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現代俳句とはいかなる言語表現だろうか

 ※ これは約10年前の東日本大震災直後の論考の再録です。

一 アングルを後方に退いてみる

現代文明の諸問題が一気に噴き出したような二○一一年三月の東日本大震災を、直接的な被災者ではないが間接的に体験して、私はある思いに囚われていた。
それは「人類はこんなところまで来てしまったのに、従来通りの言語表現に価値や可能性があるのだろうか」という思いだった。
その思いと呼応するかのようなタイミングで、「小熊座俳句会」の会誌「小熊座」の二○一一年六月号において、編集長の渡辺誠一郎氏は「俳句時評 大震災に想う」でこう書いた。実際にそれが書かれたのは四月だ。

「言葉が震災によって胸奥に開いた得体のしれない空白を埋められないでいる」
「思考を止めることは言葉を発することをやめることに他ならない。新しい言葉が欲しいといったら、今までの言葉は敗北したことになるのだろうか」

 表現者としての危機感に無自覚ではいられない率直な言葉だった。
それは当時から今に続く、多数の俳人が抱いた思いだったのではないか。
それから多くの俳人たちが、震災体験が齎した得体のしれない、まだ名づけ難い何かとの格闘を開始した。俳壇でもさまざまな議論がなされた。
このような震災時、短い表現形式の俳句は無力ではないかというのが、その代表的な問いだった。
しかし、それらのことは、表現主体である作者が、詠もうとする題材を自己表現として内面化できているのかという、表現の大前提を問うことの中に含まれてしまう枝葉の問いでしかないように、私には感じられた。
真に問われるべきことはなんなのか。
冒頭で引用した渡辺氏のような、表現の本質にかかわる問いではないか。それは俳句の立ち位置自身を問う根源的な問いである。
換言すれば、俳句の文学的今日性についての真摯な問いであると言えるだろう。
「敗北した言葉」とはなんだったのか。
「新しい言葉」とは何か。
アングルを思い切り後方に退いて、改めて考えてみたい。
現代俳句とは如何なる言語か。
それが本稿の問いである。

吉本隆明の芸術言語論に倣うなら、表現における言語は二種類に大別できるという。
評論文などに代表される論理的な説明的文章。これを吉本は「指示表出言語」と呼ぶ。
俳句、短歌、詩、随筆、物語などの文学的文章。これを「自己表出言語」と呼ぶ。
抽象論では解りにくいので、「指示表出言語」の最たる例を次に引用する。

「わが国では約1,000炉・年(各原子炉の運転年数を全原子力発電所について加算した総和)の運転実績があるが、大量の核分裂生成物を放出するような炉心損傷事故は一度も起こしていない。このことは一基(炉)の原子力発電所に換算すると、1,000年間も炉心損傷事故を起こしていないことを意味する」
「炉心損傷事故によって最も高い放射線被ばくをするグループでも、リスクが自動車事故と同程度であるので、事故発生頻度を考えると、原子力発電所の安全性は自動車事故よりも一万倍以上安全であることになる」
(村主進「原子力発電はどれくらい安全か」原子力システム研究懇話会 原子力システムニュースVol.15,No.4)

計算上、千年無事故であることを以て「安全」と見做し、自動車事故より「一万倍以上安全」だから、原発を造ってそこで人を働かせても良いという「論理」が展開される。
これが世に溢れている「指示表出言語」である。説明的文章には、読者を論理で説得しようとする機能しかない。論理的で客観的であることが必須条件となる。
客観的で論理的であるから「真実」であると、読者に了解させるためには、際限のない「論証」行為の積み重ねを行わざるを得ない。それだけではまだ論証されていないことがあるのではないか、と疑問を差し挟む余地が無限にあるからだ。
結論から言えば、読者がそれを「真実」として心から納得することはない。それは「指示表出言語」の成り立ちからくる宿命だ。
そしてもっと重要なことは、「指示表出言語」は、論理を展開するとき邪魔になる「現実」を削ぎ落とした記号となることを志向してしまうということだ。現実から統計的な量を取り出し数値化して、ものごとを論証しようと志向する。このことが言語自身の軽量化を招き、限りなく現実から遠ざかってしまう欠点を抱え込むことになる。
先に引用した村主氏の、統計的数値に依存して、現実を削ぎ落とした文章を読み返えせば明瞭だが、ここには現実直視力の欠如しかない。薄っぺらな想像力と人命軽視、産業優先の技術屋的貧困な発想、存在への畏怖心の欠落しかない。
現代社会にはこのような「指示表出言語」が満ち溢れ、魂の座を占領してしまって、人間の身体と精神を蝕んでいる。
そんな空疎な言語を無自覚に使用し、人間の生き物としての現実感を喪失する方向に、国を上げて疾走してきた。
その結果、何が起きたか。
政治言語も文化言語でさえも、表層を上滑りする記号となってしまい、私たちの生存領域を狭める力となって作用し、人間社会を生きづらい場所にしてしまっていた。
今回の大震災は自然災害を契機として、このような「指示表出言語」に依って造られた空疎な思想・制度・設備が破壊された人的大災害であり、そんな言葉に依って築かれてきた日本近・現代史を貫く言語の薄っぺらな歴史が敗北したのだ。
一方、そのような非人間的な統計的思考に違和感を持ち、渡辺氏が別の場所で「東日本大震災なる大括りの名称」や「東北人の〈忍耐強さ〉などの陳腐で薄っぺらな言いぐさ」と書いたように、そんな言葉に辟易する感性によって表出される言語が「自己表出言語」、つまり文学的文章である。
死者何名、不明者何名と「指示表出」的に繰り返し報じられることに慣れると、人の死から尊厳が剥奪される。
死は個別的に把握されないと尊厳を失う。
「自己表出言語」である文学は、現実を削ぎ落として数値化と論理化を志向する「指示表出」的思考に鋭く対峙する。
俳句とは、そもそもそういう言語の仲間なのである。
今「俳句」という形式で言語活動をしていることは、「自己表出言語」派として、社会に溢れる皮相な「指示表出言語」派に厳しく対峙し続けるということに他ならない。
質量を失った言語による存在の希薄化が私たちの精神を蝕んでいる現代に、生物としての私たちの身体的存在を防衛し、今を生きる私たちの魂に突き刺さる言葉の可能性を切り拓いてゆくこと。
そんな「自己表出言語」としての俳句の、創造的継続の現場に「新しい言葉」は生まれ続ける。これからも。
敗北したのは、私たちの「自己表出言語」ではない。

