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永瀬十悟句集『三日月湖』考     ――持続し深化する「非日常」的眼差し

永瀬十悟句集『三日月湖』

☆ 『橋朧―ふくしま記』では何が表現されていたか

 二〇一八年九月に上梓された永瀬十悟氏の新句集『三日月湖』(コールサック社刊)の鑑賞に入る前に、東日本大震災直後に詠まれた「ふくしま五十句」と、それを含む前句集『橋朧―ふくしま記』について振り返っておこう。
 『橋朧―ふくしま記』について書いた鑑賞文のサブタイトルを「静かに定まる俳人の『非日常』的眼差し」にしたが、今回も「非日常」的眼差しという言葉をサブタイトルに用いた。
こ の言葉こそが永瀬十悟俳句の表現方法を象徴する言葉だと思うからだ。
『橋朧―ふくしま記』の「あとがき」で永瀬氏はこう述べていた。

  私にできることは汚されてしまった自然や暮らしに俳句で向きあうこと。日常は実は非日常からしか見えないのではないか。今これを心に刻まなければという思いでした。

 この言葉をそのまま読めば、震災や原発事故という「非日常」体験によって、私たちの「日常」がよく見えるようになったという意味に取れる。
だが、永瀬氏の震災以前からの俳句の詠み方の中に、俳人としての非凡な「非日常」的眼差しがすでに確立していて、その冷静で客観的な眼差しによって、普通なら見落とす大事な暮らしのリアリティ、部分に宿る全体、変哲もない風景に潜む命の本質的真理が見えていたことの表明でもあった。
つまり「非日常」の眼差しで、日常をよく見つめて生きることの大切さを述べられた「俳句表現論」の言葉なのである。
そ れが私の独断的誤読ではないことは、永瀬氏の次の言葉が証明している。

  俳句には身の回りにある命のいとなみを込めることができます。一歩一歩前へ、季節のうつろいの中に産土福島の力を感じています。

 震災直後、多くの俳人たちが、熱に浮かされたように、人間の生命力や自然の復活力、被災者への祈り・絆、励ましというような類型的な、通俗的「意味表現」に引きずられていたことを思えば、ここに永瀬氏の俳句に対する姿勢と独自の表現方法があることは明白である。
 文学足らんとする自己表出表現の俳句を詠むということは、「表層的な感動」を「詠嘆的に諷詠」する趣味とは次元を異にする。趣味ではなく、ものごとの奥に潜む本質に肉薄する「非日常的」眼差しで日々を生きるということだ。それには表現主体の精神が静かに定まっている必要がある。
 角川俳句賞を得た「ふくしま五十句」は、震災から二か月という短い間に詠まれたものだ。その後、情緒的な詠嘆型の震災詠が俳句界に溢れる前に、そこに陥ることなく、永瀬氏が独自の文学的表現で震災を表現できたのは、日ごろから氏の生きる姿勢の中に「非日常」的眼差しが確立していたからに他ならない。そのことを示す句を以下に摘録する。

 激震や水仙に飛ぶ屋根瓦  
 無事ですと電話つながる夜の椿 
 淡雪や給水の列角曲がる 
 燕来て人消える街被曝中 
 大なゐの後の春泥生臭し
 ガソリンの無ければ歩く彼岸道 
 県境にとどまる宅急便と春 
 流されてもうないはずの橋朧 
 陥没も地割れも花菜道となる 
 なゐ過ぎし百間土手に小鳥の巣 
 避難所に春来るキャッチボールかな

 
 日本詩歌の伝統的な過剰気味の詠嘆を排除して、日常に潜む非日常、非日常に遍在する日常を的確に過不足なく描きだす手法で詠まれている。
例えば「燕来て」という「季語的情景」に、まるで工事中とか故障中と同じ語感で「被曝中」という言葉が選び抜かれて置かれている。違和感なく俳句としてすっと読めた直後に、そら恐ろしい程の怖さで心が波立つ思いがする。
 「宅急便と春」が等価的並列で「県境」で足止めを食っている。流通に支障が出ていることに加えて、春の遅延、つまり季節そのものを喪失している非日常が、俳句的韻律で読者の心を直撃する。
 そんな独創的な表現技法がさりげなく使われているのだ。
「流されてもうないはずの橋」という表現で、その深々とした喪失感と、その背後にある暴力的破壊の果ての光景と、作者の思いが「朧」という季語的感慨や詠嘆を突き破って読者の胸を覆いつくす。
「陥没も地割れも」とフォーカスしてから、「花菜道となる」という時間軸へと誘う巧みさ。
 多くの俳人が震災詠に挑んだが、その後、それぞれの日常に戻ってゆき、その後の被災地のことは視界から外れてしまう。だが、永瀬氏たちのように被災地に暮らす俳人は、深々とした喪失の光景の中で日々を送り続けることになる。「花菜道となる」という時間軸を表す言葉には、その非日常的日常に対峙する、表現者としての俳人の覚悟のほどが込められているのだ。
そしてそれは持続する。
 いや、持続することを意思する。
 その結晶がこの度の句集『三日月湖』であると言わなければならない。

