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増田まさみ句集『かざぐるま』

増田まさみ句集『かざぐるま』

霧工房2024年7月刊

「あとがき」から

 本集は『止まり木』(zozo)に続く第七句集にあたる。収載する作品はすべて高橋修宏氏の個人誌『五七五』に掲載されたものである。各章タイトルと掲載月および句数一章一五句)は発表時の形式をそのまま活かし、六章を構成している。
 このたび句集を編むにあたり、句の未熟はもとより句数の寡少は如何ともしがたく、新たに未発表句「かぎぐるま」一七句を七章として追補し、集計一〇七句を以てまずは一集の体裁に漕ぎついた。そのプロセスに於いて、各章それぞれの作品の推敲、入れ替えなども行った。
 句集名の『かざぐるま』は、わたしの第二句集「季憶:Mémoires」(1985)に所収の「逆夢の凹凸撫でるかざぐるま」より採択した。ふと捲り返した旧い句集の一句である。「逆夢の凹凸撫でる」のは、たしかに歳月を経たいまも変わらぬわたしの句の出自であり表現の根拠である。内なる〈個〉への慰撫であり拘りであり、同時に生存のあらがいである。
 手元の古びた日記の片隅に「こども時代の孤独以外に人を「書く」ことに追いやるものをわたしは本当に知りません」とのメモ書きが見つかった。マルグリッド・デュラスの言葉である。デュラス晩年のこの痛恨の回想が、どこかわたしの幼少期の闇と相応しているように感受したのかもしれない。風が吹いても吹かなくても「かざぐるま」は回る。迂い日の暗黙の約束のように—。
 〈個〉に帰する営為と認めながら、「現代俳句」を磁場としつつ創意(表現)を共にする人たちの理解と励ましに出会わなければ、わたしの「俳句」はこの日まで存えることはなかっただろう。あらためて深謝申しあげたい。おわりに 『五七五』誌の貴重な紙面を割き、迷妄するわたしの句群を迎え入れて下さった高橋修宏氏に心から御礼を申しあげます。

 作者が謝辞を述べている高橋修宏の評文が、帯に掲載されている。

うしなわれた原郷を思いつづけながらもついに到達しえないという諦念や哀しみが増田まさみの俳句作品にかけがえのない生のさらに死の質感を立ち上がらせるのではなかろうか。 
   

 的確な評で、これ以上付け加えることはない。
 わたしの好きな句を、本人の自選句と重なるが、次にあげる。

  亀鳴くやもう手を振らぬ空舟

  白鳥や少女時代の染みひとつ

  風もなく回る産屋のかざぐるま 

  まだ蒼き父の化石やさるおがせ

  天上のぼんぼん時計老いの春

  何処へも戻らぬひとよ冬花火

     ※     ※

増田まさみ氏の別の句集について、下記で紹介しています。

  増田まさみ句集『遊絲』考 ――存在の迷宮的空洞を満たす幻視的詩魂|武良竜彦(むらたつひこ) (note.com)


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