二 俳句は無力か

人はなぜ小説や詩や短歌や俳句を創作したいと思うのか。
それは「指示表出言語」では掬いきれない、個的な「思い」を表現したいという実存的欲求故ではないか。文学は「指示表出言語」で形成された社会と逆立する「自己表出言語」によって為されるものではないか。
そのことを踏まえて、「俳句は短いので、大震災後の過酷な情況の中で、文学表現としては無力ではないか」という問いについても考えてみたい。
震災直後、誰もが一時はそんなもどかしいような気持ちに、捉われた時間があったと思う。被災の状況や心情を直接的に「描写」する語数を俳句が持たないことは事実である。
語数が多い小説などでは明解に状況が表現されるので、読者にも解り易い。
しかし逆に、現実と「指示表出言語」に依存するが故に、主題の通俗化、凡庸化、真摯な「自己表出」からの乖離という危険性に陥り易い傾向があることも事実である。
詩と短歌も同様で、その通俗性と隣接するが故に、災害時や時局が不安定化したり、歴史が激動したりするとき、言葉が浮足立ち軽薄に熱狂し浮かれてしまいやすい。
特に詩はナショナルなものに取り込まれがちで、地域、共同体そして民族などいう空疎なスローガンの旗頭と化してしまう危険性があることを、私たちは詩歌の痛ましい現代史として学んだばかりである。
一部の小説や詩や短歌が陥り易いその罠を、俳句はその短さ故に、軽々と飛び越える能力を秘めている。
俳句は直接的な「描写」を放棄し、高度な「喩」の世界での「疑似描写」という俳句独特の技法で、現実に依存し過ぎない文芸言語として自立した「主題」表現を成立させる。
角川書店の「俳句」二○一一年五月号で、「励ましの一句」という震災特集を組んでいた。(この「励まし」という無造作な言葉に違和感を持たない者は、表現者としての言葉に対する感度が疑われると思う)
多くは「励まし俳句」ではなく、現実を契機にしているが、それに依存することはない、個人の内面の深い所から自己表出的に提示された祈りと呟きに満ちた俳句だった。
その中の特集の代表的な一句。

陽炎より手が出て握り飯掴む  高野ムツオ
 

個的であると同時に普遍的な命の危機、飢餓、そしてその逆の生命力を思わせる俳句である。死者か被災者の飢えと解するならば現実に契機を持つが、それでも生きようとする実存の強烈な意思と解すれば、その普遍的主題の創造こそが、現実から自立した「自己表出言語」による創造行為の中に俳句を置くということの実証のような俳句である。
被災の渦中にある作者の、「震災を詠む」他人事俳句ではなく、その中を生きる者の抜き差しならぬ自己表現である。
その反対に「励まし俳句」はどこか他人事のような、表現主体の欠落感がつきまとう。
被災者を励ますことは、俳句の本質的な役目ではないし、被災者をだれが慰め励まそうと、被災者の悲しみは癒えることはない。軽薄な励ましの言葉攻めに遭った被災者たちの、戸惑いと怒りの声にこそ耳を澄ます謙虚さを、私たちは持つべきだ。
少し視点を変えて、このことを考えてみよう。精神医学に「喪の仕事(モーニングワーク)という概念がある。
愛する者との死別を悲しみ、混乱し、やがてそれを受け入れて静かに諦めていく過程をいう心理学用語である。この過程がしっかり行われないと病的な悲嘆に陥ってしまうと考えられている。
1 感情麻痺の時期   衝撃・否認
2 思慕と探索の時期  悲しみ・探索行動
3 混乱と絶望の時間  怒り・恨み
4 脱愛着と再起の時期 諦め・受け入れ