☆ 『三日月湖』その深化する「非日常」の眼差し

『橋朧―ふくしま記』では震災詠以外に福島の四季を詠んだ俳句が収められていた。前半の第二章では震災後の二年、後半の第三章ではそれ以前の四季の俳句が。それを読むことで読者は、永瀬氏が震災体験以前から、「非日常」的眼差しで福島の自然豊かな「日常」を詠み続けてきた俳人だということを知ったのだ。
『三日月湖』においても、全七章の真ん中の第四章に「ふくしまの四季」と題して震災詠ではない俳句が収められている。ここにも永瀬氏の控えめな主張がこめられている。その主張とは何か。
 それは震災詠を「させられている」のではなく、その場所に地に足をつけて暮らしている者として、日々の暮らしの中に出現した「帰還困難地域」という荒涼たる故郷の変貌の姿を、豊かで不変の「日常」と対比しつつ、その双方を「非日常」的眼差しで詠み続けるという「持続する志」である。
 この方法でなければ、この句集が獲得した創造的時間軸の表現は不可能だったはずである。
 そこには今があり、今を今たらしめる確固たる過去があり、地続きの未来がある。その時間軸を俳句韻律に詠み込むことで、原発事故禍がもたらした「帰還困難地域」という現代文明を象徴する事象の、非現実的なまでの永い時間軸におよぶ加害性・加虐性を、見事に表現することが可能になったのである。
 それは他の現代俳人の誰も成しえなかった文学的成果でもあると言えるだろう。俳句界全体が未曾有の体験に浮き足だっていたが、このような永瀬氏の震災詠が、そのお祭りめく狂騒を沈め、震災体験を深く内面化して詠むという方向への、大転換を促したと言っても過言ではないはずだ。
『三日月湖』の題名の解題も含む「あとがき」の一部を次に抄録する。

 句集名は「鴨引くや十万年は三日月湖」からとりました。私は学生時代に環境調査のために原発周辺に通っていましたが、その思い出の地が今は立入禁止となってしまいました。放射性物質が無害になるには十万年の時を要するといわれています。想像も及ばない時間です。ひとたび事故が起これば放射線の影響は取り返しのつかないものとなります。しかし原発事故直後の脱原発の流れはいつの間にか変わってしまいました。被災地は置き去りにされ、取り残された三日月湖のようです。

 治水技術が未発達な時代、川はゆったりと蛇行して平野を下るという「自然」の法則によって流れていた。上流の水量と水流が時間軸とともに変化して、その蛇行の一部を破壊し直線的に繋がってしまう。するとその途中にあった水の湾曲、つまり三日月形の蛇行は上下を本流から断ち切られ、孤立した湖と化す。そのようにしてできるのが三日月湖だ。
この句集では「帰還困難地」となってしまった被災地全体、場所だけではなく、そこにあったはずの暮らしと文化まるごとの棄民、棄村、棄文化の、見事なまでの文学的アナロジーとなっている。それを句集名とした永瀬氏の深い文学的感性に、まず読者は敬意を感じてやまないだろう。
『三日月湖』は次のような構成になる句集であり、『橋朧』以降、七年の歳月を貫いて詠まれた永瀬氏の心の軌跡でもある。

 第一章 ひもろぎの村
 第二章 三日月湖
 第三章 更地の過去
 第四章 ふくしまの四季
  Ⅰ 春告鳥
  Ⅱ 夏霞
  Ⅲ 秋珊瑚
  Ⅳ 冬青空
 第五章 シャドウボクシング
 第六章 沈む神殿
 第七章 かなしみの星

 中間の第四章に震災後詠から距離をおいた福島の産土詠を置いた、構成上の意図については先に推論を述べておいた。
 章を追って印象的な句を引いてその鑑賞に進もう。

〇 第一章 ひもろぎの村

 この章には次のパラフレーズが置かれている。

   原発事故により避難を余儀なくされた地は、神聖な場所のように静まり返っていた。

「ひもろぎ」とは古語では「ひもろき」といっていたもので、漢字では【神籬】と書く。神事で、神霊を招き降ろすために、清浄な場所に榊などの常緑樹を立て、周りを囲って神座としたものである。のちには、神の宿る所として室内・庭上に立てた榊などの常緑樹もさすようになった。また神に供える肉・米・餅などを指す言葉ともなった。
 パラフレーズにある「神聖な場所のように静まり返っていた」と畏敬の念をもって、無人と化した荒涼たる「帰還困難地」の光景を表現し、聖域的な呼称「ひもろぎの村」という言葉をこの章の題名としたことに、永瀬氏の深い表現意図がこめられている。
  
