句が独創的なのは、その視座だけではない。時事詠も巧みにその「事件・事象」のただ中の命に寄り添う視座が際立つ句が多い。

耳たぶの孔が冷たいレノンの忌

逝きし子の肩上げを解くさくらさくら

砂の風砂にかへして沖縄忌

螺髪めくでんでんむしの生まれけり

       (ロシア軍ウクライナに侵攻)

野につらら岬につらら戦死報

溶けてゆく耳傾けて雪兎        

お手玉も雛も知らず逝きにけり

鐘供養風の素描は風が消す

啄木忌声なきもののざわざわす

       (齋藤愼爾先生訃報)

いつのまに春風となり逝きたまふ   

桜蕊降る渾身の訣れかな

        (ロシア軍ウクライナ侵攻二年目)

父の日や精子保存して戦場へ

 一言では言えない悼みと鎮魂の思いの、静かな造形表現がある。

 次がこの句集の掉尾に置かれた句だ。

レクイエム歩く速さで寒に入る

 この句が句集の表題にもなっている。

 まさに時代に向けたメッセージであると共に、作者の内的思いの表明であろう。 

                                                                      ―了

  

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