この「喪」には死別だけではなく例えば大震災による広い意味での様々な「喪失」体験なども含まれる。
これが学問であり、研究分析をしている分には、この言葉たちに違和感はない。しかしこれが医療行為に応用され、「治療」を目的とするとき違和感が生じる。
問題は「4」の「脱愛着と再起の時期 諦め・受け入れ」という定義。
文芸行為に携わる側の感性から言えば、人はみな一様に悲しみを「諦め・受け入れ」たりするものだろうかという違和感を持ってしまう。
医学もその一分野である「指示表出言語」で作られた「科学的思考」は、常に何かを解決克服する方向にだけ、思考を限定する傾向がある。
科学的思考はいつの間にか、「問題状況」を仮定して、それを克服または解決することを無条件に「是」とし、「死と恐怖」を防壁の彼方に遠ざけて、その心の中に安心と安全と怠惰と傲慢を育ててきた。
原点に戻って問い返そう。
悲しみや喪失感は、癒されることを前提としなければならないのか? 
それらの思いは、諦め、受け入れることを最終到達地点としなければならないのか? 
喪失感と深い悲しみも、施設や設備が「復旧復興」するのと同じように、恢復しなければならないのか? 
自然の無慈悲で圧倒的な破壊力が齎す喪失感と悲しみの手前には、自然への「敬虔な畏怖心」が存在していたはずだ。
「小熊座俳句会」の同人にも、津波に遭って亡くなった俳人がいる。そのことに触れて別の同人はこう詠んだ。(「知子」は亡くなった同人の名である)

千年も一瞬もみな春霙    澤口和子
白魚灯か知子をたぐる金の船  〃  
   

俳句は決して無力ではなく、この句のように自然に対する「敬虔な畏怖する心」を詠む勁さを持っている。
私たちは亡くなった人の、津波との壮絶な苦闘を昨日のことのように覚えておく必要がある。
半壊しつつ漂流する家屋に閉じ込められた別の同人の、二度と海など見たくなくなるほどの強烈な恐怖体験を共有し続ける必要がある。
決して癒されたりなどしない深い悲しみがあるという現実、他の何によっても埋めることのできない喪失感があるという現実から目を逸らさない力。
それができる俳句は決して無力ではない。
恐怖を正視し、深く心に沈めて「敬虔な畏怖する心」とし、そこから言葉を立ち上げ続ける力。
俳句とはそういう力をもつ言語である。

三 俳句は存在の根源と向き合う

大きな自然災害があると、これは天罰だと「天譴論」を唱える人が必ず出てくる。関東大震災のとき渋沢栄一が唱えて、芥川龍之介が批判したことは有名だ。東日本大震災では何処かの知事が口走り失笑を買った。
いったい、どんな宗教の神だったら、自分を崇拝する無辜の民を、しかるべき理由もなく、一度に大量に死なせるような天変地異をもたらすとでも言うのか。
聖書「ヨブ記38章」には、力強く美しい調べで神の主権がこう詠われている。

1節 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。2節 これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸を暗くするとは。(3節 略)4節 わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら/理解していることを言ってみよ。5節 誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張ったのか。6節 其の柱はどこに沈められたのか。誰が隅の親石を置いたのか。7節 そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い/神の子らは皆、喜びの声をあげた。8節 海は二つの扉を押し開いてほとばしり/母の胎から溢れ出た。9節 わたしは密雲をその着物とし/濃霧をその産着としてまとわせた。10節 しかし、わたしはそれに限界を定め/二つの扉にかんぬきを付け 11節 「ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。 12節 お前は一生に一度でも朝に命令し/曙に役割を指示したことがあるか (新共同訳 日本聖書協会刊)

私たちにはこの天地に対する主権はなく、「朝に命令」することも「曙に役割を指示」する力もなく、気がつけば固体という器の中に投げ込まれるように存在している(存在の被投性)。
ただ、この天地を創造して人間を創り、そこに住まわせたのが神であっても、その天地の使い方、接し方は人間の責任で為すべきことであり、この天地の主権は人間にはないが、天地を使いこなす主体性だけは付与されている。その中でどう生きるのかという主体性だけが与えられているのだ。
ならば、災害体験を内面化して豊かな表現を生み出してゆくことが、俳人の務めではないか。
大震災後、その体験を詠うことの困難さと、それでも詠わずにはいられない思いに誰もが捉われた。表現に向かって突き動かされるその思いは、私たちを俳句的表現の原点に立ち返らせてくれた。
震災後、NHKテレビの「宮澤賢治の音楽会―3・11との協奏曲」という特番で、岩手県田野畑村島越が、駅舎も民家もすべて津波被害で壊滅する被害に遭ったが、賢治の「発動機船第二」という詩碑だけが破壊を免れたことを紹介したシーンがあった。そのときインタビューに応えた女性の言葉が、賢治の精神の本質を見事に捉えていた。

「なんでもないときは人間というのは遺体なんか見ると、イヤッとか、気持ち悪いとか思うじゃないですか。ああいう大災害のときに、ご遺体を見てもそんな恐さはないんですね。ああ、可哀そうに、ここにいたの、みたいな感じですよ。賢治さんという人は心がそういう感じじゃないですかね。ああいう気持ちになるんですね、人間て」

強烈な喪失体験をする。そんなときに、存在の核を優しく勁く抱き締めてくれる力を発揮し始める言葉たち。宮沢賢治の言葉には平時の日常的な視座を超越し、常識的な文芸的表現の地平をも越えた遠い眼差しがある。