 逢ひに行く全村避難の地の桜
 村はいま虹の輪の中誰も居ず
 七夕の雨産土(うぶすな)を洗ふやう
 棄郷にはあらず於母(おも)影(かげ)原は霧
 楪(ゆずりは)や更地に残る屋敷神
 村ひとつひもろぎとなり黙(もだ)の春

 一句一句の鑑賞文を書こうと思っていたが止めておこう。これらの句を読んだ読者の胸に、得も言われぬ訴求力をもって、これらの畏敬的表現に込められた、ひとことでは言えない複雑で味わい深い文学的主題がストレートに迫ってくるのを感じるはずだ。 
 先走りになるが、第六章「沈む神殿」の滅亡した文明の跡地へ思いを馳せる句群を経て、第七章「かなしみの星」に至って、無残に崩壊した原発の姿を「神殿」的喩で詠むことで、第一章の「ひもろぎ」の章の俳句たちの、畏敬に満ちた表現と呼応する構成になっている。その表現意図は見事に成功していて、ただのアイロニーや社会批判を超えた文学的表現となっている。だから読んでいて深く心に刺さってくるのだ。

〇 第二章 三日月湖 

 この章には次のパラフレーズが置かれている。

  原発事故後、放射線量の高い地域が三日月湖のように残された。

 この文学的主題を胸に次の句を黙して各自、鑑賞されるとよい。

  目かくしのままの雛よ標(しね)葉(は)郷(ごう)

 標(しね)葉(は)郷(ごう)とは福島県東部の双葉郡の町のことだ。一九五一年に県下町村合体モデル第一号として新山町と長塚村が合体して標葉町が誕生した。一九九五年当時で人口七九九〇人だったという。原発事故が起きたときはそれより多くの人が住む、自然豊かな町だったのだ。「雛」にはひな人形と、寂れた土地の二つの意味がある。それが「目かくしのまま」であるという表現が胸を打つ。
  
  除染袋すみれまでもう二メートル

 町は無人化しただけではない。放射性物質によって汚染された土を除染作業で詰めた袋が山のように積み上げられ、無人の地を日々侵略しその「領土」を拡張し続けているのだ。「すみれまでもう二メートル」の緊迫感に満ちた造形表現が見事だ。実際に目撃した光景かもしれないが、それにこのような言葉を与えた創作行為と、その眼差しに文学的価値があるのだ。

  鴨引くや十万年は三日月湖
  月光やあをあをとある三日月湖

「鴨引く」の句については先に触れた。この句集の主題が詠まれた句だ。鴨は越冬のために秋に日本にやってくるが、暖かくなると繁殖地の極東ロシア方面へ戻っていく。春になり北方へ帰っていく鴨の群れのことを季語で「引鴨」といい「鴨引く」という。そんな生物の生態的リズムの地球的命の様。句はそこで切れて、「十万年は三日月湖」と続くが、この「は」は曲者だ。素直に地球史的大地の変遷の永い時の表現と読んでもいいが、放射性物質の無害化に要する時間という途方もない環境破壊、人類への加害性を象徴する時間でもあるという知識は、原発事故によって一般人が知ることになったことだ。
「十万年と言ったら、三日月湖が形成されるような永い時間じゃないか」
という不条理な思いが込められている。その思いは次のような句にも込められているのを感じる。

  汚染土も土なり蟬の羽化はじまる

 そして自然だけでなく、作者の「非日常」的眼差しは人の営みにも分け入ってゆく。

   塞がれしポストの口や去年今年
   初空や廃炉作業の人の列

 無人の町のポストの口は塞がれ、新年の空の下、延々と続く「廃炉作業」のために列を為す人達がいる。被曝することを前提とし、その浴びる線量を計測管理し、その限界までという条件つきの過酷で非人道的労働を人に強いる不条理な事態が日常化している。だが被災地から遠く離れた多くの日本人は、明るい「復興」の話題にしか興味がない。文学はそれを語り続ける使命がある。作者の持続する志の根拠がここにあるのだ。
 そしてこの章は次の句を掉尾とする。

