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「第39回 現代俳句評論賞」受賞のことば

   豊かなる古謡的韻律の源淵を求めて       武良竜彦
                     
 石牟礼道子の魂の伴走者で、その作品を世界に知らしめることに尽力した評論家の渡辺京二氏が、
「重要なのは、彼女の作品の構造、文章の特質を分析し、その特異さが何を意味するのか理解することだろう。その作業はほとんどまだ行われていない」
と二○一三年の時点で述べていた。
そんな文学作品論的な空白を埋めることを志したのが、本稿の起稿の目的である。
本稿では石牟礼の全ジャンルの作品の構造分析をして、俳句作品との関連を論考した。
文学作品の評論とは「作品行為論」的手法で、作品の孕む深淵な主題を探り当て、その可能性について論考するものだ。その意味で本稿は石牟礼論の序論に過ぎない。
石牟礼文学は、現代の世界文学的な水準から見ても、最前衛的価値と深度を有している。
非文字文化の伝承的古謡の調べと、それを支える魂を蘇生させる力を有している。
肉声による古謡に内在する魂の力は、自然と直接的に交感する言霊的、憑依的、呪術的韻律文化である。
その力は、現代俳句を内側から蘇生させる可能性を秘めている。
論考すべき石牟礼文学の真の論点はそこにあると言うべきだろう。
論考執筆の場を与えてくれた高野ムツオ氏、齋藤愼爾氏に、この誌面を借りて御礼申し上げます。本稿を評論賞として全員推挙されたという六名の選考委員の方々にも御礼申し上げます。

   ※     ※

制限字数が500字であるため、大幅に省略した文章になっています。
以下に、省略せざるを得なかった若干の補足説明をさせていただきます。


【補足注】  

〇 渡辺京二氏の言葉

「新たな石牟礼道子像を」という論考の中の言葉です。「環」53号(藤原書店2013年4月)初出。同年刊行された『もうひとつのこの世――石牟礼道子の宇宙』(弦書房2013年6月)に収録されています。この言葉の直前の文章を次に引用します。
「彼女の作品世界の現代に対して有する思想的意義は、すでに解かれ始めている。それは計量化され合理化される現代人の生活に対する批判・懐疑として、広く行われている思想的言説の一部として、彼女の作品を読み解こうとする試みである。」
この文章の後にこの「重要なのは、彼女の作品の構造……」という文章が続いているわけです。
 石牟礼作品は読んでいても、それらについての評論を私はほとんど読んでいませんでした。私にとっては渡辺京二氏が言うような読み方をするのが当然と思っていましたが、どうやら、石牟礼作品が「文学」としては論評されていなくて、現代思想的分野で主に論じられているらしいことを知って、逆に驚いたのでした。
 そこで石牟礼世界について書かれた評論も読むようになりましたが、確かにそのほとんどが、渡辺京二氏が指摘するような評され方ばかりでした。
 石牟礼文学はまだ文学として評されていない、それは文学畑の人がほとんど石牟礼文学を本気で読んでいない証拠ではないかと思い、暗澹たる気持ちになったのでした。
 ちゃんとした文学批評の文脈で評論が書かれなくてはならない、とその時思いました。本稿で書いたような構造分析はできるのですが、いざ、評論として成立させようとすると、茫漠としたものになって、なかなかうまくいきません。
 つまり、論として何に焦点を絞るべきか、長い間、途方に暮れてしまっていました。
 童話だけでなく、俳句を作るようになり、俳句批評文も書くようになっていたとき、石牟礼道子には俳句、短歌、詩の韻文作品があることを知り、それを読み込むうちに、俳句を軸とした文学表現論という切り口なら、なんとかまとまりのある評論にできると思い始めたのでした。
 その試行錯誤の結果が、今回の受賞作というわけです。
もし本稿を渡辺京二氏が読んでくださる機会があったら、「そうだよ、こういう仕事をしてくれなくてはいけないよ」と言って頂けるでしょうか。
 

〇 最前衛的価値と深度

 石牟礼文学は近代日本文学が描くことができなかった世界に初めて言葉を与えて表現した世界です。産業とか労働というような近代的認識が邪魔になっているから描けないのです。彼らの世界に「労働」という概念はない。そんな知識や近代的自意識以前の、森羅万象の中の一つである命の直接性で自然と交感して生きている姿を描き出しています。いわば言葉以前の半神話的な世界で生きている者たちの魂を、共感をもって描きだしています。
 『苦海浄土』は彼らのそんな世界が近代と出会うことで生じた文明の軋みの表現ですが、『苦海浄土』以外のたくさんの作品には半神話的、民話の最古層的な世界が描かれています。時折挿入される登場人物たちの肉声による歌は、不思議な太古の韻律に満ちています。それがなんと既成の伝承歌の引用ではなく、石牟礼道子の「創作歌」なのです。
『おえん遊行』からそんな歌の一つを引用します。

 波の上なる 風車
 からりん からりん
 
 ゆく先は 
 親をみちびく
 闇 ろくどう

 何かぞくっとするような、私たちの深層心理を揺さぶるような響きを感じます。他にも魅力的な古謡的な挿入歌がたくさんあります。
 このように能や説経節的な韻律を現代に甦らせている実験的な小説でもあります。
 渡辺京二氏は石牟文学の世界文学レベルでの最前衛的価値を指摘しています。
 現代ラテン・アメリカのガブリエル・ガルシア=マルケスやホセ・ドノソと比肩する世界最先端文学の一つであり、日本近現代の文学では、どこにも位置づけられないが、日本の最古層の韻律をたたえる古典文学の系列に位置づけることができる、独特の価値を有する文学であると述べています。同感ですね。
このように文学的表現の強度の面から言っても、その豊かな古謡的韻律に満ちた表現は、日本文学を活性化する力を秘めています。
 とくに私たちが携わっている俳句は、その韻律に学ぶべきでしょう。

○ 俳歴

1993年(平成5年)
高野ムツオ第二句集『鳥柱』の栞文「『鳥柱』の方へ『かげろうの家』発、午前零時」

2013年(平成25年)
第六回佐藤鬼房顕彰俳句大会奨励賞
 
2014年(平成26年)
第三四回現代俳句評論賞佳作「不可能性の文学の大いなる可能性―高野ムツオ句集の軌跡から」(「現代俳句」に掲載)

2015年(平成27年)
第九回小熊座賞佳作「後の余白」(「小熊座」に掲載) 

2016年(平成28年)
齋藤愼爾句集『陸沈』巻末解説文「葬送の螢袋」、栞「〈喪郷〉の眼差し」

2019年(令和元年)現在 
「小熊座俳句会」同人。

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