「積乱雲の一むらが/水の向ふのかなしみを/わづかに甘く咀嚼する」
(詩碑に刻んだ詩「発動機船第二」の結び)

震災直後から多くの俳人、歌人、詩人が沈黙することなく、膨大な量の作品を創り続けた。誰もがそんな衝動に駆られたのは、創作行為への情熱である以前に、賢治のこの言葉たちのように、存在の核を優しく勁く抱き締めずにいられない飢餓感にも似た思い故ではなかったか。
賢治の命の悲しみと痛みに対する根源的慈しみの眼差し。俳句の創作表現に携わる者が、平時から所有していなければならない大切な視座である。
では俳人はどう表現したか。

夏草を眠らせて哭く一樹あり    渡辺誠一郎 
盥の水死の水となる水澄めば      〃
死んでなお人に影ある薄暑なり     〃

悼む側の「個」と、逝った不特定多数の命。それを数に埋没させず個々の痛みとして感受しようとする意思。死者に影を発見する慄きは悼む心そのものだ。死後物体化する命の儚さと、それを失わせまいと祈る力が拮抗する。
渡辺氏がこれらの句を詠んだのは震災から日が経っていないはずで、まだ誰もが圧倒的な破壊の光景と、死者の数の多さにばかり気を取られていた時、氏はすでに個別的な死への悼みを「内面化」し、実存的な痛みを伴う表現によって、俳句の可能性の扉を開こうと苦闘していたのだ。
俳句という生き方にとって大切なのは、どんなときも怯むことなく、個別的命という存在に、こちらから言葉を与え続ける行為そのものである。

四 問われる表現者としての視座

震災後、被災者でない者が、被災現場を訪れることもなく、テレビ報道などの見聞だけで「震災俳句」を詠むことを巡って、その是非が議論されて来た。
これは一見、俳句だけの特殊な問いにみえる。俳句が一人称語り的文芸であり、またフィクションを容認し難い文芸であることにも起因するようだ。例えば小説なら、作家は物語の当事者ではなくてもその体験を描く。
この問いを、そういう意味だけに限るならば、短歌の世界で塚本邦夫が、三人称語り的フィクション性の高い作品を作ったように、俳句もその許容範囲を広げればいいというだけの話になってしまう。
この問いの本質的な意味は、「当事者であるかどうか」「事実かどうか」ということにあるのだろうか。
問われているのは、表現者としての視座ではないか。
その事を考える時、ドキュメンタリー映像作家たちの間で常識として共用されている視座が参考になる。
原発事故によって町ごと県外に避難を余儀なくされた双葉町の、避難先の人達に寄り添って、優れたドキュメンタリー作品を創り、国際的に高く評価された舩橋淳氏は、その著書『フタバから遠く離れてー避難所からみた原発と日本社会』(岩波書店)の中でこう書いている。

言語情報として要約できる映像がジャーナリズムであり、言語情報でまとめられないのがドキュメンタリーである。
 
そして同じドキュメンタリー映像作家である佐藤真氏の著書『ドキュメンタリー映画の地平』(凱風社)から、次の文を引用している。

ドキュメンタリーは、現実の世界を、言葉によって語りうるとも、映像によって客観的に描きうるなどとも考えていない。(中略)その意味でドキュメンタリーは、不可解なこの世界についての、一人の映画作家の私的な見取図であり、(中略)「私」のフィクションなのである。

そして、「トラッキング」と呼ばれる、被災現場の悲惨さを、カメラで舐めるように撮影編集した映像作品の方法を批判している。そこには、それを撮影した表現主体としての「私」の欠片もない。他人事目線で被害の統計的大きさや詳細を、字幕やナレーションの言葉で語るだけだ。
この厳しい認識と視座が、俳句を作る私たちにはあっただろうかと自問させられる。
大切なのは災害の悲惨さを他人事目線で追体験的に詠むことではない。
ジャーナリズム言語で要約できるような「事実」には、文芸としての価値はない。
被災者であろうと、被災地から遠く離れていようと、自分が生きる各々の場で直面する存在の現実と向き合い、それを深く内面化し文学的自己表現としての言葉を立ち上げることが求められているのだと思う。
その視座から見直せば、自他のかの「震災体験」が、全く違って見える筈である。
「俳句αあるふぁ」という隔月刊の俳誌の二〇一二年の十二月・一月号の特集「東日本大震災後、俳句はどう変わったか」という座談会で、高野ムツオ氏はこう語っている。

私なんかの意識からいうと、震災を詠むんじゃないんです。震災のなかで詠むんです。震災のなかで言葉を発している。それは震災を詠んでいるのではなくて、自分の生きる思いとか、自分の心を支えてくれる言葉をはっする、それだけで詠むわけです。けっして、震災があったから震災の悲しみを詠みましょうとか、震災のいろんなひどい状況を詠みましょうとか、そんな意識ではない。

そして、傍観者的に震災の悲惨さを殊更詠んだ、いわゆる「震災俳句」に、こう疑問を投げかけている。

作品化のための題材としてのみ震災があるはずではないのですが、どうも冷ややかな目で震災をとらえているな、というふうに思っちゃうところが出てくるんですね。そういう意味で実は私は心配しているんです。