  廃炉後の曠野を巡る蝶の夢

 想念の時空を突き抜けて飛翔する作者の思いがここに刻まれている。

○ 第三章 更地の過去
 
 この章のパラフレーズは次の通り。

  地震、津波、そして原発事故による避難で、多くの場所が更地となった。

 被災地の「更地」にフォーカスを絞った俳人はあまりいない。「復興」が可能な地なら、一時的に「更地」となって、建造物その他で埋め尽くされる期間限定の状態であり、短いその期間のことは人々の意識にすら留まることはない。
 だがここは「帰還困難地」という、長い長い時間「更地」の状態に置かれる「非日常」が「日常化」した場所なのだ。そのことに含まれる文学表現上の主題性を看破し、永瀬氏はそれを句集の一章としているのである。

 三月や今も沖には過去のあり
 除染の水浴び陽炎の家となる
 堤防の高きみちのく遍路道
 土削る除染よそこは雲雀の巣
 どこまでも更地どこまでもゆく神輿
 夏草や更地の過去を忘却す
 産土は胸中にありお野馬追
 更地とは片陰もなくなりしこと
 まなうらにうしろ姿や盆の道

 この深々とした喪失の調べ。沖から押し寄せてはすべてを奪い去った津波が戻った「沖」にすら「過去」がある。だが夏草が生い茂る更地にはその「過去」さえ消滅してしまう。あの夏の日の強い日差しを遮ってくれた、家の廂や街路樹がつくる「片陰」すら「更地」にはない。記憶の依り代を喪失するということの重大さを国家は知らない。「胸中に」だけある追想の「お野馬追」という文化。それらが「うしろ姿」なって「盆の道」に揺らぐばかりだ。
 高い堤防で海は遠くに押し退けられ、堤防の白々しいまでの一直線の土手道は、まるで巡礼の「遍路道」のようだ。かくも長き「更地」は文化の死であり、虐殺である。鎮魂のように、また穢れを祓う祈りのように「神輿」だけが、「どこまでも更地どこまでもゆく」ばかりである。
 この章の掉尾に作者は次の句を置く。

   寒北斗仰ぎて一歩また一歩

 読者はこの句に、それでも一歩一歩と「復興」に向けて歩みを進めようとする意志を読み取るだろうか。どう読もうがそれは読者一人ひとりの自由だが、私はその一歩一歩に、今まで述べたような深々とした喪失感と、鎮魂と穢れを祓う祈りの思いの双方を受け取らずにはいられなかった。

〇 第四章 ふくしまの四季

 ここで句集は鮮やかな転調をする。
 音楽のシンホニーとか交響詩などの構造的な楽曲で言えば、第三章までが第一主題の提示であり、その主題が一本調子の表現に陥らないために、またより豊かな表現へと効果を高めるために、別の角度から差し込む光のように、副主題、あるいは第二主題の提示へと転調する。
 その意図はすでに述べたのでここでは繰り返さない。
 Ⅰ春告鳥、Ⅱ夏霞、Ⅲ秋珊瑚、Ⅳ冬青空へと一巡する季節という時間軸にそって詠まれる、

Ⅰ 春告鳥より

  さみしさを知り初めし子と花種蒔く
  杼(ひ)と筬(をさ)のあはひに春日織り込まる

Ⅱ 夏霞より

  手ぬぐひに広がる水や夏霞
  そら豆の莢のがらんと残りたる
  容赦なく叩く雨粒蟻の道
  空蝉のびつしり橡はやさしい木
  大なめくぢ這わせて橅(ぶな)は母なる木
  雨あがる毛虫にやにや木もにやにや

Ⅲ 秋珊瑚より

  ふところに鬼の子を入れ名もなき木
  銃担ぐ案山子(かかし)がをりぬ心せよ
  色変へぬ松に凭(も)たれて猿田彦
  大雨の後の邯鄲(かんたん)澄みとほる

Ⅳ 冬青空より

  裸木に裸木の影重ね合ふ
  牡丹焚火照らされてゐる我が無明
  青々と牡丹供養の燠(おき)浄土
  牡丹焚火地球の色となりをはる
  星ひとつ抱き梟の下通る
  妻の好きな少しやくざな焼芋屋
  かもめ百放り投げたり冬青空
  食物連鎖危ふしと言ひ薬喰(くすりぐひ)

 以上は私の極私的嗜好で選んだものである。お断りしておくがこのような俳句ばかりでなく、日常の細部に込められた思いに投網にかけたような秀句ばかりである。全部を引くわけにもゆかないので、ここでは特に永瀬氏の非凡な表現の冴えを感じる句だけを選出した。
もう私の鑑賞、解説など無用だろう。福島の豊かな自然と、その中の暮らしのリアリティを、読者は堪能するだろう。