これは俳人の、表現者としての主体性についての視座である。災害の悲惨さを他人事のように詠む、膨大な俳句たちに言葉の可能性を広げる力はない。
震災直後から量産された「震災俳句」たちには、このような視座が欠落していたのではないだろうか。

五 「核時代の文学」としての現代俳句

原爆や原発のように、悲惨な大災禍をもたらすこともある科学技術の発展に依存する文明社会。その中で生きる人間存在を扱う文学のことを「核時代の文学」とも呼ぶ。
一部の原爆被害者や反核思想の持ち主を除いて、大半の日本人は「原子力の平和利用」と喧伝された原発の建設に肯定的だった。
その空気が少し変わったのはチェルノブイリの原発事故後で、その安全神話が崩壊したときである。だがそのときの反核気運もやがて下火となり、原発自身への無関心へと埋没していった。原発立地周辺で継続された反対闘争は、大半の日本人の関心の外にあった。
強引な土地収用方法、あの手この手の安全宣伝、原発なしでは明日の日本経済の発展はないという脅迫的攻勢、被曝者を出し続ける作業現場の、労働者の使い捨て思想、それらとの壮絶な闘いの歴史を、大半の日本人は共用できなかった。
福島第一原発事故以来、「反原発」「脱原発」の気運がまた俄かに盛り上がっているが、廃炉作業が完了した三十年後、そしてこの原発事故の記憶が風化し始めた後、悲観的で確実な予想だが、この国は核技術を決して手放すことなく、原発は復活するだろう。
何故なら少ない核燃料で得られる膨大なエネルギーを、電力として消費できる「便利で豊かな生活」という欲望の経済思想の呪縛から人々は容易には解放されないだろうし、それに変わる思想が広く共有されるとは信じがたいからだ。
私たちは、そのことに深く絶望しておく必要がある。何故なら、希望とはそんな絶望の中にしか見出せないものだからだ。
将来の原発依存度についての調査と称して開かれた公開ヒアリングに、電力某社から送り込まれた社員は言った。
「今回の原発事故で死者は一人も出ていない」
原発事故自身で死者が出ていないことと、将来、原発の依存度を上げたり、現状維持したりすることは無関係だ。それでも社員を送りこんでまでそんなことを発言させる滑稽さ。
「ご冗談でしょ、原発さん!」
と立ち上がり、拍手喝采して、こう自嘲するべき場面だったのだ。
「そんなに心配しなくていいよ、原発さん。この大量消費国の日本人は、未来永劫、原発と核技術を決して手放したりしないから!」
経済優先主義に基づく生活思想が大転換されない限り、膨大なエネルギー不可欠政策が継続し、原発は再稼働し新設される。
だが、今の日本人の大半にはその自覚はなく、その場限りの感情的な脱または反原発の空気に包まれているだけだ。
代替エネルギーの開発という考えは、根源的な生き方の転換ではなく、言葉の通りの原発の代替という考えに過ぎない。膨大なエネルギーを消費する生活を継続するという点から言えば、何も変わらない考えである。
自然エネルギー、再生可能なエネルギー開発という代替エネルギー政策は、やがてこの震災の記憶が薄れる頃、政治的に疎外され、充分な予算もつけられず頓挫するだろう。
そして何よりも、原発問題はそもそもそんな依存度や安全性の問題でも、ましてや将来に向けたエネルギー政策の問題などでもない。
原発では十三ヶ月に一度の定期点検の労働に臨時雇用され、限界被曝量を超えると解雇され、白血病や癌で死ぬ人が放置されている、非人道性が問題なのだ。
津波の被害で瓦礫の下敷きになった人の生存を確認しながらも、被曝地域指定となり救命活動が打ち切られて救命できず死なせた、命の軽視が問題なのだ。
広大な農業生産地を除染困難な荒地にし、そのせいで自殺する農業畜産家を出した、生存権剥奪が問題なのだ。
先の見えない帰還困難により、大量の生活困窮者を出し、避難生活で病気が悪化し、新たに病を得て死ぬ人がたくさんいる、存在に対する畏怖心の欠落が問題なのだ。地域文化と生活の空間的、時間的破壊が問題なのだ。
原子爆弾の被爆国でありながら、核を「平和利用」することで、その傷を克服しようとした発想は、ルサンチマン以外の何ものでもない。またそれはアメリカの核の商業化戦略に、政治的主体性もなく巻き込まれただけの政策である。経済成長による戦後復興のためには、原発が必要だとする論理も、他のエネルギー開発の可能性などの検証抜きの、最初から原発ありきの経済政策だったのだ。
だから反対運動を起こさせないためにも原発は何がなんでも「安全」でなければならなかった。これも検証と被害対策抜きの、最初から「安全」ありきの宣伝に過ぎなかった。原発はそういう意味で、このような事態をいつか引き起こす未熟な産業施設だったのだ。
百歩譲って、日本の産業と国民生活で消費される電力を賄うのに、本当に原発しか方法がないということが、厳しい検証の結果、事実だとしたら、まず行うべきは原発の安全性の宣伝ではなく、危険性の周知徹底であるべきだった。万が一に備えて50Km以内を立ち入り禁止地区にする程の覚悟と合意が必要であることは、チェルノブイリ原発事故から得られた教訓だったはずだ。
将来の原発依存度についてのヒアリング会場で、ブルブル震える手でマイクを待ち、真っ青な顔で社命通りの発言をした社員の悲哀に頓着しない、指示表出言語派企業のこの顰蹙行為は、私たちの体と魂の領域を侵犯し狭くする。自己表出言語派の俳人はこれを看過できない。
だからと言って、俳人の役目は脱原発を唱え、反原発デモに参加することではない。いっしょになって怒りを行動で示すことではない。存在に対する敬虔な畏怖心のない怒りなどで、明日は変らない。
そのことで侵犯されている命と存在の尊厳を守る側から、そのことを深く内面化した言葉を立ち上げることが俳句の役目である。
「核時代の文学者」の一員としての俳人は、「原子力の平和利用」などという指示表出言語に絡め取られたりしない表現を創造してゆく必要がある。
ではいかなる方法が可能か。
為すべきことは、社会問題を「素材」として生の言葉で俳句に取り込むことではない。
原発事故が起こる以前から、多くの俳人たちは、例えば次のような俳句を黙々と詠み続けてきている。

大鱈の総身を雪に横たへる  阿部 菁女
若布売る手秤にほぼ狂いなし   〃
幾たびも柄を握りみる農具市   〃

「大鱈の総身」の圧倒的な具象性。そして人間の黙々とした営為。
そんな暮らしの思想の具象化。心身の直接性に立脚した確かな実存的感性と、不動の存在感の表現。
物質的に豊かな都会暮しの人の心身は乖離現象を起こし、生き物としてのリアリティを喪失し、どこか上の空の人生を送っている。しかしこの俳句には「手秤に」「狂いな」き確かな生の手触りがあり、心身が「握りみる」如く快く重なり合っている至福感と存在の手応えがある。
ことさら脱原発、反原発のスローガンのような俳句を詠むのはなく、このような思想と表現を各自が深めてゆくことが、「核時代の文学」としての現代俳句の使命ではないか。
これもでそうしてきたように。

六 短詩型の「短」は「単純化」ではない

原発事故以後、原発をめぐる発言の多くはエネルギー政策問題としての視点である。また停止していた原発を再稼働する際、安全基準問題として報道されている。
どちらもその視点自身に問題がある。
そのことについては前の章で述べたので繰り返さない。
「国是」であっても、その政策や産業において被害を蒙る者がいる場合、人道上問題であるという視座はこの国にはなかった。
過去の戦争もそうだが、戦後高度経済成長期に引き起こされた水俣病などにみられる企業犯罪もそうだ。「公害」という摩り替え言語が表すように、それが大量無差別殺人という犯罪だという認識すらない。
ニューヨーク同時多発テロ事件が起きた時、全米で「愛国心」と「テロリスト制裁」が「国是」として湧き上がった。そのとき作家のスーザン・ソンタグ氏は、わずか一週間後にこんな文章をメディアに発表した。

これは「文明」や「人類」や「自由世界」に対する「臆病な」攻撃ではなく、世界の超大国を自称するアメリカがとってきた、もろもろの具体的な同盟関係や行動に起因する攻撃に他ならない。だがその認識はどこにいってしまったのか。 
(「ザ・ニューヨーク」2001.9.24)

国民の多数がその時「国是」と思うことに、疑問を投げかけ相対化する健全な視座がここにはあったが、彼女はこの文章のせいで命さえ狙われたそうである。
ソンタグ氏のこの文章は後年、『この時代に想う テロへの眼差し』という本に収録され、本邦でもNTT出版から翻訳本が出版されている。その序文にこう書いている。

(作家は)活動家であってはならない。解決を追求すること、そのため必然的にものごとを単純化することは、活動家の仕事だ。つねに複合的で曖昧な現実をまっとうに扱うのが作家、(略)常套的な言辞や単純化と闘うのが作家の仕事だ。(木幡和枝訳)

これは俳句という言語芸術に携わる私たちが、失ってはならない視座である。
科学技術を応用する産業部門で深刻な事故が起きたときだけ、「自然に帰れ」と熱狂的に叫ぶことも「単純化」の一つである。
科学が信頼に足るものになるには、それを扱う人間に精神の成熟が不可欠だ。その時期がまだ来ていないことは明瞭である。未熟な人類はそこに向かって努力する義務がある。
人の命を使い捨て労働力という商品と見做して「単純化」する思想に与することなく、文学者である俳人は、その個別的かけがえのなさへの敬意をもって感受し、多様に複合的に、豊かに生き生きと表現する責務がある。