〇 第五章 シャドウボクシング

 この章のパラフレーズは次の通り。

  東日本大震災の前年は就職難が続いていた。この年、職業大学校の若者のキャリア形成と就職支援に携わる。

 人口減少の傾向で若者の就職状況は売り手市場だというのは国家規模の統計の話でしかない。東北などの地方では「就職難」は恒常的課題であり続けているのだ。作者はその就職支援に携わり、その折々に詠んだ句が収録されている。
 このパラフレーズで、読者は気が付くであろう。そういう産業の少なさと職業事情が、原発誘致という地方財政の背景にもなっていることに。
 
  求人のぴたりと止まる土用寒
  志望動機あれこれ夕焼美術室
  内定を取消す電話鵙の贄
  満月を相手にシャドウボクシング
  家庭環境聞かれましたとうそ寒し
  神の留守母子家庭ですけど何か
  身に入むや求人開拓の一日
  ひとりぼつちの東京聖樹ばかりです
  マスクして面接までを耐へており
  自分らしく働きたいと春を待つ
  卒業や海を見に行くオートバイ

 厳しい現実に立ち向かう、ともすれば孤独感や劣等感に苛まれがちな若い心に寄りそう、永瀬氏の優しい眼差しが溢れる秀句ばかりである。

〇 第六章 沈む神殿

 この章のパラフレーズは次の通り。

  かつて、中米グアテマラの密林に千年前に滅びたマヤの遺跡を訪ねたことがあった。

 先に述べたように、この一見、句集全体の内容と無関係に見えるこの第六章が、最終章の第七章「かなしみの星」にたどり着くための変奏的第三主題の章である。先走りになるが第七章はより深みを増した第一主題への回帰による終結楽章である。その直前に置かれたこの章の俳句群という第三変奏が、最終楽章をより深い主題の提示とすることに成功している要因である。

 火を熾すことにはじまる祭かな
 起し絵のひとつ火の鳥物語
 片陰の壁の落書きチェ・ゲバラ
 侵略者の教会残り大西日
 草いきれ神殿跡に読めぬ文字
 神殿は巨大な墳墓蔦茂る
 なにもかも黄金に染めスコール来る
 

 解説、鑑賞は控えておこう。この「滅んだ文明の遺跡」そして「神殿」という言葉を含む句から受けた余韻を胸に、最終章「かなしみの星」に進もう。

〇 第七章 かなしみの星

 この最終楽章にはパラフレーズは置かれていない。何故か。
 それはこの楽章が第一章から第三章までに奏でられた「第一主題」への回帰的完結部だからだ。もう何も予備知識はいらない。
 より深みを増した煌めく変奏的第一主題に耳を澄ますだけでいいのだ。

  原子炉を海市に並べ海の国

 「海市」とは俳句に親しむ人なら既知の蜃気楼のことで晩春の季語である。
 この句がこの章の一句目に置かれている。読者はここで作者がまた真正面から原発事故禍に取り組んだ俳句に遭遇する。そして気づくのである。この句集がその第一主題を最初と最後に置いて、福島の今を挟み込む構造で編集されていることに。
 
  大牡丹闇に浮くなり地震の国
  難民の舟に美し過ぎる銀河

    
 蜃気楼に揺れるような「海の国」に、経済優先と核技術保持を望むこの国の人々が乱立させた「原子炉」が何をもたらしたか。

  それからの幾世氷の神殿F
  神殿と崇めし建屋狐住む
  神殿に打ち寄する濤冬の雷
  何の廃墟か枯野の大円柱
  

「明るい未来を開く原子力」と讃えられ、貧困に喘ぐ地方財政にとって原発を誘致して稼働させることは、金の生る木をただで植えることに等しかった。まさに経済神殿として人々が崇めていた日々こそが「非日常」の「日常化」という事態ではなかったか。
 だが栄枯盛衰、その神殿は崩壊した。
 その周囲を「帰還困難地」という場所とする狂暴な加害の凶器となって、人々を苦しめる結末となったのである。
 ここに至って読者は、この章の一つ前の第六章に「沈む神殿」という表現が置かれたことの真意を悟るだろう。
 そしてこの章の終結部に置かれた句の深い余韻と共に、この句集の扉は閉じられるのである。

  泥土より生まれて春の神となる
  耕して握る真土やとこしなへ

 この句集が閉じられたその瞬間から、表現者、永瀬十悟氏の「非日常」の眼差しを携えた持続する志は、さらなる深化を遂げながら、新たな時間軸を創造する旅を続けるに違いない。
                (二〇一八年十月二八日 記)    

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