大震災直後、テレビからコマーシャル・メッセージが消え、被災状況の映像と言語報道の自己規制行為が当然のように行われた。
私より年配の方は、あのとき、戦時下の息苦しい言語統制にも似た違和感を持たれたのではないか。よく似ているが、決定的に違うのは、それが軍事政権などの上からの圧力や強制、規制で行われたのではなく、民間の放送局が「自発的」に行ったという点である。
新聞雑誌も「数としての死者を悼み被災者を激励する」という表現に終始した。
施設の破壊映像を映しても、被災者の慟哭や沈黙の、複雑多様な内面は、注意深く取り除かれた平均的で無難な報道と、空疎なスローガン言語が氾濫し続けた。結果、尊い命の個別的死の痛みと重みは失われた。
思いやり、絆、連帯、助け合いなどという観念は、表現主体の心の中で深く内面化されて、それと拮抗する文学的な自己表出的表現として立ち現われ直すときだけ、読者の心と深く響き合う生きた言葉「可能性の言語」となり得る。
俳人は単純な活動家的言語に絡め取られてはならないし、いかなるときも外圧的自粛などに同調してはならない。俳句とは国是にも世論にも与しない自立した言語である。
すぐ風化する〈がんばろうニッポン〉的言葉に精神を絡め取られてしまわないように、俳句はより自由で多様で深く豊かな言語表現開拓してゆく志そのものとなる必要がある。
短詩型文学の中でも最短の俳句の短さは、物事や思いの単純化の、真逆の位置に立つものだ。
俳句の短さは単純化ではなく凝縮である。
多用で複雑な森羅万象と、豊穣な思いを造形する文学である。

七 俳句の批評性――もっと笑いを

文学には社会と鋭く対峙する「笑い」という強力な批評性を持つ表現がある。
哲学者ベルクソンは、笑いは形骸化した制度・慣習、強圧的な一方通行の命令、存在そのものが持つ不条理性などを遠距離的、俯瞰的視線に晒したとき、そこにある精神の硬直化、類型化が顕在化し、観察者の心に心理的呪縛からの解放を齎すものであるとして、笑いの持つ批評性や、社会の歪みが齎す弊害の改善を促す力を描き出している。

「引き離れてみたまえ、われ関せずの見物人となって生に臨んでみたまえ。多くのドラマは喜劇に変ずるであろう」――『笑い』アンリ・ベルクソン 林達夫訳 岩波文庫

出発点が笑いの要素を含んだ俳諧であった俳句は、その力を「お笑い芸の世界」に委ねることなく、古典から現代俳句に至るまで数多くの名作を生み出してきた。ここでは現代俳句の例を揚げる。

 種牛の精子ぶっとぶ大暑かな         田中 満 
 泣く子居るかやなまはげあまはげ兜太はげ     〃
 世界観あるかもしれぬ鬼やんま          〃

一句目。大暑という季語の情緒を、建前言語をぶっとばす力強さで表現した例だ。俳人がこんな顰蹙すれすれの表現をするのは、精神の硬直と滑稽を笑い飛ばすときである。
二句目。現代俳句界の重鎮を「はげ」呼ばわりする大胆不敵さ。敬愛はしても大先生を崇めず、庶民と同じ地平に繋ぎとめてしまう強烈な批評性。落語界の師弟関係にも似たような雰囲気がある。ここには自由な精神と、魂の領土を深く広く耕す力がある。
三句目。「鬼やんま」に世界観があるという視座は、人間中心主義の脆弱な世界観に足払いをかける。人間の地位を小さな命に明け渡して、複眼全方向視界の方が広々としているよと鮮やかに逆転させる。これも強力な俳句的笑いの力である。

秋霖に人間以外みな濡れる 矢本大雪
 
この俳句のどこが笑い? と首を傾げる人もいるか思うが、進化した現代俳句の笑いは
お笑い芸人たちの表層的言葉芸とは違い、深遠な批評性と格調を湛えた文学的表現となる。ものみな均しく秋霖に濡れそぼつ中で、人間だけが傘を差したりして濡れないでいる。自然を征服し支配する西洋思想とは違い、自然との共生の思想の傾向が強い日本人でも、自然そのものと一体であることはできない。どんなに希求しても、人間は人間の作った人工物の中でしか生きられない。そのなんとも言えない哀しさと可笑しさが見事に表現されている。

有事とは人が死ぬこと豆の花  田中哲也
 

この句は「有事」などに代表される政治的言語の化けの皮をひん剥いて見せている。
このように笑いは、ある種の精神の硬直である「深刻さ」自身を緩和し、その柔らかな手つきで社会を批評する力を持っている。
大震災以来、この俳句の笑いの力が衰えているように思う。それを復活させることが、どんな「復興」より、人間を内側から生かす力となることは論を俟たない。

八 現代俳句をその原点に置き直す

私は説明的文章を除く、俳句・短歌・詩・随筆・物語という文学的文章の作文教室を、塾とインターネット上で開いていたことがある。そこで貴重な体験をした。
初めて俳句を作るとき、子どもたちは決まって次のような「楽しいな」「おいしいな」「くやしいな」という気持ちことばを使った作品を作ることが多い。

梅雨くるとじめじめしててきらいだな

これで伝わるのは、梅雨がきらいだと言っている小学生がいるということだけである。
つまり気持ちことばは、気持ちを伝えないのだ。そこでこう言ってみる。
「この俳句を読んだ人は、君と同じ気持ちになって、梅雨がきらいだなって心から思うかな。思わないよね。じゃあ君が梅雨がきらいだと思った場面のことを書いたらどうかな」
そして生徒が改作した句。

 しまってたケーキは黒いカビの山
 
表現の稚拙さ不問にして、これだと読者は強烈に共感し、彼と同じいやだなーという気持ちになる。説明文から文学的文章へ、つまり指示表出言語から自己表出言語への転換に成功した瞬間を、彼は体験したのだ。
指示表出言語で気持ちを説明するのではなく、自己表出言語によって、具体的な体験を具象的に描きだして提示すれば、読者は共感し、人間の心を受け止めるということを実感してもらうことが、俳句を詠む上での基本である。そういう手続きで伝達する仕組みが文学であり、俳句もその仲間である。
ではここで応用問題。
「原子力発電所は安全です」
「オスプレイは安全です」
この指示表出言語の説明文から何が伝わるか。
答え。安全であることは伝わらず、安全だと言い張る人がいるということだけが伝わる文章である。
つまり指示表出言語の「説明的文章」は、林檎の一個も蜜柑の一個も均しく1と呼ぶという、極めて恣意的な仮定の上に成立する言語であるが故に、何の「事実」も、ましてや人間の存在に関わるどんな「真理」も伝え得ない。どんなに論理的に証明しても、疑えば無限に未証明事項が存在するからだ。
では次の自己表出言語の俳句はどうか。

  八木山のぼくは無実の狸です 千田稲人

これが指示表出言語の説明文である限り、狸がただそう言っていることしか伝わらず、狸くんの訴えはだれにも届かない。
ただし、これが存在の悲しみから発せられた自己表出言語の俳句であるときだけ、狸くんの訴えは、大いなる笑いと共感をもって、読者に受け止められる。つまり共有できる真理となる。
俳句とはそういう言語である。
そのことを知識ではなく、方法論として認識し、俳句を自覚的に自己表出言語の中に置き直すこと、その原点に立ち帰ることが大切ではないか。

俳句の原点と言えば、伝統的な表現方法と現代的表現方法についての議論がある。
いわゆる有季か無季か、定型か自由律か、主観表現か客観写生か。
その議論は多いに結構だが、それが恰も俳句の本質や原点論のように語られることには疑問がある。それはあくまで俳句の歴史が背負う伝統と革新の話であって、どちらも大切にして、その時の自分にとってより良い表現を生み出すために、それらを使いこなし、表現を豊にしてゆけばいいという話以外の何ものでもない。
ただ、表現者が共用する伝統的表現形式があるということは、もっと自覚的に大切にされていい。そのことは、それを持たぬ現代詩の、なんでもありという個別的表現方法論が齎す難解さや、表現者の孤独や、読者離れなどの閉塞的な苦境を見れば明らかである。
そのことを踏まえた上で、やはり俳句表現にとって本質的なことは、表現の主体という問題に尽きるのではないだろうか。
「俳句αあるふぁ」という隔月刊の俳句雑誌が、二○一一年と二○一二年を跨ぐ12月・1月号で「加藤楸邨入門」という特集を組み、全集に未収録の楸邨の随筆を発掘し掲載していた。

「神よおのおのの者に、その固有の死を与えたまへ。おのおのの者が愛と一つの意義と、そして自分の悲しみとを発見したその生の中から各々の固有の死が、ほんたうに生れ出るやうにさせたまへ」(略)「固有の死」は「固有の生」からしかやつてこないものだと思ひますが、その「固有の生」がとり紛れがちな日常だから、この詞句が胸をうつのだと考へてゐます。(略)しかし、そこに身を置かなければ、俳句を詠むひとつの意義は失はれてしまひます。(略)「何を詠めばよいか」「どう詠めばよいかと常に繰り返される問が、その限りでは全く無意味なものに過ぎず最も大切な人間の問題「誰が」の後に始めて意味を持つてくるのだといふこと(略)換言すれば「誰が」といふ「表現主体」が確立して始めて「何を」といふ「素材」の問題が意味を持ち、「どう詠むか」といふ「表現方法」の問題が生きてくるのだと信ずるのです。(「生活感覚」より 「女性俳句」一九五八《昭和三十三》年春号掲載)
 
大震災を体験した今、改めてこれが現代俳句の原点だったのだという感慨を持つ。
果たして私たちは「愛と一つの意義と、そして自分の悲しみとを発見したその生の中から各々の固有の死が、ほんたうに生れ出るような」言語表現をしてきたのだろうか問われているような気持ちになる。
地震と津波の圧倒的な破壊力を観て、意識を委縮させてしまっていなかったか。
死者の数の多さに打ちのめされ、大多数のメディア的言語が繰り返した激励スローガンの、皮相なる精神と言語に絡めとられてしまっていなかったか。
表現主体の座を、そのようなジャーナリズム的言語に明け渡していなかったか。
励ましの言葉が主体的表現として有効であるためには、発語のぎりぎり寸前まで、言葉が「固有の生」と「固有の死」に向けて鋭く深く内面化されている必要がある。
地震と津波と原発事故によって命を落とした人たち、生き延びたが大変な精神的打撃を受けた人たち、それを見守る私たちをも含む「固有の生」と「固有の死」と「表現の主体性」が、一時的に崩壊する表現の危機を体験した今、加藤楸邨のこの普遍の問いを噛み締めて、この地点から一歩を踏み出してゆくことが、現代俳句の使命ではないだろうか。

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